花壇

第1話。花壇と宇宙と

 未確認生物や未確認飛行物体。人は時たま常識の範疇を超えるものに興味を惹かれ、理解の及ばない現象にロマンを抱く。


 未知との遭遇。不特定多数の誰かなどではなく、自分自身という個がもしその超常的な何かに相対したとしたら。きっと誰もが恐れ戦き声を上げることは愚か、指先一つ動かすことも出来ずにその未知に一瞬で飲み込まれてしまうことだろう。


 だが安心してほしい。人の一生ではまずお目にかかることはない。


 未確認が未確認たる所以。未知が未知とされる所以。意外と身近なところに存在しているとしても、放課後いくら暇だからと言って学校の花壇のひまわりに、それも霧吹きで牛乳を吹きかけるような真似さえしなければ決して出会うようなことはないのだから。


「なにしてるか」


 抑揚のない無機質な声。同時に顎から滴り落ちる生温い液体。雨など降っていなかった筈だが頭上から降り注ぐそれは紛れもない本物だ。


「いやお前がなにしてるか」


 しゃがんだまま背後へと振り向く。現在進行形で全身を濡らし続けている緑色のジョウロの先からそいつを見上げる。


 つばの広い大きめの麦わら帽子。膝まで流れる銀髪に近い白髪。キラキラと太陽の光を反射させては穏やかな風になびかせる女子生徒がそこにはいた。


「なにしてるか」


 顔色一つ変えずに再び問うてくる女子生徒。声の印象からして感情の起伏が感じられない表情に違和感はないが、そのジトっとした眼差しはまっすぐにこちらを射貫いている。


「いやお前が何してるかって……とりあえずこれ以上俺に水をやったところで植物みたいに成長したりはしないぞ」


 最早手遅れかもしれないが、根腐れしない内にと頭上のジョウロへと手を伸ばす。不意に引っ込められては目の前で先端を外される。


「なにしてるか」


 こちらの頭上に先端を向けては動きを止めるジョウロ。


「いやお前が何するつもりか」


「そんなことしてもこどもはできない」


「いや牛乳だしな」


 言ってる傍から頭上に流されるそれまでの比ではない断罪の水。状況証拠だけを見ればこちらに弁解の余地はない。


「なにしてたか」


「いや……」


 どうしたものか。真面目に説明したところで理解されるかは怪しい。ならば平伏してありもしない罪をある程度被り、情状酌量を求めるべきなのかもしれない。


 いや、この頑固さと冷淡ぶりを見れば感情論で訴えたところで機械的に退けられるだけだろう。


 ならば一か八か。何とか足りない頭で声にして、どうにか許しを請う他ない。


 もし出来なければ変人を軽く飛び越えて変質者として会長に面会することになるだけだ。


「ひまわりにびっしりついたアブラムシがたまたま目についてな。表面張力だったか、農業系の雑誌で読んだアブラムシの駆除方法を試してた」


「カゼイン。surface tension表面張力じゃない」


「うん?」


「たんぱくしつのぎょうこ。Ramsden phenomenonラムスデン現象とはちがうけど、たぶんちっそくさせてる」


「そうなのか?」


「たぶん」


 そいつは言いながら空になったジョウロを足元へと置き、こちらのすぐ傍にしゃがんでは牛乳を吹きかけたひまわりの葉をめくる。


「……みずいれた?」


「ああ」


「これじゃだめ」


「そうなのか?」


「かえるまでにかたまらないから」


「なるほど」


 ケチって原液のまま使わなかったのが裏目に出たか。


「でもやりかたはまちがってないとおもう」


「そりゃ本で見たからな」


「ほんがただしいとはかぎらない」


「そうなのか?」


「じぶんでやってみてはじめてわかることもある」


「なるほどな」


 ほれ、と。希釈した牛乳入りの霧吹きをそいつに差し出す。


「これじゃだめ」


「やってみないと分からないんじゃなかったか?」


「いみない」


「百聞は一見に如かずっていうだろ?」


「もうみた」


「そういえばそうだったな」


 新たにひまわりの葉っぱをめくってはアブラムシめがけて近距離から勢いよく牛乳を吹き付ける。


「これでどうだ?」


 風圧と水圧に押されて四散するアブラムシ。こうなってくると牛乳である必要など一切ないのだが、洗剤が入っていた容器だけに今更もったいないからと言って蓋を開けて飲むのも憚られる。


「なにしてるか」


 ゴスッ。不意に頭頂部に走る鈍痛。結構な力でハンマーみたく拳を振り下ろされる。


「ぬおぉ……」


「とびちったあぶらむしどうするか」


「つ、土に埋めるか、踏みつぶす……」


「いみない」


「なら農薬でも撒くか?」


 ふと、そいつの無表情に影が差す。ただ実際のところは太陽がタイミングよく雲の後ろに隠れたに過ぎない。


「……ふくろにあつめる」


「名案だな」


 花壇の広さからして正気とは思えないが、時間をかけられるならそれが一番植物に優しいのも確かだろう。


「じゃあ水やり頑張ってな」


 何故か全身ずぶ濡れな状態で立ち上がり、校舎の時計を見やっては難なく局地的な雨を逃れた一つの鞄へと足を向ける。距離にしてほんの数歩。腰を屈めては膝をつき、中身を漁ってはおあつらえ向きな一つの封筒を手に立ち上がる。


 歯ブラシでもあれば良かったのだが、別に今日で終わるとも思っていない。


 手近なひまわりへと歩を進めてはそっと手を伸ばし、膝を折りつつ葉をめくる。


「あれ」


 肝心のアブラムシがいない。続けざまに何枚かめくってみるも、どうやら全部が全部というわけではないようだ。


「あらってかえしてください」


「うん?」


 不意に肩へと乗せられる軽やかな布。手にしては模様どころか汚れ一つない真っ白なハンカチ。どこか苦笑にも似た笑みを浮かべては、意外と冷め切っていないその持ち主へと顔を向ける。


「何だ。反抗期じゃなかったんだな」


 雲の晴れ間。ジョウロを片手に水道へと向かうそいつの背中に暖かな陽の光が差し込んでいく。


「あなたみたいなのをうちゅうじんというんです」


「今度自転車のカゴにでも乗ってみるかな」


「こわれます」


「やってみないと分からないんじゃなかったか?」


 ピタリとその場で足を止めるそいつ。爽やかな風に特徴的な髪をなびかせては、麦わら帽子を手で押さえながらくるりと回れ右する。


「こわれます」


 どこまでも真顔を崩さないそいつ。


「なら俺は宇宙人じゃなかったってことだな」


「うるさい」


「えぇ……」


 再びその場で回れ右してはさっさと離れていくそいつ。とりあえず帰ってきたらハンカチの礼と共に、封筒に集めた大量のアブラムシでも見せてみようと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る