第19話 アルバイト

 体調も良くなった僕は、再び学校へと通い始めた。僕の姿を見かけた暁彦や友原さん、見舞いに来てくれた海崎さんに一華さんまで寄ってきてくれた。


 それが僕には単純に嬉しかった。平凡な僕の周りに集まってくれる彼、彼女達の存在に暖かな心地良さを感じる。


 合宿の時以来、クラスメイトの間では人気者の海崎さんを助けと尾ひれがついて噂になり、凄い奴だと一目置かれるようになっていた。そういう空気もあり、僕の周りには常に人の影があった。


 僕達は合宿から数日経って、授業にも慣れ始めた頃。いつもの様に昼食を取っていた。その時、毎回初めに声を上げるのは暁彦だった。


 「はぁ~、午後の授業面倒くさいな。そうだ! レンレンはどこに入部するか決めた?」


 「部活の事? それなら、僕はもう決まってるよ。海崎さん達はどう?」


 「私は迷ってるの、色々見て決めたいかな」


 食べる手を止めて、選びあぐねている仕草をしていた。


 「もちろん私は夢莉と一緒の所が良い! 当然一華ちゃんも一緒だよね?」 


 軸がブレないと言うのはこういう事を言うに違いない。友原さんは何の躊躇も無く言い放った。それを受けて、一華さんはあからさまに嫌そうな態度を取っている。


 「家でゲームしたいし、帰宅部で良い」


 乾いた笑い声で海崎さんは一華さんを諭す。


 「一華ちゃん、帰宅部は部活じゃ無いからね。そういえば佐野君は、決まってるって言ってたけど何するの?」


 確かに言ってたなと皆一斉に僕の方を見て来た。そもそも、部活に入る予定が無いのに注目されると、言い出しにくいな。


 「実は一華さんと同じく帰宅部を考えてる」


 「何でだよレンレン。帰宅部より俺と一緒の部に入ろうぜ! 絶対楽しいって」


 あの合宿での友達宣言があってから、僕と暁彦は傍にいて当たり前といった仲になっていた。そんな僕が部活に入らないと言ったのが不満なんだろう。僕を説得しようと食い下がって来る。当然、僕だって出来る事なら暁彦と部活を楽しみたい。


 だけど、僕には他にやりたい事があった。


 「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、高校に入ったらバイトしようって思ってたんだ」


 「バイト? 何か欲しい物でも――」


 暁彦は何かに気付き口を噤んだ。僕の家が母子家庭なのを組んで察してくれたのだろう。その心遣いに感謝しつつ僕は続けた。


 「あっ、もちろん、まだ決まった話じゃ無いからわからないけどね」


 それなら仕方ないなと暁彦は肩を竦めて返事をしてくれた。


 「佐野君は考えてるなー。うーん、アルバイトか」


 「夢莉は駄目よ。私と一華ちゃんとで一緒の部活に入るんだから」


 「私の話聞いてたのか? 私は帰宅部って言っただろ」


 いつもながらのやり取りで、騒がしく昼時間を過ごすのだった。


 学校が終わり、部活巡りをする佐野達と別れて僕は帰宅した。しばらくすると、母さんが帰って来たので、夕食の準備を進めながらバイトの件を聞いてみた。


 母さんは包丁をまな板の上において、眉間にシワを寄せる。


 「うーん、それは助かるのだけれど、蓮ちゃんは学生なのよ。ママとしては学校生活を楽しんで欲しいわ」


 「それはそうだけど……。少しでも負担が減らせれたらって思ってるんだよ」


 「バイトと言ってもね、お金が絡むのだから、その責任の重さは分かっているの?」


 「もちろんだよ」


 じっと目を閉じて考え出す母さん。それを僕は静かに待った。


 「分かったわ。でも、いくつか条件があるの」


 無理の無い範囲でバイトする事や学生の本分に支障が無い事を割と細かく言っていた。満足したのか軽く溜息をついて、しみじみと話し出した。


 「いつも顔を合わせているのに、急に人が変ったみたい――。嬉しい反面少し寂しくもあるわ」


 ぐつぐつと沸き立つ鍋に気付いて、僕は慌てて火を止めた。


 「僕は……僕だよ」


 自分で言っていて歯切れの悪さを感じた。この場に存在する僕は以前の僕と同じなのか? その疑問が一瞬頭をよぎったからだ。


 「えっ? お兄ちゃんアルバイトするの?」


 放課後にバイトする事になるから、妹はたまに一人で家過ごす事になるだろう。先程、帰って来た妹にもバイトする事を伝えた。


 「いいなぁ、愛も高校生になったらアルバイトしよっかな。どこでするの?」


 「目星はあるんだ。通学途中にある喫茶店に張り紙が貼られていたから、そこに聞いてみようと思う」


 「ああ、坂本さんのお店ね。あそこなら知り合いだから、ママも少しは安心できるわ」


 後日の放課後、僕は母さんを連れだって例の喫茶店へと赴いた。本来であれば、未成年の僕は親の同意書を持参すれば良いのだけど、どうしてもついて来ると言って聞かなかった。


 アルバイトを認めて貰った手前、変に否定してはヘソを曲げられてしまうかもしれない。僕は渋々同行を許したといった感じだ。


 店先に到着して扉を開ける。カランカランと心地良い音色を奏でた。僕達の姿を視認した店員は颯爽と近づいてきた。


 「いらっしゃい――。ち、千佳子ちかこさん! どうぞこちらの席へ」


 「今日は客として寄った訳じゃ無いのよ。うちの子がアルバイトしたいって言うから」


 店員は母さんの隣にいる僕に目を向けると、目を輝かせて一言こういった。


 「千佳子さんの息子さん? ――採用です」


 「ちょっと待って、全然理解できません。面接は? 勤務時間とか細かく聞かなくて良いんですか?」


 店員はぐいっと胸を張った。良く見るとスラっと高身長で、学がありそうな顔立ちに三十半ばだろうか落ち着いた雰囲気を漂わせている。


 「何も問題は無いさ。挨拶が遅れたね、ここの店主で坂本薫だ。これから宜しく」


 実は名前は知っていると思いながらも、それに釣られて僕も挨拶をした。立ち話も悪いと言って、坂本さんは僕達をカウンターに座らせると、手慣れた手つきでコーヒーを淹れる。店内にコーヒーの香りが充満すし、それをすっと僕達に振る舞ってくれた。


 「千佳子さんどうぞ。これは店からのサービスです。はい、蓮君にも」


 「あら、悪いわね。折角だから頂きましょう」


 この二人の関係性に不信感を抱きながらも、差し出されたコーヒーに目を向ける。あの事件の前日もこのコーヒーを飲んだなと思い出す。


 「美味しいです。すごく飲みやすい」


 「気にいってくれたかい? 独自ブレンドだからここでしか味わえないよ」


 鼻に抜ける香りがほっと心を穏やかにしてくれた。今なら先程の疑問も聞けそうだ。


 「母さんと坂本さんってどういう関係なんですか」


 坂本さんの落ち着きはどこへやら、どぎまぎと慌てふためいていた。


 「ど、どどど、どういう関係って――」


 「ただの馴染み客と店主よ」


 「そっ、そう……ですよね」


 冷静に言い切る母さんの言葉を聞いて、坂本さんは胸に矢でも刺さったように、うっと胸を押さえていた。俯いたて動かなくなった彼は哀愁を漂わせていた。


 「あら、いけない。そろそろお暇しないと、コーヒー美味しかったわ。また、寄らせてもらうわね、ありがとう」


 いつもの華やかな笑顔で母さんは坂本さんにお礼を言った。すると、どうした事だろう、先程までの落ち込み具合から想像も出来ないくらい店主は太陽のように眩しい表情をして見送っていた。


 僕は一人残って、バイト内容を聞いた。


 「ここは見ての通り喫茶店だ。簡単に言うとお客様に飲み物を提供したり、軽食を振る舞うのが仕事さ」


 「作る物にも寄りますが、料理ならそれなりに作れます」


 「そうなのかい? それなら助かるよ。しかし、その歳にしては珍しいね。千佳子さんの為かな?」


 僕は照れくさくなりあえて言葉にせず首を縦に振って返事をした。


 「恥ずかしがる事はないさ、料理が出来る男はモテるんだ。蓮君は恋してるか? 恋は良いぞ、一目その人を見た途端に動悸が激しくなって、元気が身体から溢れて来るんだ」


 途中まで良い事を言っていたと思うのだが、坂本さんは遠くの天井を眺めながら陶酔している様子だった。薄々、感づいてはいたけれど、この人は母さんに恋という感情を抱いているに違いない。


 しかし、母さんはどう思っているのだろう。父の姿は僕の記憶に無いけれど、きっと母さんにそのつもりは無い。むしろ、母さんが女に変わる瞬間なんて、考えたくも無いと言うのが正直な所だ。名前で呼ばれる所を見るのですら、心がざわざわする。


 「あ、あの~、それでいつから来れば良いでしょうか?」


 僕の呼びかけで我に返った坂本さんは、明日からでも良いと言ってくれた。続けて、一通りやってみないと分らない事も多いだろうとも言っていた。


 それもそうだなと思い早速バイトは明日からと言う約束をして僕は家へと戻っていた。


 恋か――、店主さんの楽しそうに話す姿が頭に浮かんだ。落ち着いた雰囲気の大人が、母さんの前では言動や仕草の一つ一つで一喜一憂していた。


 そんなにも恋と言うのは心躍るものなのか、いつか僕にもそんな相手が出来ると良いな。帰り際に「お父さんって要らないかな?」と坂本さんが言うので母さんが必要だと思えばと軽く流しておいた。

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