第17話 お見舞い

 自由時間の鬼ごっこの結果は、一応、一華さんの勝利という事で決着がついた。ただし、海崎さんの件があったから誰にも見つけて貰えなかったそうだ。不戦勝と言った所だろうか。


 一華さんの家の前まで着いた所で、僕は自転車に跨り行こうとすると呼び止められた。


 「もし、私があの子と同じ様になったら、探してくれるか?」


 あの子と言うのは海崎さんの事だ。あれは僕に非があると思ったから行動した。僕はアニメに出てくるヒーローじゃない、誰にでも同じ行動は取れないだろう。だけど、僕と関わってくれた親しいと感じる人達ならば同じ事をするだろうな。


 「一華さんなら探すと思うよ」


 「そっか……悪かったな、変な事を言って、またな」


 そう言って彼女は家に駆け込んでいった。どうして、そんな事を聞いて来るのか分からないけど、彼女の表情はゆるんでいたようにみえた。


 家の扉を開けると母さんがいきなり抱き着いてきた。


 「ああ、蓮ちゃん無事で良かった。先生から連絡があった時は、心臓が止まるかと思ったのよ」


 母さんの目は充血し、瞼がぷくりと膨らんでいた。


 「心配かけてごめん」


 僕達はしばらくの間、玄関で抱擁していた。すると、愛がリビングからひょっこり顔をだして来た。


 「お兄ちゃんが行方不明になった訳じゃ無いのにママは大げさだよ」


 「そうだよ。そろそろ、荷物置きに行きたいんだけど」


 いやいやと駄々をこねる子供の様に首を横に振って、今度は顔を良く見せてと僕の頬を手で押さえて来た。その時、母さんの指先からは独特の匂いが漂ってきた。


 それに気づいた僕は妹に尋ねる。


 「愛、今日のごはん何?」


 「んー? ハンバーグだけど?」


 それを聞いた僕は母さんへと目を向ける。僕の目線を母さんは顔を背ける事で回避していた。僕達の間に数秒の沈黙が流れた。


 「もう放してよ。母さんの手、玉葱臭いし僕の純粋な気持ちを返してよ」


 おどけた様子で母さんは僕の顔から手を離した。


 「最近の蓮ちゃん中々甘えてくれないんだもの、少しくらいスキンシップしても罰は当たらないわ。それに心配していたのは本当なんだから」


 はいはいと軽く受け流して、僕は洗濯物を洗濯カゴへ入れたり、自室で着替えたりした。


 僕の事を思って泣いていたのかと思えば、玉葱の微塵切りで涙していたとは思いもよらなかった。それを利用して僕に抱き着いて来るとは中々の女優だ。


 別に反抗期と言う訳じゃない、どちらかと言えば母さんの事は好きだ。だけど、年頃の僕としては少し距離を置きたいと思うのは当然なのだ。


 一通りの用事を済ませた僕はリビングへと向かった。今日は色々動き回ったから腹ペコだ。時計の針を見ると、いつもより夕食の時間が遅い。母さんが仕事へ向かわないといけない時間だった。


 「母さん時間大丈夫なの? 仕事に行く時間じゃ?」


 「ああ、今日はパート仲間の人が替わって欲しいって言うから休みなのよ」


 食卓に料理を並べながら、母さんは言っていた。その言葉を聞いて、心配していたのはあながち嘘では無かったのかと考えた。


 「それにしても蓮ちゃんが行方不明の生徒を見つけたんだって? 母さんは鼻が高いわ」


 「ねぇねぇ、お兄ちゃん。その生徒って女子? 女子なの?」


 彼女達の矢継ぎ早の質問は、夕食時から僕がベッドに入るまで終わる事は無かった。


 翌朝、僕は人生で二度目の寝坊をしてしまった。寝坊と言っても、目は覚めていたけれど身体がだるくて起き上がれなかったのだ。


 「あらあら、三十八度近く熱があるわね。体調はどう?」


 「大丈夫だよ母さん。多分、昨日の疲れが残ってるだけだから、寝てれば良くなると思う」


 「そう、それじゃ学校には連絡しとくわね。体調が悪くなったら、いつでも私に電話するのよ」


 そう言って母さんは部屋を出て行った。


 昨日、雨に濡れたまま走り回ったせいだな。改めてベッドに深く潜った。あれから海崎さんは大丈夫だったのか、今日は学校に行ったのだろうかと考えながら瞼は重く閉じていった。


 次に目が覚めた時、昼はあっという間に過ぎて夕方が来ようとしていた。傍にある体温計を寝ぼけ頭で脇に挟む。


 「三十六度八分。まだちょっと高いかな」


 じんわりと湿った寝間着に気持ち悪さを感じて着替えた。今朝よりか大分体調も良くなり、お腹も減っていた。傍にあったスポーツ飲料は空になっていたので、水分補給の為に台所へと向かった。


 ピンポーン。呼び出し音に気付いた僕は、台所へ向かう足を止めて玄関へと方向を変えた。誰だろう? 配達員の人でも来たのかな?


 玄関扉のサムターンを回して扉を開くと海崎さんと一華さんの二人が立ち並んでいた。僕はいきなりの訪問に驚きを隠せなかった。


 「えっ、海崎さんに一華さん。どうして?」


 「風邪を引いたって聞いて、佐野君がそうなったのは私のせいだからお見舞いに」


 「私はあれだ。祖母ちゃんがこれ持って行けって言うから、仕方なく」


 そう言って手に持っていた袋を突き付けて来た。渡された袋は、やたらずっしりとしていた。何だろうと思い袋を広げると、プラスチック容器一杯に詰め込まれた金柑だった。シロップに浸かっている様子から、御節にも入っている甘露煮だろう。


 「私からはこれなんだけど」


 海崎さんから渡されたのは、スポーツ飲料が数本入った袋だった。


 「これ――あの時の約束したやつ?」


 彼女は慌てて首を振って否定した。


 「ううん。あの約束は学校でって話でしょ。こんな物しか用意出来なくてごめんね。それより体調はどう?」


 「大丈夫だよ気にしないで、わざわざ来てくれただけで嬉しいよ。大分熱も下がったから――」


 そう言い掛けた所で一華さんが、僕にジェスチャーで何かを訴えて来る。その方向に目を向けると、どうやら海崎さんの足元を見る様に促しているみたいだ。


 海崎さんの足首に靴下に隠れて、白い布が巻いてあるのが見て取れた。それを見た僕は、彼女が怪我をしている事を思い出した。突然の来訪ですっかり頭から抜け落ちてしまっていた。


 「ごめん、気付かなくて。良ければ入って、僕の家遠かったでしょ。少し休んで行ってよ」


 当然だと言わんばかりの態度で家に上がり込む一華さんとは対照的に、海崎さんは躊躇する素振りを見せていた。二人をリビングへ通した僕は、適当に寛いでいてよと声を掛けて、飲み物を準備する。


 僕の家に同級生が来るのは初めての事だ。ましてや、女子二人とかありえない。勢いで家に上げてしまったものの、どう対応したら良いのだろう。何だか熱がぶり返しそうだ。台所で一人、悶々と思考を巡らせていた。


 先程の玄関から、「ただいまー」と聞きなれた声が家に響いた。僕はこの後一騒ぎある予感しかしなかった。

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