第18話 お見舞い2
この声は――。ああ、何かややこしくなりそうな気がする。そう思ったのも束の間、手洗いを終えた妹がリビングへと現れた。
「あらあら、蓮ちゃん。熱はもう良いの? あっ、今は別な事にお熱な様子ね」
愛はにんまりとした表情をしながら母さんのモノマネをして入って来た。本人も言いそうなセリフを言うのはやめて欲しい。
「お邪魔してます。佐野君の同級生で海崎夢莉です。お見舞いに寄らせて頂きました」
「これはご丁寧に不躾な兄がいつもご迷惑をお掛けしています。妹の愛です」
海崎さんに対して深々と頭を下げている。もう見ていられない、収拾がつかなくなりそうだ。
「いい加減母さんのモノマネやめてよ。それにどこでそんな言葉覚えたんだよ。テレビの見過ぎじゃないのか」
飲み物を入れたマグカップを持って、僕は間に無理やり割って入った。
「別に良いじゃん。お兄ちゃんのお見舞いに女の子が来るなんて、明日隕石が降ってくるかもしれないんだよ。あっそうだ、宝くじ買いに行かなきゃ、一等間違いないよ」
そんな僕達のやりとりに海崎さんは、つい失笑を溢していた。急に気恥ずかしくなった俺は話をそらす。
「うるさいな、そこまで言う事無いだろ。それより、もう一人にも挨拶したのか?」
妹はもう一人? と疑問符を浮かべた表情で辺りを捜索して、ソファーの背もたれの陰に隠れた一華さんを発見した。
「海崎さんの妹さん? そんな訳ないよね、同じ制服着てるし」
「今、小さいと思っただろ? まあいい、私は大人だからな名前は菊林だ。菊林一華、同じく同級生。それと勘違いして貰っては困る、私は見舞いに来た訳じゃない、頼まれ事のついでだ」
一華さんは妹に対して変な負けん気を放っていた。妹は女子二人が見舞いに来た事を勘繰って意味有り気に挨拶する。
「なるほどねぇ、そうなんだ。宜しくね、一華ちゃん」
そんな妹を尻目に僕は手に持っていたマグカップを一華さんにも手渡した。その光景を見ていた妹が、唐突に口を開いた。
「ところで、昨日お兄ちゃんが助けた子って、どっちなの?」
僕はゆっくり啜ろうとしていたマグカップを、傾けすぎて舌をやけどしてしまった。当事者の海崎さんも一瞬、びくっと反応したように見えた。
「昨日、散々聞いて来たのに飽きない奴だな。そんなのどうだって良いだろ」
「だって、何だかんだはぐらかして結局教えてくれなかったじゃん」
こんな別に良い思い出でも何でもない事を言い触らす意味は特に無い。そう思い、大雑把にしか説明はしていない。何しろ当事者のいるこの場で掘り返すような話では無かった。
海崎さんはマグカップを机に置いていきなり頭を下げた。
「ごめんなさい。私のせいで、佐野君を巻き込んでしまいました」
立ちどころに気まずい雰囲気が場を覆った。この空気を変えようと妹は慌てて取り繕う。
「なはは、それは気にしてないよ。ただ、人に関心を示さなかったお兄ちゃんが、助けた人ってどんな人か興味があっただけだから」
妹の乾いた笑いだけが、リビングに寂しく轟いた。その様子を一華さんは飲み物を啜りながら見ている。困惑した表情で妹は僕に訴えかけてくる。――ったく、人に関心を示さなかったって言うのは余計だと思うけど。
「本当に気にしなくて良いから。海崎さんのせいじゃないよ」
「蓮の言う通りだ。私なんか昔、かくれんぼで誰にも見つけられなかったぞ。それに比べれば海崎は良い方だ」
珍しく一華さんがそれらしい事を言っている。かくれんぼで誰にも見つけられないと言うのは非常に残念に思えるが、話題を変える為に一華さんには悪いけれど、その話に便乗する事にした。
「確かに一華さんは見つかりにくそうだね」
「蓮まで私を馬鹿にするのか」
「頭撫でないだけマシだと思うけどね」
「それは言えてるよね」
海崎さんはそう言ってほくそ笑んでいた。どうやら、少しだけ元気が戻ってきたようだ。それから妹は海崎さんに謝り、一華さんを交えて高校の事を聞いていた。自分も来年には、同じ高校に入るから気になるのだろう。
すると、ただいまーと再び声が上がった。ああ、やっと一段落した所なのに、またややこしい人が帰って来てしまった。
「愛ちゃん、お友達来てるのー?」
リビングの戸を開けながら母さんは入って来た。僕と同じ高校の服を着ている二人を見て、感づいた母さんは静かに目尻にシワを作り、口角を上げていた。
「あらあら、蓮ちゃん。熱はもう良いの? あっ――」
「その先は言わなくても、さっき聞いたから」
母さんは「どういうこと?」と、首を傾げながら愛に説明を求めていた。その様子を僕達は顔を見合わせて笑いあった。
母さんが帰って来たって事は、外は夕暮れから夜へと変ろうとしている。海崎さんの家族に至っては、あまり帰りが遅くなり過ぎると先日の事もあって心配だろう。
「ごめん、長居させちゃって、そろそろ帰る?」
「うん、こっちこそ病み上がりで押しかけてごめんね」
「キンカン食えよ。祖母ちゃんのは私専用で特別甘いからな」
合宿の時に甘いのは正義と言っていたから、一華さんの言う通り甘そうだ。まあ、長く保存させようと思ったら砂糖が多くなるのは仕方ない。お婆さんが一華さんへ向ける愛情の分だけ甘いのだろうという事にしておこう。
玄関先で別れの挨拶を交わしていると、後ろから母さんが出て来た。
「事情は聞いたわ。今日はわざわざありがとうね。もう直ぐ暗くなるわ、蓮ちゃん二人を送って行ってあげなさい」
「えっ、僕は病み上がりなんだけど」
「そうですよ、私達なら大丈夫です。途中まで一緒に帰れますから」
僕に気を使って、優しい言葉を海崎さんは掛けてくれた。なのに母さんは悲恋物のヒロインにでもなったかのように嘘くさい演技で僕をまくしたてる。
「ああ、何て事! こんなにも可愛らしい少女が寒空の中を歩いて行こうと言うのに、我が子は暖かい室内で――」
「行きます! 寝てばっかりで、少し体を動かしたくなったから行ってきます!」
「あら? そう、気を付けて行ってらっしゃい」
全くもって白々しい、あの演技止めなかったらどこまで続いていたのだろうかと思うと寒気がする。僕は自転車を押しながら歩幅を合わせて二人と歩いた。
「海崎さん足は痛くない?」
家を出てから、片足をひょこひょこ歩き辛そうにしていた海崎さんを見て声を掛けた。
「足首固定しているから歩きにくいだけで、歩く分には痛くないの」
「でも、無理しないで痛むようなら自転車の後ろに乗っても良いから」
う、うんと伏し目がちに彼女は頷いた。
道中、学校での話になり友原さんと暁彦も見舞いに来たがっていたようで、残念ながら二人はバスの時間があるから断念したそうだ。僕のスマホを確認すると暁彦からメッセージが入っていた。遅くなっちゃったけど家に帰ってから返信しておこう。
それから僕の家の住所は担任に聞いたらすんなり教えてくれたと言っていた。それを聞いた僕は個人情報漏洩なのでは無いかと思うも、一華さんの時も教えてたっけ。
そろそろ、一華さんの家に着くと言った所で声を掛けられた。
「明日は、学校来れるのか?」
「この感じだと大丈夫。どうしたの急に? 明日何か特別な授業あったっけ?」
「いや、そういうわけじゃ――。じゃ、明日な」
そう言って一華さんは小走りで帰って行った。それを見ていた海崎さんは、くすくすと口を覆って笑っていた。
「えっ? 何か可笑しい所あった?」
「いや、違うの実はね――」
彼女は時折思い出し笑いをしながら話してくれた。
一華さんが学校に始めて来た時以来、僕達は食堂で五人揃って昼食を取っていた。それで、今日も何と無く同じ様に食堂で集まって居たそうなのだ。いつもは僕の隣の席に座る一華さんだったが、僕が居ない場所に友原さんが座って一悶着あったらしい。
先程の会話で、海崎さんは昼間の事を思い出して吹き出してしまったと言う訳だ。
ああ、なるほど、明日は安心して昼食が食べられるか心配だったのか。そう考えると、少し笑えて来るな。
「そうそう、言おうと思ってたんだけど、佐野君のお母さん明るくて面白い人だね」
玄関先での出来事を思い出しているのだろうか、彼女の顔が綻んでいた。
しかし、僕はその言葉を聞いた瞬間、胸の奥でチクリと痛みを感じた。病み上がりだからかな? まだ、本調子じゃないみたいだ。
「いちいち、大げさなだけだよ。それより、海崎さんの家まだ先?」
「うーん、もうちょっと距離あるかな」
「あんまり、遅くなったら親が心配するだろうから、ここに乗ってよ」
自転車の後ろを手で叩いて、海崎さんに乗る様に促した。先程の胸に違和感も感じたし、大事を取って早く帰ろう。それに海崎さんの足も気になる。
彼女は躊躇した末に、そっと腰を降ろした。それを確認した僕はぐっとペダルを踏み緩やかに回し始めた。
後ろから名前を呼ばれて、僕は自転車を漕ぎながら耳を傾けた。
「二人乗り慣れてるね。私の他に誰か乗せた事あるの?」
「たまに妹か母さんぐらいしか無いよ。僕をタクシーか何かだと思ってるみたい」
あのお母さん達ならそんな風に思って良そうと海崎さんも同調していた。その後、彼女は家に着くまでの間、僕の後ろで鼻歌を奏でていた。
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