第21話 キャンプ日和

 梅雨も明けて夏休みに入り、蝉の鳴き声が辺りを賑やかにしている頃、僕は玄関先で母さんに抱きしめられていた。


 「私を置いて行くなんて、蓮ちゃんのいけず~」


 「もういいから離してよ。約束の時間に遅れちゃうから」


 おいおいとわざとらしく泣き真似をする母さんの腕を振り解く。今日は待ちに待っていたイベントがあるのだ。夏休み前に決めた計画の一つで、皆でキャンプをする事になっている。提案した本人の暁彦は、ぎりぎりの合格点を叩き出し無事に補習を免れたのだ。あれだけ、教えたのにぎりぎりだったのには少し不満もあるけれど、この際どっちでも良かった。


 何とか熱い抱擁から抜け出した僕は、そのまま玄関の扉を開けようとすると、再び呼び止められた。


 「確認なんだけど、私との約束覚えてる?」


 キャンプの事を母さんに言った時に守って欲しい事があると言われた。確かあの時母さんは――。


 「羽目を外さない様にでしょ、それから危険な事はしない様にだよね。分かってるって、もう子供じゃないんだから」


 「でも、大人でも無いでしょ? 女の子も一緒だからって粗相をしては駄目よ。蓮ちゃんに限ってそれは無いと思うけれど……」


 「そ、そんな事しないって! もう、行くからね」


 多感な男子高校生に何て言い草だと心の中で呟いた。玄関を開けると同時に、むわっとした熱気と蝉の鳴き声が合唱しているのが聞こえる。目を細めながら雲一つ無い空を見上げ、僕は集合場所へと足早に歩きだした。


 この間の話し合いで集合場所は学校前の大通りに決まった。僕の家からそこに行くには一華さんの家の前を通り過ぎるから、途中から一緒に行く事になっている。


 一華さんの家が見えてくると表に、麦わら帽子を被ってノースリーブの白いワンピース風の服に身を包んだ一華さんが立っていた。決して本人の前で口には出来ないけれど、知らない人が見たら小学生かと思う事だろう。


 僕に気付いた彼女は気だるい口調で僕を迎えてくれた。


 「やっと来た。もう、暑くて倒れそうだったんだからな」


 「ごめんごめん。母さんがしつこくって――。暑かったなら家の中にいれば良かったのに、どうして外で待ってたの?」


 「そ、そんな事どうだって良いだろ。早く行かないと今度は海崎が倒れるかもしれないぞ」


 何かを隠すようにそう言い捨てて、玄関先にちゃんと用意してある荷物を取りに行った一華さんを見て僕はくすりと笑みが零れるのだった。なんだかんだ興味ない振りして楽しみだったんだな。


 一華さんの今度の荷物はお婆さんにこれでもかと詰め込まれた荷物では無く普通のそれだった。その荷物の攻防が激しかったんだと海崎さんとの待ち合わせ場所に着く間、身振り手振りで話してくれた。


 遠目から手を振って近づいて来る姿に気付いて、僕達は駆け寄った。


 「おはよう。佐野君に一華ちゃん」


 海崎さんはオーバーオールにTシャツというラフな感じの私服で、顔には太陽を張り付けた様な笑顔だった。僕は無意識のうちに心の声が漏れてしまった「似合ってるね」と――。


 それを聞いた彼女は、絵に描いた太陽みたいに赤くなり恥ずかしそうに「ありがとう」と呟いて伏してしまった。そこでようやく僕は自分が言った言葉が多感な青年少女には恥じらいを覚えさせるものだと気付いたのだった。


 「いや! 違うんだよ。似合ってるのは本当だけど、別にそのっ――なんて言えばいいんだろう」


 どう言えば伝わるのだろうかと、しどろもどろしていると隣にいた一華さんから肘鉄を喰らうのだった。全く意識していない場所からの手痛い攻撃に、僕は一瞬呼吸が出来なくてその場でうずくまる。


 「えっ? 一華ちゃんどうしたの?」


 不思議そうに一華さんへ目を向ける海崎さんの顔は、驚きによって元へと戻っていた。


 「私は出会い頭に何にも言われなかったから何となくムカついた」


 ふんと鼻を鳴らすようにそっぽを向く一華さん。それを聞いた海崎さんは、そっと僕に近づいて耳打ちしてくる。


 「出掛ける時の女の子は色んな努力しているんだから、何か言ってあげないと駄目だよ。ちょっと恥ずかしかったけど私は凄く嬉しかったし」


 そう言って離れ際に見た彼女のはにかんだ顔は、また熱を帯びていた。


 呼吸も落ち着いてきた僕は立ち上がって一華さんに声を掛ける。でも、何て言えばいいんだろう? と、思案するもそう簡単に言葉の引き出しは開いてくれない。


 「ごめん、一華さん。もちろん、一華さんも(子供っぽい感じが)可愛いよ」


 「今更言われてもな」


 そう言ってそっぽを向く一華さんの表情は読み取れない。困った顔で海崎さんに助けを求めると彼女は、くすくすと笑っていた。


 僕は首を傾げてその様子を訝しんでいると彼女が告げてきた。


 「大丈夫だよ。耳を見たらわかるから」


 一華さんの方を見ると耳がほんのり赤くなっていた。ああ、怒っている訳じゃ無かったのか。照れ隠しでそっぽを向いたんだと理解できた。


 そんなやり取りがありながらも、暁彦達を待たせたら悪いと足早に合流場所を目指した。


 「おせぇぞ。こいつが五月蝿くて蒸し暑さが倍増したんだぞ」


 暁彦が指さす先には、ガードレールに持たれ掛かった友原さんの姿があった。


 「暑くて溶けそう~。揃ったんなら早く車に乗ろうよー」


 いつものように一華さんを視界には捉えるも、暑さのせいでくっつく気にもならないのだろう。


 「それもそうだな。じゃあ、早速行くか! 親父! 皆揃ったから行こうぜ」


 暁彦が振り返った先には、アウトドアが似合うSUV車が停まっていた。車のウインドを除くと、目鼻立ちが整った五十路手前くらいのおじさんが会釈していた。此の親にして此の子ありとは良く言ったものだと感心した。暁彦の雰囲気から顔立ちまでそのまま歳食ったように似ていたのだ。


 車内に荷物を積み込んだ僕達は、お行儀良く暁彦の父親に挨拶をしてから今後の流れについて話し合った。


 事前に聞いていたのは、キャンプ地――暁彦の家が所有する別荘地に向かう事になっている。別荘地と言っても大それたものでは無く、県境にある親戚の空き家に行くだけだ。家は誰かが住まなくなると、直ぐに駄目になるそうで定期的に見回りに行くのだとか。その家の近くには川があり、夕暮れ時には蛍が舞うらしい。


 僕は経験した事の無い遠出に胸が高鳴り体温が上昇するのを感じ、車内のクーラーがやけに気持ち良く思えた。

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