第6話。リバーシブル・リバース1

 晴れ。


 前日の雨が過ぎ去ったあとの雲一つとてない澄み切った青の空。見上げた手前面白みにかけるといえばそうなのかもしれない。


 ベンチへと深く腰掛けては何時現れるかも分からないような隣人を考慮した結果。横になることを諦めては仕方なしにとそのままの体勢で腕を組む。


 周囲の静寂へと耳を傾ければ時折聞こえてくる遠い喧騒。照り付ける日差しの中の日陰。朗らかな風が左から右へと過ぎ去る度に、自然と意識はその存在意義を失っていく。


 組んでいた筈の腕はいつの間にか両脇へと落とされ、繰り返される穏やかな呼吸のみがその場に残る。


 ふと。鼻孔をくすぐる言いようのない感覚に体が反射的に意識の覚醒を促してくる。


 光――。重い腰を上げるように半ば強引に開かれた瞼がまず捉えたのは、とてもではないが許容出来たものではない明るさだった。


 思わず固く瞼を閉ざしては目を背ける。明るさに慣れるべくただひたすらに堪える。


 その間も顔をかすめ続ける煩わしい感覚。膝の上の確かな重み。次第にその全容が明らかになりつつある中で、目を開けるのを待たずしてその正体に辿り着いてしまったのだから最早そのまま放置しておくわけにもいかない。


「お前……いかれてんのか……」


 窄まった喉に活を入れる。無理やりに声としてはその者へと意義を申し立てる。


 判決はすぐに出た。後部座席を考慮しないリクライニングとして――。どうやらこちらの弁護士はポンコツらしい。


「おまっ、おいっ、正気かお前っ」


 尚も迫りくる容赦のない黒髪は長さも相まって鬱陶しいことこの上ない。


「自業自得さ」


 会長はそう平然と言い放つ。その姿勢たるやまるで自身の行いにこそ正義があるとでも言いたげだ。


「いや――」


 否、分かっている。分かっている上で分からない振りをしているのは自分の方だ。その証拠にとりあえずと否定した言葉の先はいつまでたっても声という形を成さないでいる。


「まぁ、何だ……」


 たった今自身がしていることの不毛さ。同時にこれからやろうとしていることの無意味さ。目を背けても尚脳裏から離れない現実。


 どうやったところで否定は出来ない。形を得てしまったものはなかったことには出来ない。例えそれが会長に毒された結果だとしても。会長の行動を暗に肯定してしまうものだったとしても。


「隣が空いてるだろ……」


 常識を盾に相反した行動をとり続ける。認めてしまったが最後、それはもう非常識ではなくなってしまうから。


「とりあえずもたれかかるな。それから――」


 近づく後頭部。作り出される人為的な角度。時代は人間リクライニング。世界はもうそこまで来ているのかもしれない。


「――って、おいっ」


 最早これ以上は我慢できないと力尽くでその場から這い出る。位置的に言えばベンチの右から左へ。距離的にもそのまま横に一歩か二歩の移動でしかない。元より会長を考慮して空けていたスペースだ。余裕はある――筈なのだが……。


 何故こうも代わり映えしない景色が目の前に広がっているのだろうか……。


「お前は普通に飯を食えないのか」


 仕方なく。半ば諦めたように会長の後頭部へと語りかけるも、返される言葉がないのは勿論のこと。自身の正当性を示すように正された姿勢を見れば尚のこと。それらはちょっとやそっとでは揺るがぬのであろうなと思わせるだけの強固さと頑固さを十分以上に表していて。


「……だぁー分かったよ。横になればいいんだろ? 横になれば」


「最初からそうしていればいいんだ」


 待ってましたと言わんばかりに立ち上がる会長。結局ベンチにて天を仰ぐ自分。何となく分かってはいたが、どこまでも会長の思うがままに事が運んでしまう。


 ただこの物理的な上下関係含め。会長の訳の分からない理屈に一々正当性を求めていたら日が暮れてしまうであろうことだけは確かだ。


 結局のところ考えるだけ無駄。会長だからと適当にそういう星の下に生まれたとかそういうことにしておくのが頭を悩ませる必要がなくて一番手っ取り早いのかもしれない。


「寝る……」


 考えるのも面倒になって膝の上に会長が座ったのを確認しては目を閉じる。


 現時点でどれだけの猶予が自身に残されているのかは不明だが、だからといっていつまでも会長のペースに合わせていてはこちらの身が持たない。


 理解できずとも納得できるのであればそれでいいじゃないか。眠いし。


「少し……いいかい?」


 ただし会長は会長であってこちらではない。当たり前のように寝ると宣言している人間に対しても話しかけてくる。

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