第15話 オリエンテーション合宿 自由時間

 そんな地獄のような時間も終わり、後は就寝時間を待つばかりだった。夕食後、僕は飲み物を買いにロビーへと足を延ばした。自販機でお茶を買って帰ろうと振り返ると、痛いと叫ぶ声があった。


 慌てて後ずさりして確認すると、熊の着ぐるみパジャマを纏った一華さんが尻餅をついていた。


 「一華さん! ごめん、気付かなかった大丈夫?」


 手を差し伸べて一華さんを起こすと、埃を叩きながら立ち上がった。


 「悪いと思うなら、相応の物が必要だと思う。エロ蓮」


 そう言って、喉が渇いたとアピールしてきた。エロ蓮って何? 何か響きはカッコいい。だけど、浴場の事を言っているのなら僕は被害者の方に含まれるって……説明した所で信じて貰えないか。


 どれが良いの? と尋ねると、苺ミルクと返答が帰って来た。立って飲むのも、どうかと思いロビーにある椅子に座る様に促した。


 「一華さんも飲み物を買いに?」


 「そうじゃない。あの部屋に居たら友原が騒がしくて抜け出して来た」


 ああ、友原さんに捕まると心休まらないだろうなと想像できた。飲み物を飲む音が聞こえる。僕達の他に、ロビーに人影は無い。急に女子と二人きりの状況が生まれてどうしたら良いか分からなくなった。何か話をしなければ――。


 「ど、どう? この合宿楽しめてる?」


 「思ってたよりかそうだな」


 再び沈黙に戻った。この状況に一華さんは、どこ吹く風といった面持ちで、足をぶらぶらと動かして美味しそうに苺ミルクを飲んでいた。何だか子供がジュース飲んで喜んでいるみたいだ。


 「あっ、ここにいた」


 沈黙を遮る声に救われた。海崎さんがこちらへ近づいてくる。海崎さんは白いフード付きのスウェットに身を包んでいた。


 「もう、一華ちゃん探したよ。急に出て行っちゃうからどうしたのかと思った」


 「わかった。戻れば良いんだろ、これありがとうな」


 一華さんは空き缶をゴミ箱に放り込み、海崎さんから逃げる様に戻って行った。僕の空いた隣の席に今度は海崎さんが腰を降ろす。


 「一華さん戻ったけど、海崎さん行かなくて良いの?」


 「ちょっと休憩させてよ、歩き回って疲れちゃった」


 彼女は徐に胸元をパタパタさせて、火照った身体に風を送り込んでいた。その時、石鹸の良い匂いが僕の鼻孔をくすぐり、海崎さんの熱が僕に移ってくる気がした。


 「ねぇねぇ、佐野君は浴場で聞き耳立てて無いの?」


 一瞬やましい事を考えていたせいか、どきりと心臓を跳ねさせる。


 「その場にはいたけど、僕は湯船に浸かっていたから」


 海崎さんは訝しむ表情をしてから、からかうように柔らかい笑みを漏らした。


 「本当かなぁ~。なんて嘘だよ、あの時先生も言っていたから信じてるよ。どうせ、多葉田君あたりが先導したんだと女子の間では持ち上がってるけどね」


 その推測は見事に的中していた。僕は可笑しくなり彼女と一緒に笑うのだった。 


 「佐野君。今日のカッター訓練楽しかったね。海も綺麗だったし」


 「そうだね。張り切り過ぎて僕は既に筋肉痛だよ。カッターの時も言っていたけどもしかして海好きなの?」


 「うん、大好き。良いよね~、あの潮の香りや波の音とか、ずうっと眺めていられる」


 へぇ、知らなかったな海好きだったなんて、通りでバスの中で一望できる場所があると伝えた時に、機嫌が良さそうだったわけだ。


 「そうだ、私も喉乾いちゃった。あっ財布部屋に置いたままだ。お願いなんだけどそれ、少し貰っても良い?」


 僕の持っているお茶を指さして、彼女は顔色一つ変えなかった。これがコミュ力の高さという事か。間接キスというキーワードは持ち合わせていない? 気にする僕が変なのだろうか?


 本人が欲しいと言うなら、このまま全部渡してしまえば僕がどぎまぎする事も無いよね。


 「飲みかけだけど良いの? だったら全部あげる。僕違うの飲みたくなったから」


 「えー、そんなの悪いよ。あっそうだ。じゃあ、一つ貸しって事にしておいてよ」


 僕が手に持っていたお茶を渡すと、海崎さんは眉をひそめてそう言っていた。


 「別に良いよ。お茶の一つや二つくらい」


 「そんなのダメです。私が嫌なの」


 ずいっと身体を寄せて、真っ直ぐに僕を見る彼女の顔は真剣そのものだった。その時、たるんだ首元からちらりと胸元が見えたが、僕は必死になって目線を逸らした。これは、早く離れて貰わないと僕の心臓が持ちそうにない。


 「じゃあ、今度学校でジュースでも貰おうかな」


 「うん、そうするね。あっもうこんな時間、私そろそろ戻るね。お茶ありがとう」


 にこやかに笑った海崎さんは戻って行った。その足取りは軽そうに思えた。


 立て続けに女子二人と話た事で緊張のあまり、どっと疲れが襲ってきて深い溜め息が漏れる。ロビーに設置してある、時計を確認すると就寝時間の少し前だった。僕は、再度お茶を自販機で買って、男子部屋へと帰った。


 部屋に入ると、先程まで騒いでいた筈の暁彦君達は、トランプを握ったまま寝息を立てていた。今日は、体を動かしたから疲れているのも無理はない。


 トランプ大会に参加できなくて、少し残念な気持ちになったけど、皆を起こさない様に僕も横になると急激に訪れた睡魔に身をゆだねた。


 次の日、午前中にみっちりと勉強会が行われた。勉強会が終了し、机に伏せって暁彦君が思いを吐露する。


 「はぁ~、やっと終わった。カッター訓練の時より疲れたぜ」


 「大げさだね。この後は楽しみにしてた自由時間だよ」


 「そうだな! 良し、遊びに行こうぜ」


 暁彦君は意気揚々と立上った。先程の気だるげな態度は微塵も無い。


 「何して遊ぶの? トランプ?」


 そうだなと天を仰いで、考え込んでいた。そこで、同じ席に座っている、海崎さん達にも聞いてみた。


 「海崎さん達は自由時間何するの?」


 「私は特定の人物から逃げる鬼ごっこだ」


 「あら、それは楽しそうだわ。必ず捕まえて見せるわよ」


 一華さんの表情は本気だ。友原さんから必死になって逃げる心づもりのようだ。何だかんだこの合宿で、一華さんはクラスに馴染めたように感じた。


 「う~ん、私は散策かなぁ、海の写真撮りたい。良かったら佐野君も行かない?」


 昨晩も言っていたが本当に海が好きなのだろう。散策かぁ、それも良いかもしれない。僕もそうしようと口を開こうとした時に、暁彦君が僕の手を引っ張った。


 「閃いたぜ、ボール持ってきてたんだ。部屋に居る連中誘って、サッカーしようぜ」


 この合宿であまりクラスメイト達と交流していなかった事を思い返し、結局暁彦君の誘いに乗る事にした。海崎さん達との話を半ば強引に切り上げて連れて行かれるのだった。

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