第6話。リコピン

「八方美人」


 会長はふとそう思い出したように口にする。


「いや何が」


「私が」


「……」


 それは思い過ごしではなかろうか。そう思ったところで一概に否定できないところが会長らしいというより、実際のところ会長は四方八方に体裁が良いのである。


「不服かい?」


「いや全然。まったく。納得」


「何だいその箇条書きにも満たないぶつ切りの感想は」


「いやいや。会長ならそう思われて当然だろうなと現在進行形で今一度確認し直したところだよ」


「そうかい?」


「そうだよ」


「……君」


「何だ」


 会長はこちらの脇腹を指先でちょんちょんと何やらつついている。


「私は、その、何だろうね。どうやら君がどう思っているのかを知りたがっているらしい」


「つまり?」


「君。そこで要約を求めるのは少し意地悪が過ぎると思うのだけれど?」


「いやいや。なんのことやら」


「ふぅん? 何なら今から君の恥ずかしい過去を一つずつ口にしていってもいいのだけれど?」


「いやいやいや。いつから俺の過去は恥ずかしいものになったんだ」


「人は誰しも知られたくない過去の一つや二つ、持ち合わせているものだろう?」


「お前にはあるのか?」


「この先数年後。こうして君のことを思い返す頃にはそうかもしれないね」


「時間の流れってのは偉大だな」


 何歳かは知らないがそういえばそういうこともあったと自分にも昔を懐かしむような時がいずれ来るのかもしれない。


「何を勘違いしているのか知らないけれど」


 遠い目をするこちらに対して何やら否定的な物言いの会長。目の前に差し出されるプチトマトは昼過ぎだというのに未だ取れたてのような艶やかさを保っている。


「トマトは苦手なんだ」


「トマトはそうでもないみたいだけれど?」


「……」


 会長はあくまでも俺にプチトマトを食べさせる気らしい。


「せめてヘタはとってくれ」


「まさか指で取れだなんていわないだろうね?」


「いや指以外でどうとるんだよ」


「うーん? まっ、仕方ないね」


 会長は思いつかなかったのかおもむろに口元へとトマトを近づけては、ぱくり。


「いやお前が食べるのかよ」


 赤い球体から緑の笠をぷちり。平気な顔をして頬を緩ませている。


「言い忘れていたけれど」


 会長は指先にヘタをつまんではこちらに突き出してくる。


「実は私もトマトはあまり得意ではなかったりするのかな?」


「美味そうに食ってるけどな」


「皮を破った瞬間に溢れてくる瑞々しい果肉。そして広がる爽やかな酸味と鼻を抜けていくまるで取れたてのような青々しさ」


「今のところ絶賛だな」


「少し前まではそうでもなかったのだけれどね」


「そうなのか?」


 会長の言う少し前。それが一体どれほどの期間を指し示しているのかは分からないが、それはともかくトマトは体にいいとよく耳にする。


「分からないかい?」


「何が」


 会長は少しだけ頬を緩めては優し気な眼差しをこちらに向けてくる。


「君がトマトのことを食べてもいいと思えるようになったら教えてあげるよ」


 会長は意味不明なことを並べたてている。ただ一つだけ言えるのは別にトマトは苦手なだけで食べられないわけではない。


 むしろ進んで食べていないだけで何かにつけて目にする機会の多いそれは苦手なだけに印象強く、他の野菜と比べても遜色ないぐらいに食べているような気さえするのだから自分でもよく分からない。


「ふふっ。何なら今食べてもいいんだよ?」


 会長はほらっと、また一つの赤い果実を弁当箱から取り出しては目の前に差し出してくる。


「言っとくけど嫌いなわけじゃないからな?」


「分かっているさ」


 会長はいつになくニコニコとしている。


「楽しそうだな」


「そう見えるかい?」


「とりあえずトマトは食べていいぞ」


「そうかい?」


「あぁ」


「実はこのトマト、マグネットだったりするんだよね」


「食えねえじゃねえか」


「今はね」


「いずれマグネットが食えるような時代が来るのか……」


「間違えないように気を付けるんだよ?」


「間違えても差し出すなよ?」


「それなら安心だ」


「たった今差し出した奴の言葉とは思えないな……」


「ふふっ」


 会長は頬を緩めてはそのマグネットを口に放り込む。


「……トマトじゃねえか」


「あっ」


 会長は口元を押さえては思わずといった具合に声を上げる。傍から見ていてももうトマトなんだかマグネットなんだかよく分からない。


「ヘタごと食べてしまった」


 会長はしまったという顔をしながら口元を押さえてはどうしようとこちらに視線を送ってきている。


「……やれやれ」


 応えるように目を閉じてはそのまま飲み込むなりヘタを取り除くなり好きにしろと暗に告げる。


「一応言っておくのだけれど」


「何だ」


 目を瞑ったままその先を促す。


「私は天然ではないからね」


「その方が恐ろしいな」


「実はヘタは始めからついていない」


「そういわれればそうかもな」


「本当に?」


「意外と可愛げがあっていいじゃないか」


「そう言ってくれるのは君だけさ」


「八方美人も上と下には隙があったってことだろ?」


「変態」


「何が!?」


 思わず目を開けて叫んだところに三つ目のプチトマトを放り込まれた。味どうこうよりもヘタが付いていたことだけが何よりも気がかりで仕方ない。

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