第1話 群青の騎馬武者である①

 夏の草木が青く茂る山間。

 すこしばかり開けた原野があった。

 中央に獣道のような街道が北東から南西方向に走る。

 それらを眼下に見渡せる古社に、二十人ばかり、群青備えの当世具足に身をつつんだ武者の一団が息をひそめていた。

 ジリジリと油蝉の唱和だけが響く。

 夏の山林とは、昼になると朝の露が蒸発してムンと蒸し暑いものだ。具足をまとっていれば風が肌に当たらないのでなおさら辛い。

 じっとしているだけで体力を削がれた。

 ヤブ蚊が首元をチクリと刺したのを感じて、小柄な若武者は咄嗟に叩いた。


「あぁ、もう。これで朝から十二匹目になる。戦をするまえに体の血をぜんぶ吸われてしまう。やれやれ、今日の戦相手は蚊だったか」


 指先でゴリゴリとかきむしりチィッと舌打ちをさす。

 とうとう我慢がならなくなってきて、床几に腰掛けている武者に話しかけた。


「なぁ、若。まことに奴らはここを通るのか? 二手といわず五手に分かれて広く張ったほうがよいのではないか?」


 「若」と呼ばれた武者は、虎の顔を模した勇ましい面頬のなかで、涼やかな切れ長の目尻を下げて朗らかに笑った。


「ハハ、どうであろうかの」

「なッ……」


 いつもそうだ。

 「若」はどんな場所でも自然に笑ってみせる。

 またしても場違いな笑顔によって機先を制されてしまったので、小柄な若武者は不満がたまった口をつぐんだ。

 「若」がこだわりもなく言う。

 

「間者によれば今日、この道をたどってくるという話だった。だがよしんば予定がかわって来なければ、それもよしではないか? われらは無駄な殺生をしなくてすむ」

「確かにそうであるが、せっかく仕度をして朝早くから国境くんだりまで出張ってきたのだ。儂は戦がしたい。なぁ一同、そうであろう?」


 片膝をついて居並ぶ一団は、「応ッ」と低い声を発して群青の兜を共鳴させた。

 ふたたび「若」が笑う。


良膳りょうぜんは勇ましいな。儂は矢弾がもったいないから、来ないなら来ないでくれとさっきから念じておったが」

「何を言われるか。矢弾はたんまりとある。相手は今でこそ野党におちたとはいえ、もともとはれっきとした武田の武者たちだ。油断がならぬ。片っ端から交差にぶっ放して討ち取ってくれようではないか。なぁ!? かたがたッ」

「「応ッ」」


 あいかわらず群青の若武者たちは士気が高い。

 原野では鍛えぬいた駿馬を駆り、長槍を脇に抱えて整然と突貫する。

 強弓を遠くに飛ばしたかと思えば、鉄砲で兜首の狙撃もする。

 城攻めにおいてはいずれの手勢よりも早く急峻な土塁を駆け登り、勇猛果敢に一番槍を競う。

 近隣の地勢に合わせた当世の軍備と、鎌倉の世から受け継がれた伝統の兵法。

 一人で何殺もする精鋭ぞろいだ。

 小柄な若武者――司馬田良膳しばたりょうぜんは、皆の反応をうけて満足げにうなずき、あらためて「若」を見上げた。

 隣国では「若」のことを「口とケツ穴から火を噴くバケモノ」「野蛮な今呂布」と噂しているそうだが、ところがどっこい、実像はあまりにもかけ離れている。

 武者というよりは文士のような姿をしている。

 長身でこそあるが細身。

 顔は女子のように色白。

 虫一匹も殺さぬような慈愛に満ちた端正な顔立ちだ。

 きっと「若」も自分と同じく蚊にいくつも刺されているはずだが、さっきから微動だにすることなく、誇り高くピンと背筋を伸ばしたままでいる。

 一年半ほどまえのこと。

 矢が豪雨のごとく降り注ぐなかでもそうだった。

 だからこそ良膳たちはその背を懸命に追い、十倍近い敵の軍勢に真正面から中央突破もできた。

 あの背を追いかけた先に血だまりだらけのこれまでとは違う、何か新しいことが待っていると思えた。

 「陣中でグチグチと文句を言うのは儂の悪いクセだな。やはり幼少から孫六ジイに鍛えられた若はモノが違う――」と心中で思い、面頬のなかでかすかに苦笑いをもらすのだった。

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