はじまり
◆
新組織が編成され、私は本当にその秘密組織の一員になれた。
最初は不自然な形で肩入れしていたのだけど、半年以上を一人の女の子、シンウチ・カリンの護衛として過ごすうちに、だいぶほだされたようだ。
カリンは相対する時に、相手の年齢を意識するタイプじゃないし、経歴とか、ファッションとか、そういうものにも抵抗を感じないようだ。
だから私の前でもまっさらな、新鮮な十八歳としてそこにいた。
私は色々なことを思い出したし、同時に多くのことを私は切り捨て、奪われていたことも分かった。
その点ではカリンだって多くのものを失いながら今があるのだろうけど、そこでも彼女は屈託がなく、マイナスな感情はほとんど見せない。
唯一、気になったのは、以前の組織から今の組織へ移行する間に抜けていった、ワタライという警官の去就に干渉した時だ。
ワタライという男性は能力を持たない一般人、健常者だったけど、私が知っている範囲では相応に機転が利き、判断力があり、決断力もあった。
警官上がりで鼻が利いたし、駆け引きもできる。
つまり組織としても、できることなら参加し続けて欲しかっただろうことは疑いない。
カリンは何度か夢を見たようで、そのメモ、走り書きを私も数回、見ることがあった。
ワタライには家族がいることを、私は半年前、冬の終わりのスキー場で知った。
家族の存在がワタライの決意を鈍らせ、カリンの普段の思い切りを乱しているのは、少しして私にも見えてきた状況だ。
カリンはどうやら、ワタライの娘から、その父親を勝手な都合で引き剥がすことがいいのか、それとも悪いのか、それを考えたらしい。
ワタライが自分で決めることだ、と私は言わないことに決めた。
カリンは夢を見る。未来の夢だ。そして組織は繰り返し未来を都合よく変えているという。
私はカリンに、自分がやっていることの重さや意味を、改めて理解して欲しかったのかもしれない。
未来を知ることは健常者にはできない。未来を変えるなんて、絶対に不可能だ。
それができてしまうカリンからは、大切な何か、未来というものの価値、運命じみたもの、宿命じみたものの重荷を、測る能力が失われているのではないか。
そんな言葉を直接に向けることもできず、私の思いに気づくこともなく、カリンは夢を見続けていた。
しかし、あの日、組織の秘密の会合の直前、カリンは四谷駅でワタライと二人だけで話をした。私はもしもの事態、二人が襲われたら対応できるように、離れた位置で見ていて、しかしもちろん声が聞こえる距離ではない。
カリンが寸前に見ていた予知夢の走り書きを、私は知っていた。
ワタライの姿は会議室にはない。
そう書かれていた。
カリンは予知夢の内容を変更するのか、それとも変更しないのか。
結果から言えば、カリンは未来を変えなかったようだ。
ワタライは去って行き、そのまま時は流れた。
新組織は機能をはじめ、拠点は新設された。それも今までの拠点があったという新宿御苑にも近い、新国立競技場の地下に新しい施設が存在していたのだ。
最初に私がそこへ行った時、真新しい建物の匂いに少し興奮したけど、他の面々もその点は似たか寄ったかだった。
「今度はさすがにダクトから地上へは出られそうもないわね」
カリンが嬉しそうにそう言うと、カオリがすかさず「公開されている公の地下施設に抜けられるわよ」と答えた。カリンは不服そうに変わり「もう埃まみれは嫌ね」と顔をしかめていた。
組織の再編の結果、以前の通りの試験班と技術班はそのままで、新しく情報班が設立された。リーダーはツルタという男性で、職業はびっくりすることに、大学講師だった。情報工学のプロフェッショナルよ、と言ったのはカリンで、彼女はツルタのスカウトに関わったようだとそれで知れた。
情報班の構成員はツルタを含めて十人で、三人のリーダーがそれぞれ二人の部下を持つ、三人一組が三チームだという。
あまりにも少なすぎやしないかと思ったけど、私のその疑問は組織の初仕事であっさりと覆された。
ロシア人と中国人による、秘密裏の会合。
そこに日本の外務省から数人が参加し、意見交換が行われる。
その中で、自衛隊が運用している通信網におけるバックドアの取引があるらしい。
バックドアの存在はそれほど驚かないが、自衛隊について外務省が関わっていくのは、不自然だ。
会合で取引されるバックドアに関しては、想像として外務省としてはその存在を伝えた後、相手が仕事をした後に巧妙にそこを塞げば済むはずだ。それでバックドアはそもそも存在しないと見せられる。
そうなると、この件はバックドアがある、という部分は公にする想定か、となる。
中国の国家安全部、ロシアの対外情報庁は、自衛隊の通信網を介して、在日米軍の通信網への侵入を行う、という筋書きがありそうだった。さすがの在日米軍も自衛隊側から忍び込まれるとは、全く想定していないことはなくとも、万全の態勢ではないと思える。
「未来予知は正確ですね」
作戦前の会合にはツルタが出席していて、そんな感想を口にした。
今回の会合はカリンが夢に見たものの確認で、それをツルタたちが裏付けした。つまり夢は事実と判明した。
「褒めても何も出ないよ、ツルタさん」
嬉しそうなカリンに、いえいえ、などとツルタも笑っている。
話し合いの結果、外務省に警戒感を与えるために、会合場所へ向かう公用車を攻撃することになった。
「タイヤをパンクさせるくらいでいいんじゃないかな?」
参加していたヒルタが、そう言ってカオリの方を見る。カオリは澄ました表情だ。
「狙撃銃で、タイヤを撃ち抜く。それで奴らもちょっとは怯える」
「街頭で、しかも走っている自動車のタイヤだけを撃てって事? それはなかなか難しいと思う」
「こっちにはよくできた目がある」
今度はヒルタがカナエの方を見る。
カナエはわずかに笑みを見せ、そのままレイカの方を見た。明らかに手伝って欲しいという顔だった。
新しい組織になって、能力者たちを統括する役目を、レイカが引き受けている。カオリは能力が弱いし、ヒルタは辞退し、カナエは向いていないし、私は入ったばかりで、カリンはほとんど施設にいて、つまりレイカの他に人がいないのだ。
ワタライの後任はまだ決まっていなかった。新しく警察官を引っ張るとは私も聞いている。
話し合いの中で、タイヤを狙うなどせず、ヘッドライトを割ることになった。実に過激である。
しかしこれで標的はだいぶ大きくなったし、位置取りさえすれば、うまくいきそうだ。予知夢のようなものが必要なほど、状況を把握したり、整理する必要もない。
会合場所の情報はツルタたちが集めてあるので、すぐにカオリとカナエ、レイカが配置される場所が検討され始めた。
私とヒルタはフォローするだけなので、配置を決められ、後は不規則な事態が起きるのに備えて、即応できるように待機になる。
設定された日になり、会合場所は六本木である。
高層ビルがあるせいで、狙撃チームの配置は難航したが、それでもどうにかスペースを確保した。そこにはカオリ、カナエ、レイカがいる。カナエが見たものを、レイカの能力を介して、カオリに見せる形だ。
過去にも何度もこれで作戦を行っているので、システムに問題はない。
日が暮れかかり、通りを行く人が増えた。自動車の量も増える。
私は目的の大型ビルの見える、一階がブティック、二階がカフェ、三階がマッサージ店という、まったく目立たない、ほとんど忘れられているような雑居ビルの二階、カフェの窓際の席でコーヒーを飲みながらパンケーキをつついていた。
メイプルシロップがなかなか美味しい。シロップだけ買えるだろうか。
こういうものを意外にカリンが喜ぶのだ。それと地味に、カオリもこういうものが好みだとわかってきた。
完全に日が暮れて、私は待ち合わせをすっぽかされている女の演技で、繰り返し腕時計を確認し、スマートフォンに触った。
カフェにいられるのはおおよそ二時間くらいで、それでも十分に長い。予定ではその間にターゲットはやってくるが、もしこなければ、第二の待機ポイントである近くの雑貨屋へ移動しないといけない。
設定時刻まで五分というところで、スマートフォンが震えた。
メッセージ。ターゲット、ポイント一を通過。予定通りのコース。
これで事態は始まった。
私はガラスの外を見て、往来を行く車のヘッドライトの流れを追い続けた。
あれかな、と思ったのはほとんど直感で、黒塗りの乗用車で、形状が明らかに一般人が乗るような車ではない。ナンバープレートはしかし見えない。
その車が通りを走ってくるが、交差点で減速した。赤信号だ。
横断歩道で青信号を待っていた大勢に人間が、通りを渡り始める。
スマートフォンが急に震えた。震え続ける。通話か。
受けると、相手はレイカだった。
「狙撃する位置に路上駐車の車があって、予定と違う」
「そんなに慌てなさんな」
言いながら、私はすぐに考えを巡らせた。
「今の車の位置でやりなさい」
「通行人がいる」
信号はまだ赤で黒塗りの乗用車を止めている。横断歩道の青の表示はそろそろ点滅するだろう。ここを逃せば車が走り出す。狙撃地点からは狙えないだろう。
「カオリに待機させて。私が人の足を止める」
「どうやって?」
「ちょっとした手品で」
スマートフォンを耳に当てたまま、私は視線の焦点を絞った。
うまくいかないかもしれないが、そこは他の連中を信じるしかない。
炎を、炸裂させた。
交差点の真上で、炎は一瞬で消えるけど、光が周囲を昼間に近いほど明るく照らす。
悲鳴が上がり、通行人が頭上を振り仰ぐ。
もちろん、足を止めないものが大勢いる。
しかし足を止めたものも相応にいる。
ざわめきに紛れるように、鈍い音が二度、連続し、停車していた車のヘッドライトが左右両方とも、消えた。今度はそれに通行人の幾人かが視線を向けている。
「うまくいったみたいね」
そう私が言うと、撤収です、と電波の向こうのレイカの声は強張っていた。
それぞれのルートで施設まで戻り、すぐに報告と検討が始まるが、珍しくレイカが私を批判し始めた。
「ササキさん、あんなことをしては、私たちの組織が動いていると大声で宣伝しているようなものです」
「どうせ外務省も気づくし、気づかなくても、ロシア人や中国人ははっきりと理解したと思うけど」
別に弁明する気もなかったので、思ったことをそのまま口にしたが、レイカは火が出るような目をしている。思わず万歳していた。
「悪かった、強引すぎた。しかしもう、過ぎたことじゃない?」
「少しは組織のことを考えてくださいよ、ササキさん」
その一言で、レイカは矛を収めてくれた。ちゃんとした大人なのだ。現場を仕切るのにふさわしい。
話し合いでは、おおよそ予定していた結果が出て、少なくとも実際的な組織としての能力は以前通りだと確認された。
あとは各自でレポートを、と指揮官であるカナイが言って、解散になった。
「あ、これ、お土産」
私は持っていた紙袋から、メープルシロップの小瓶をレイカ、カオリ、カナエ、カナイに手渡した。ヒルタが「男女差別だよ」とぼやいていたが、別にメープルシロップにこだわりはなさそうだった。
会議室を出て、私は施設の奥、カリンの部屋へ行った。
入ってみると、いくつかの家具が配置され、まさしくカリンの部屋となっている。雰囲気からするとお人形遊びのミニチュアの部屋をそのまま大きくしたようで、それはカリンがお人形さんと呼ばれるほどの容貌と合わさると、どこか不安にもなる。
まるで現実味がない。
部屋の住人のお人形、カリンはベッドに横になり、眠っていた。
歩み寄っても目覚める気配はない。二人で過ごした時の感覚では、こういう眠り方のときに彼女は予知夢をみる。
そっとメープルシロップの小瓶を小さなテーブルに置き、私は部屋を出た。
驚いたのは、扉が開いたすぐそこに、カオリが待っていたからだ。まさかメープルシロップのお礼でもないだろう。
「どうかした?」
カオリの表情は読みづらいが、不機嫌そうではない。
「悪くない発想だった」
短くそう言うと、カオリはポンと私の肩を叩く。
どうやら褒めてくれているらしい。会議の場ではレイカの体面もあったということか。
どうも、と私が言うと、彼女は頷いて今度こそ離れていった。私を追いかけてきたのか。律儀なこと。
私は一人で寝床へ帰るべく、施設の外へ通じるエレベーターまでゆっくりと歩いた。
まるで遊びみたいな仕事だ。
何のためになっているのか、誰のためになっているのか、何に貢献しているのか、どんな実績が上がっているか、そんな全てがまったく見通せない。
何かに突き動かされているだけか。
何かが何かといえば、驚くべきことに「正義」、そうでなければ、「正解」だ。
この世界に本当の正義があったことはないし、本当の正解があったこともない。
それは誰もがわかるし、知っている。
なのに私達は、常に正義をかざし、正解を選び取ろうとする。
何かの遊び。
神の遊び。
神がいるとして、私たちは神が定めた形、描いた道筋を、勝手に変えているんじゃないか。
それでは、これは神への冒涜か。
ああ、しかし、神様だって、私たちのことを知っているだろう。
予期される変更、ってことかもな。
外へ出ると既に深夜で、街は静まり返っているような気がした。電車は既に終電の時刻を過ぎている。タクシーを拾うほどでもない近くに、組織が用意した部屋がいくつかあり、一つはそのメンバーの自宅として与えられ、そうではない余っている部屋は都合に合わせて利用できる。
私の自宅の部屋は、拠点から歩いてほんの十五分ほどのところだ。
暗がりに注意を向けながら、歩道をゆっくりと歩く。
前方で何かが動いた時、そこには黒い服を着た男性が立っている。
「ササキ、余計なことをするな」
どこか訛りのある発音。わざと訛りを残して、自分が中国人だとはっきりさせた、というところか。
「さっきのも仕事でね」
「飼われることを望むのか?」
飼われるか。
「元から誰かの飼い犬だったよ。それだけのこと」
しばらくの沈黙の後、男は何もせず、静かに闇の中に姿を消した。
警告、ということだ。
自分が言ったことを思い返しながら、私は部屋のあるマンションへ向かった。
飼われている。
組織に飼われている。
未来に飼われている。
神様にも、飼われているかもしれない。
私たちはみんな、自由に生きられる。飼い主を選べる、野良犬にもなれる、そんな風に感じるけど、実際には何かの首輪を常に巻かれている。
あるいは、私に宿る能力が、私をどこかに繋ぎとめているのかもしれなかった。
もう組織や、秘密の世界とは、無関係ではいられない。
能力がある限り、私の世界は限定され、私の未来も制限される。
決して逃れることのできない束縛。
マンションに着き、一階の玄関をカードキーで抜ける。
一人きりでエレベータに乗りながら、私は一度、目を閉じた。
自分はやっぱり、犬か。
遊んでいるのか、遊ばれているのか。
飼われているのか、自由なのか。
考えても、無駄だな。
エレベータの扉が開いたとき、もう迷いは全部捨てた。
(続く)
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