第5話。変身しても少女は少女

「なぁ」


 もぐもぐ。


「なぁ」


 もぐもぐ。


「なぁってば」


 もぐもぐ。


「なぁっつってんだろ?」


「うおっ」


 教室。机に机をぶつけられては思わず弁当を片手に声を上げる。


「教科書。忘れたから見せろ」


 声の主に目を向ければ隣の席の……何だったか。忘れたがそいつはともかく同級生だ。いやクラスメイトなのだからそれは当たり前のことだろう。


「……普通そういう時は同性から借りないか?」


「折り合いわりぃんだよ。そのくらい察しろ」


「……」


 偉い高圧的というか。なんというか。下手に突っ込むとそれはそれで長くなりそうなのでここは適当に聞き流しておく。


「まぁ、そうか。そうだな」


 時計を一目見て。残り時間との兼ね合いで目の前の弁当を優先しつつも、一応の折り合いをつけるように机の中へと手を突っ込む。


「ほらよ」


 教科書を引っ張り出しては貸すというよりも押し付ける。


「用が済んだら机の上においておいてくれたらいい」


「はあ? 何だよそれ。こっちは別によこせっていってるわけじゃ――」


 そいつの言葉を遮るようにタイミングよくチャイムが鳴り始め、担当教師がこれまた見計らったように入室してくる。


「……お前もなきゃ困るだろ」


 何故か小声でこちらにささやいてくるそいつ。


「分かったから離れろ」


「……つけてないと見れないだろ」


「……そうかい」


 それで話は終わりだと残りの弁当を口の中にかきこんだ。






「君」


「……ふぁ……」


 昼休み。会長に横腹をつつかれてはいつもより早い目覚めを迎える。何事かと目を開ければ少しだけ不機嫌そうな会長の姿がそこにはあった。


「何だ。やけに楽しそうだな」


「……君。そういうことは言っていいことと言っていいことがあるんだよ」


「言っていいことしかないな。今のとこ」


「うん。正直に白状するとだね。君、浮気をしているだろう」


「浮気ってのはまず前提として特定の相手がいて初めて成り立つ単語なわけだが」


「あの女子とは一体どういう関係なんだい?」


「……あの女子とは一体……」


 まるで思い当たる人間がいないというのもまたどうかと思うが、今更そんなことを嘆いていても仕方がない。


「心当たりがないのかい?」


「まるでな」


「隣の席の瀬良さんとは随分仲良く授業を受けていたみたいだけれど?」


「誰だそのセラとかいう女子は」


「君の隣の席だと言っているだろう?」


「まぁそうなんだけどな」


 言われて思い返すが別に仲良くもなかった気がする。ただ言われるがままに教科書を貸して……貸して……貸してどうだったか。別に何もなかった気がするが……。


「妙に記憶が曖昧だな。もしかしたら記憶喪失かもしれない」


「後ろめたい気持ちがあるのなら正直に白状した方がすっきりすると思うのだけれど?」


「お前のことは覚えてるんだがな」


「……」


 不意に訪れる沈黙。一瞬目を開けようかと考えるが、指摘された手前その何とかという女子生徒についての記憶のサルベージに専念する。


「……全然印象に残ってないな」


 それだけははっきりしているというのだからきっと個性のない平凡な隣人なのだろう。


「なぁ。その何とかっていうやつはどんなやつなんだ?」


 あまりにも何も覚えていないのでふと気になって聞いてみる。きっと会長のことであるからにして、的確な人物像を言葉巧みに並べ立ててくれるに違いない。


「君。私は怒っているよ」


「は?」


 想定外の宣言に思わず間の抜けた声を上げてしまう。理由は勿論のこと知る由もないが、大方遊び半分に捲し立てられるか、笑いながら責め立てられるかのどちらかだろう。そう思っていたら何故か沈黙が降りた。


「どうした」


 最初は静かな怒りでも表しているのかと思ったのだが、それにしてはといつもの迫力と勢いが感じられない。


「ダメだ。今日はもうダメみたいだ」


「何が」


「許すよ。でも今回だけだからね」


「どうした」


「別に何でもないんだよ。君の隣の席の瀬良さんは控えめに言っても文武両道、容姿端麗。とても良識的な人で他校の生徒からも人気がある。ただそれだけなんだよ」


「ほう……?」


 会長にそこまで言わしめる、その……何だ。誰だ。その何とかという生徒はそこまでの逸材だったか。もしまた接する機会があればその一端でも垣間見てみたいものだ。


「そんなにすごい生徒が……って、ああ。なるほど」


 それでか。唯一残っている記憶の中で、同性と折り合いが悪いと言っていたことだけは覚えている。勝手な想像でしかないが、もれなくその生徒も出る杭として打ったり打たれたりを繰り広げたのだろう。


 ただそれにしてはピンピンしていたような気もするが……そういう意味でいえば会長はどうなのだろうか?


「君。一人で納得しているところ悪いけれど。そろそろ時間みたいだよ」


「ん? あぁ」


 震えていない携帯を手にしては真っ暗な画面を一人眺める。


「バッテリー切れか……悪いな。助かった」


「礼なんて。別にいいのだけれど」


 会長はいつも通りにと手を合わせては立ち上がる。


「充電しておくかい?」


「いや、あー……まぁ、いいや」


 授業が終わるまで数時間。言い換えるならば帰宅するまで数時間。生徒会室に備品があるのは知っているが、特に充電したところで用もないのに会長の手を煩わせることはないだろう。


「そうかい? ならいいのだけれど」


「ああ。ありがとな」


「……今日の君は少し変な気がするけれど」


「そうか?」


 こちらを置いてゆっくりと歩き出す会長。後を追うようにベンチから立ち上がり、その背中へと先ほどから気になっていたことをこの際だと聞いてみる。


「なぁ。お前も叩かれたりしてきたのか?」


「……私は叩かれもしない。そんな悲しい人生をついこの間まで送ってきていたところだよ」


「人知れず、か。なんか、あれだな。魔法少女みたいだな」


「……そんな風に思うのは君くらいだよ」


「だってあれだろ? 人知れず世界の平和を守る、みたいな」


「ふふっ。私は別に世界の平和を守っていたわけではないのだけれどね」


「やっと笑ったか」


「君……」


「やっぱ会長はって――」


 何故か急に走り出す会長。ものの数秒でその背中は見えなくなる。


「……会長の面目躍如ってところか」


 鳴り始めたチャイムを前に流石は会長だと小さく笑ってみせては、再びその後を追うように走り出した。

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