七 審問



 研究棟の地階から地下通路に降りる。少し湿った廊下にランタンの明かりが揺れる。ヴァスルの顔色がどんどん悪くなっているが、それほど深刻な事態になっているのだろうか。


 ふと、隣からたじろぐ気配。


「……ソロ、なぜ貴方が」

 曲がり角の向こう、地底の闇から滲むように現れた男をヴァスルが睨むように見た。


「ただの案内です。そう警戒なされるな」

「そもそも、監察者は地上の者のはず」

「ダナエス神殿長のご意向でね、最近はそうでもないのですよ」

「光の雨が、神殿長の指示に従っているのですか?」

「──審問の場について意見を受け入れた程度だ。そう吠えるな、ヴァーセルスよ」


 笑いを含んだ男の声が話を遮った。生成り色の神官服を着たその人は同じ色の布で──透光の陣の目玉に似た特徴的な刺繍が施されている──首元までしっかり顔を隠している。神殿内部の異端者を裁く「監察者」ローファルだ。


「今日は後継の見学を入れたいのだが、構わないかね?」

 監察者がナーソリエルの方を向き、尋ねた。彼の後ろに控えていた小さな人影が「やあ」と明るい少女の声で言って片手を上げる。こちらも顔を隠しているが、背丈と声質からして歳はファーリアスより少し上くらいだろうか。

「問題ない」


「ナシル、そんな安易に」

 くすんだ緑の瞳を不安そうに揺らしてヴァスルが言ったが、ナーソリエルは「聞かれて困ることはない」と取り合わなかった。ソロが「ほう?」と含みのある笑みを浮かべて腕を組む。この気の審問官はどうも三十歳になったばかりらしいという噂を聞いたことがあるが、冷酷で謎めいた視線はとてもそんな風には見えない。


「審問室の用意はできている。こちらへ」

 不気味な異端審問官を観察していると、監察者がそう言ってくるりと背を向けた。布がひらりとして一瞬顔が見えそうになったが、絶妙に顔立ちはわからない。


「──私で良ければ、見せてやろうか」

 隣からこそこそとした囁き声。そちらを振り向くと、後継の少女がナーソリエルの隣を歩きながら返事を待つように首を傾げて見せた。


「は?」

「顔だよ、顔」

「ローリア」


 監察者から厳しい声が飛ぶ。ローリアと呼ばれた彼女は反射的に肩を竦め、しかし今度はより小さな声になって「ローファル様の顔はな、瞳が綺麗な菫色で」と話し始める。

「ローリア!」

 叱責の声が強くなったが、少女は反省するどころか楽しげに声を高くして反論した。


「別にいいじゃないか、減るものでもなし」

「何のために顔を隠していると思っている」

「光の名を持つものは『神秘であるべき』だから」

「覚えているならばなぜ、審問相手にそのようなふざけた態度で接する」

「神が相手だろうが、言いたいことは全部言うだろう。この御仁はそういう目をしている」


 流石にそこまで傲岸ごうがんでもないと思うが、ここで反論しても何の意味もなさそうだったので聞かぬふりをした。後継者の跳ねっ返り具合に監察者が頭を抱え、困り切ったその姿に人間味を感じたのか、ヴァスルが少し肩の力を抜いたようだった。


「ふふ、叱られてしまったよ。なあ、気の神殿の人って近くに寄ると、少しだけ月桂樹の香りがしていいな」

「……自分ではわからないが」

「光の葉よ、いい加減にしなさい」

「ふうん、そうか。月桂樹の葉は肉の臭み消しにも使うだろう? 普段からかぎ慣れていると、肉の臭みをそのまま感じるのか?」

「……いや」

「──ソロ、頼む」


 監察者のうんざりした声が聞こえた次の瞬間、魔力の気配がして、ローリアが首を傾げると片手で喉に触れた。何も言わないところを見ると、どうやら沈黙の術をかけられたらしい。


 ソロが呆れ顔でローリアを見ながら、持ち上げていた杖をトンと地面についた。円環杖えんかんじょうは種と葉を除く気の神官が持っている先端に輪のついた杖だが、ナーソリエルもヴァスルも今は持ち歩いていない。儀式の時以外でも携帯しているのは、常に武装している根神官くらいだ。


 とその時、監察者が「中へ」と言って扉の無い石造りの部屋のひとつへ入っていったので、ナーソリエル達もぞろぞろとその後に続いた。中には人影が数人──気の審問官達と、顔を隠した黒装束の人間が二人、おそらく監察者の護り手である「破壊者」とその後継だ。それからユーシウス神殿長がふらりと片手を上げたので、軽く胸に手を当てる。


 部屋は広々としていたが、壁際に小さな祭壇があるだけで家具は椅子の一脚すら無かった。審問官達は皆黙ったまま壁際に並んで立ち、じっとこちらの動向を見守っている。祭壇と反対の壁に手枷の鎖を見つけたナーソリエルが一瞬立ち止まると、ヴァスルの手がポンポンと軽く背を叩いた。歩くよう促すのではなく、子供を安心させるような叩き方だ。そんな励ますようなことをするなんて、一体いきなり、彼はどうしてしまったのか。居心地悪い気もするが、今はその幽かな手のひらの温度がありがたい。


「抵抗して暴力を振るわぬ限り使われませんよ」

 肩を竦めたソロがぼそりと言った。どことなく残念そうな響きに振り返ろうとしたが、それよりも先に監察者が長い装束の裾を翻して審問室の中央へ進み出たので、そちらに目を奪われる。


「始めよう」

 声と共に、暗い地下室に白い光が満ちた。監察者が石の床に魔力で顕現陣を描いているのだ。エルフの魔力、つまり自然界には存在しないような不思議な純白の光を放つ妖精のそれと違って、純粋な光の魔力は淡く黄色がかった陽光色だ。光量自体はそれほどでもないのに、なぜか目を細めたくなるような眩しさがある。


「ネ・シルエ=ティア・ハツェ。神の御前に立ち、汝、全てを詳らかにせよ。この円環は、神の国への窓である。汝に祝福を与えし叡智の神がご覧になっておられるのだ。全てを偽りなく話すと宣誓し、この場に立って我が問いに答えよ」

「……全てを、偽りなく話すと誓います」


 促す視線を受けてそう誓い、一歩二歩と進んで陽光色の陣の中央に立つ。ざっと足元に目を走らせて、ナーソリエルは僅かに眉をひそめた──これは神の窓なんて美しい術ではない。ただの自白の術だ。しかしそれに気づいたからといってどうこうできるわけでもないので、大人しく初めの質問を待つ。


「魔術が好きか?」


 存外明るい響きがそう尋ねた。思わず「はい」と答えてしまってから、ヴァスルの表情を見て迂闊だったと気づく。ソロが嘲笑うようにふんと息を吐くのが聞こえた。


「それは、なぜ?」


 甘い声だ。しかし、その奥底にどこか毒のあるような声。蠱惑的こわくてきというのだろうか、神殿では耳にしない独特の湿った話し方は、自白の術を抜きにしても人を言いなりにするような力がある。


「陣の……自由度が、高いから」


 呟くように答えた。全身に絡みつく術は、抵抗しようとすればするほど頭がくらくらする。弱い毒に少しずつ意識を焼かれるようなこれは、本当に純粋な祈りから生まれたものなのだろうか。いや、そんなはずはない。人を裁くようなふりをして、実は彼こそが異端なのではないのか? しかし片隅でそう考える間にも意識が少しずつ遠くなって、ああ、段々と……全てが夢の中のようだ──


「自由度が高い。ふむ、便利であれば冒涜も致し方ないと? 或いは魔術の恩恵──例えば人の命を救うような術の恩恵は信仰を上回ると考えるのだろうか?」


 まるで、便利であることが冒涜であるような口調だ。ナーソリエルはぼんやりそう考えて、緩く首を振った。


「信仰という観点から見ても……描かれる紋様自体に、優劣はない。つまり蔓草紋様であっても、幾何学紋様であっても、神がどちらを愛されるといった差はないと私は考える。本質を分けるのは祈る心の有無であって……例えば、命令化された呪文ではなく正式な祈りを唱えるとか、祈りの気持ちで描くとか、そういったことで……現代の神殿の思想に則っても、異端からは簡単に外れることが、できると」

「ふむ、つまり魔術師達に祈りの心を取り戻させようと、汝は考えているのか?」

「……わからない。私はただ、『魔術師』個々人はどうあれ、魔術自体には冒涜的なものを感じないだけだ」

「白の魔術師ルールミルエルマルーシュとは、どんな話をした?」


 妖精の名が出た途端、ふっと意識が鮮明になった。叔父との関係を含めた真実も話しつつ、神殿を出る云々の話や、遊びに来いと言われたのは伏せる。自白の術が意識をぐらぐらと揺らしたが、純度の高い気の祝福のお陰か、嘘は難しくとも黙秘は可能だった。


「なるほど、では──」

「あっ、だめだよローリア」


 少年の押し殺した囁き声がして、監察者がさっと振り返った。段々と吐き気がしてきた口元を押さえながらナーソリエルも目を向けると、黒い布で顔を隠した人影の背の低い方が、ローリアの腕を掴んで首を振っている。


「だって、見えにくいだろう?」

「そうだけど、我慢だよ。ローリアだって、顔を見られたら恥ずかしいでしょう?」

「いや、別に」


 どうやら彼女は顔の布が邪魔で捲り上げようとしていたらしい。監察者はじっと睨むような気配を滲ませただけで何も言わなかったが、後継者達の隣に立っていた破壊者が片手を持ち上げてバシンとローリアの頭をはたいた。神殿の中でそんなことをする人間がいるなんてと驚いたが、ローリアは慣れているのか、頭をさすりながら小さく笑い声を上げている。


「さて、続けようか」

「お待ちください、彼は体調が悪いようだ。少し休憩の時間を──」

「そうさな、意識を失ったならば休憩させてやろう」


 口を挟んだヴァスルに冷たく言い放ち、監察者がこちらを向いた。術が強まって、ぐっと呻き声を呑み込む。


「答えよ。汝は今、魔術師も祈りの心を持てば異端ではなくなると、そう言った。無機質な星型紋に取り憑かれた彼らへの導入としては悪くないと、私も思う。ではナーソリエル、その更に先の質問だ。いずれ魔術文化は、消えて無くなるべきと思うか」

「……いいえ」

「それはなぜだ」

「嘗ては、顕現術と魔術、双方の使い手が手を取り合っていたと、私は、その文化を──」


「それをどこで知った」

 監察者の声が突然刃物のように鋭くなった。魔力が大きく揺らぎ、ナーソリエルは床に膝をついてえずいた。


「答えよ」

「──彼の! 彼の生家はアルク家です。当主は代々王室付きの魔術師だ!」

 ヴァスルが叫ぶような声で遮った。こちらに駆け寄ろうとして、ソロに取り押さえられている。


「王室付き……中立派か。悪質な教育をしおって」

 監察者が忌々しそうに呟いて腕を組む。ナーソリエルはハンカチを取り出す気力もなく、手のひらで唇を拭ってぐったりと床に手をついた。


 とその時、背中に誰かの手が当てられて弱々しく振り返る。黒い服。


「……大丈夫?」

 少年の高い声が小さくそう訊いた。彼が低く祈りを唱えながら手を振ると一瞬視界が暗くなり、全身が浄化されて吐き気が治まる。


「ローファル、彼がかわいそうだろう」

 ナーソリエルと監察者の間にローリアが立って、責めるように声を上げた。

「悪いことをしたわけでもないのに、こんなになるまで術をかけて。審問は審判ではないぞ」

「これを『悪くない』と断言するか、未熟者め」

「なあ……最近どうしたんだ? 少しおかしいぞ、ローファル」ローリアが初めて不安そうな声を出す。

「ロイラ、下がらせろ」と監察者。


 すると頷いた破壊者が子供達の肩に手を掛け、耳元で何か言い含めて部屋の外へ押し出した。ふたりはしばらく部屋の前で騒いでいたが、入れてもらえないことを悟ると肩を落とし、手を繋いでとぼとぼと立ち去った。


「はあ、全く……では審判を下すとしようか。『汝、敬虔なる祈り無くしてその力を振るわば、祝福は呪詛へと裏返り、神の怒りが汝を罰するであろう』──叡智の書の一節だ。汝には異端の気があるが、しかし星の名を奪うほどに危険かと言われれば、そこまでの罰は必要ない。故に枝神官ナーソリエルよ、汝は葉への降位に加え、その記憶を──」

「──執り成しの祈りを捧げます、光の雨よ」


 その時、それまで黙って行方を見守っていたユーシウスが口を開いた。監察者が顔を上げる。気の神殿長は足音もなくナーソリエルの隣に歩み出ると言った。


「彼の記憶をいじるのはどうかやめてくれ。この底知れぬ記憶領域が損なわれでもしたら、それこそ叡智の神への冒涜だ。彼の思想は私が正す。過去を知ったとして、我々のように正しい教えを理解すれば、記憶していることに何の問題もないはずだ」

「──汝がそこまで申すのならば、執行猶予を与えよう。一年の間に再び悪しき思想の片鱗を示さば、その時は」

「感謝する」


 神殿長が丁寧な礼をし、ナーソリエルもなんとか立ち上がるとその隣で頭を下げた。頭がぐらりとして、ヴァスルに腕を掴まれる。しばらく朦朧としながら立っていると退室を許されたので、ヴァスルの肩を借りながらよろよろと部屋を出た。


「猊下、ありがとうございます」

 歩きながらヴァスルが礼を述べ、ナーソリエルも感謝の視線を投げた。先を歩いていた神殿長がちらりと振り返り──そして角を曲がったところで突然こちらに腕を伸ばすと、ナーソリエルの肩を掴んでダンと地下通路の壁に押しつけた。


「……今後、魔法陣に関わる研究は一切禁ずる」


 驚いて何もできずにいると、食いしばった歯の隙間から神殿長が言った。怒りの色にギラギラと光る目が、こちらを睨めつける。


「祝福の力を祈ることなく利用し、果ては自らの能力であると錯覚させる──魔術を、そんな文化を広げることが悪でなくて何だというのだ? 異端思想の詭弁きべんを弄するために学問を利用するなど、許しがたい……」

「猊下」

「良いか、祝福の力を祈りの言葉なしに振るって許されるのは、それが本能として備わった種族のみ。すなわち竜と、妖精だけだ。人のそれは……器用に狡猾に全てを成そうとするほど、穢れ淀んでゆく。魔術の高い自由度が好ましいと、そう言ったな。それを至上とする思想こそが、魔導兵器を生み、戦争を生むのだ……!」

「ユーシウス猊下……私は」

「これからは私が、汝の思想の全てを管理する。神官の身でありながら生家の残影に囚われているなど、言語道断。神殿の正しき教えを学び、改心せよ!」


 突き放すように手が離され、神殿長はくるりと背を向けて早足に地上への階段を上っていった。ナーソリエルは食い込んでいた爪の跡をさすり、遠ざかってゆく背を見上げて、言葉が出ずに視線を地に落とす。


「……ナシル、部屋へ帰りましょう」

 誰もいなくなった廊下で、ヴァスルが静かに言った。背を支える手が奇妙に愛情深く感じて、そっと息をついた。





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