第8話。甘さと苦さと相乗効果1
「やぁ」
頬をつつかれた拍子に目を開ければ例のごとく会長。ここ数日毎度のこととはいえ、寝起きに相対するにはいささかヘビー過ぎる相手であることには変わりない。
「……よぉ」
眠い目を無理矢理にこじあけては、日中の有り余る眩しさから両目を守るように自然と手の平をかざす。
「相変わらず眠そうだね」
言いながら少しだけ腰を浮かせてはまた膝の上へと座り直す会長。膝の上にちょこんと乗せられた弁当箱の包みを見る限り、どうやら昨日の教訓を生かして食事はすでに済ませているようだ。
「そう思うなら起こさないで欲しいもんだな」
もっとも言った所で無駄であろうことは理解しているのだが。
「そうかい?」
「何で疑問形なんだよ……」
両目を覆う指の隙間から垣間見る会長。その表情はどこか楽し気と言うより悪戯で――。
「お前まさか俺が――」
望んでいるとでも? というツッコミは幸か不幸か、最後まで言葉になることはなく。非日常に突如として吹き込んだ日常によって、現実というバランスは急速にその脆さを露呈させ始める。
「あ……か、会長……?」
声の主。薄目で視線を横へと走らせれば見知らぬ女子生徒。否、自身は知らないとしても会長からしてみればそうではなかったようで。
「どうしたんだい? そんなに息を切らせて」
いつの間にやら立ち上がっている会長を僅かに開けた隙間から仰ぎ見ては、誰もが知る会長然とした立ち姿に思わず感嘆の声を漏らしそうになる。
変わり身の早さは勿論のこと。弁当箱もきちんとその手に提げられているところを見るに、会長はこうなることを想定していたのか、常日頃から備えていたのであろうことがうかがえる。
「あ……え……そ、その……」
会長に正面から真っすぐ見据えられては臆したように上手く言葉を切り出せない様子の女子生徒。明らかに場違いなこちらを盗み見ては、どこか会長と結びつけるように視線を右往左往させている。それでも現状からは何も見いだせないのか、女子生徒の混乱と困惑をそのまま反映するように会長とこちらとを行き来する視線の往復はどこまでも止めどない。
「ゆっくり。急ぐ必要は無いからね。私はいつまでも待つよ」
落ち着きのない女子生徒とは逆に、余裕綽々といった態度で行き過ぎたぐらいに堂々としている会長。おそらく状況に反した模範的な会長を大げさに演じることでこちらに向いた意識を強引に引きはがすつもりなのだろう。
「あの……」
「うん?」
躊躇いがちに口を開く女子生徒。会長は優し気な声色でそっとその先を促す。
「その方は……」
「その方?」
女子生徒は強引な会長の搦め手もとい、圧力にも屈することなく勇敢にも指摘する。
通常であれば会長の思惑通りに事が進んだのかもしれない。ただこと今回に限って言えば、自身も含め、例外なく目の前の女子生徒も持ち合わせている会長というイメージに対して、こちらという存在はあまりにもかけ離れ過ぎていたのかもしれない。
むしろ単純に結びつかなかったこちらを女子生徒は会長の意図とは別物として扱っている節すらある。会長に限ってこの微妙な差異に気づいていないとも思えないが、それでも強引な手法をあくまでも固辞し続ける理由は未だ想定の内ということなのか、もしくは別にこのままでもどうにか出来るという自信と算段でも持ち合わせているのか。
ただ一つだけ気になるのは、女子生徒に現在進行形で与えているその得も言えぬ圧迫感だけはどうにも会長らしくない。
「い、いえ……その、えっと……」
「はぁあぁあぁ……あ?」
会長は無理を通そうとしている。その結果として同時に泥をかぶろうともしている。理由は知る由もないが、その原因は当事者の一人として少なからずこちらにもある。
狸寝入りを決め込んでいる間に会長一人に貧乏くじを引かせることはない。むしろその役目は失うものの少ない自身にこそ相応しい。
離れた女子生徒にもよく聞こえるよう大っぴらに声を上げては、ベンチの上で寝返りでも打つように微かに身じろぎしつつ二人を一瞥する。
「君――」
会長がよすんだとこちらにだけ聞こえる声の大きさであからさまな制止を促している。
「あなたは……」
続け様に会長を飛び越えては、こちらへと向けられる女子生徒からの忖度のない疑問。あくまでも視線を交わすような真似はせず、空を見つめてはそれまでの一連の流れに終止符を打つ。
「……なるほどな」
女子生徒の問いかけは問いかけのまま。代わりに自身が何者かだけを端的に伝えては再び我関せずと目を閉じる。
「……え……?」
狙い通りの間の抜けた声。ひたすらに無言を貫いては沈黙を是として、それ以上何もないことを体現するように胸元で腕を組んでは呼吸の度にゆっくりと上下させる。
「……移動しようか。邪魔みたいだ」
会長は当然のようにこちらの考えていることなど見透かしていることだろう。ただその初動の遅さだけはどこか会長らしくもなかったような気がしないでもないが、事実。先ほどまでの妙な圧迫感も消え失せ、心なしか声色も軽くなっているような気がするのであまり深くは考えないことにする。
「え……えっと……」
女子生徒の混線した思考が紡ぐ困惑の言葉。目を閉じてしまった以上あとは静観することしかできないが、会長に任せておけば何の問題もないだろう。
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