第14話 オリエンテーション合宿 儀式

 点呼を終えた僕達は、田中先生に引きつられて海岸沿いに移動した。そこには、桟橋があり小型のボートが何隻か停泊していた。その近くには指導員らしき人達の姿もあった。


 いよいよ、カッター訓練が始まる。


 傍の広場で、ライフジャケットの使い方や乗船時の注意事項を教わり、練習を兼ねて実際に乗り込む形となった。その段階で、船に弱い友原さんは乗船を辞退していた。その他にも数名が残っている姿が見えた。


 一人一櫂なのだから途中で、離脱は他の皆の迷惑になる。それにこんな小さな船で酔われてしまっては、悲惨な事になりかねない。


 僕達は停泊しているカッターへ順番に乗船した。漕ぎ手は十二人で、二班が乗船し欠員は引率の先生が埋める形となった。


 「すっげえ面白そうだな。一通り練習終わったらレースするんだろ? 頑張ろうぜ」


 「そうだね……。それまで体力が持てばね」


 隣の暁彦君の言葉に僕は余り乗り気では無かった。そこら辺の手漕ぎボートを想像していると痛い目を見るのは必至だ。


 僕達、漕ぎ手と言われる者は、櫂という簡単に言えば大きなオールで水を掻かなければならない。これが予想以上に重たいのだ。腕の力で漕ごうとしたら、直ぐに使い物にならなくなる。櫂を漕ぐ際には、上半身を後ろへ倒れ込むようにして、引かなければならない程だ。


 それが指導員の掛け声に合わせて継続的に続くし、櫂を漕ぐにもコツがある。入水した櫂で水を面で捉えなければならない。途中、重さが辛くて誰かが楽をしようものなら、立ちどころにカッターは行き場を失う事になる。


 乗船者が一丸となって初めてカッターは前へと進む、皆は一人の為に、一人は皆の為にとは良く言ったものだ。カッターは正しくそんな言葉が当て嵌まる。当時、自分が戦犯になる訳にはいけないと、必死に食らいついていたのを思い出していた。


 「櫂立て!」


 指導員の合図によって、僕達の乗ったカッターは桟橋から離れ出航した。出入航する際は櫂を自分の股に挟み倒れない様に立てる必要がある。この事を櫂立てと言うらしい、安全の為と教わったが、敬礼や挨拶の意味もあるそうだ。昔の名残で、行ってきますとただいまの挨拶だとすると、とても感慨深い。


 僕はふと体の小さい一華さんは出来ているのかと気になり、後ろを振り返った。どうやら一華さんの隣には指導員の人が控えていて、手伝っている様子が伺えた。あれなら問題は無さそうだ。


 次に僕の前にいる海崎さんへと声を掛けた。


 「重たくない? 大丈夫そう?」


 「今の所大丈夫だよ! それにしても綺麗だね海」


 目線を向けると太陽の光を受けて波が揺らめく度にキラキラと輝く海、遠くには小さな島が見えている。天気も良く雲一つ見当たらない。風が少し吹いて、海崎さんの後ろで束ねた髪が、僅かになびいていた。その横顔を僕は写真に残しておきたいと思う程に目が離せなかった。


 いち! にーい! 指導員の掛け声で、僕達のカッター訓練は進んで行った。


 日が傾き始めた頃には、誰もがへとへとで、体に鞭を打ちながら、宿泊施設へと戻った。結局レースは、最初こそ奮戦したものの次第に漕ぎ手達に疲労の色が出初めて、上手くいかなかった。


 ああ、体中が早くも筋肉痛だと叫んでいる。部屋に着いた僕は、床に倒れ込んだ。すると、目を輝かせた暁彦君が近寄って来た。


 「おい、レンレン。風呂行こうぜ! 大衆浴場があるってよ」


 この時に僕だけじゃなく暁彦君は、飯盒の時に仲良くなったクラスメイトにも声を掛けていた。折角、声を掛けてくれた暁彦君には、悪いけれど余りの疲労感に、少しばかり動きたく無かった。


 「先に行ってて、後で行くから」


 「――そうか。じゃ、先に行ってるからな」


 そう言った暁彦君は何処か、寂し気な声色だったように感じた。


 誰も居なくなった部屋で僕は大の字に仰向けになる。廊下から暁彦君達の陽気な声が聞こえる。流石、暁彦君だ。誰とでも分け隔て無く仲良くなれるなんて凄いな。僕には到底真似出来そうにない。


 「さてと、そろそろ僕も行くか」


 軽く溜息を吐いて、僕は風呂場へと向かった。脱衣所を抜けて風呂場に入るとクラスメイト達が、壁際に集まっていた。


 湯船にも浸からずに、何をしているのだろう。


 「どうしたの? 何かあった?」


 僕の声に反応して一斉に振り返り、口元に人差し指を当てている。静かにしろという事なのだと直ぐに分かった。すると、僕に気付いた暁彦君が耳打ちしてきた。


 「この向こう女子風呂なんだぜ。レンレンも興味あるだろ?」


 確かに女子と関りの無かった僕の人生においては、気になる所ではある。しかし、今は肉体的疲労の方が強くて、とてもそんな気分では無かった。


 「興味はあるけど、僕は遠慮しとくよ」


 「そっか、レンレン相当疲れてんな。大丈夫か?」


 僕の事を気に掛けてくれる暁彦君に心配を掛けまいと僕は強がって見せた。


 「問題無いよ。夜は長いし、トランプもやりたいからね」


 分かった、無理するなよと付け加えて、暁彦君はクラスメイト達の元へと戻って行った。僅かに向こう側の声が聞こえるのだろうか、その度に騒めきが起こっていた。


 それだけ騒げばバレそうなものだけどと思いながら僕は身体を洗って、湯船に浸かる。


 体の奥から漏れる息を気持ち良く吐き出した。すると、同じ様にして湯船に入って来る人の姿が目に入った。湯気から現れたのは田中先生だった。


 壁際にいる暁彦君達は気付いていないようだ。僕は声をかけようかどうか迷っていると先生は暁彦君達の方を見据えて口を開いた。


 「佐野はあの中に混ざらなくて良いのか? あれはある種の儀式だぞ。それとも女子に興味ないのか?」


 「何の儀式なんですか……、僕だって興味はありますよ。ただ、今は気分じゃ無いだけです」


 田中先生は少し鼻で笑って見せた。


 「今は気分じゃ無いか、それも良い。だけど、覚えておけよ、お前達にはその今が大事なんだって事をな」


 田中先生は徐に湯船から立上り、女子風呂に聞こえる様にわざとらしく声を上げた。


 「おい! お前達、壁際で何やっている! 夕食の時間も迫ってるぞ、クラス委員を見習って早く風呂に入れ!」


 壁際に張り付いていた暁彦君達は、後ろから発せられた声に飛び跳ねた。女子風呂の方からは叱責の雨あられが聞こえて来た。


 その後は悲惨なものだった。夕食時、女子達からの視線は鋭く突き刺さり、ひそひそと内緒話を目の前でされる僕達男子の苦痛は計り知れなかった。

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