第6話 もう一人の班員

 翌日も、菊林さんの席は空席だった。


 朝のホームルームで田中先生が去り際にクラス委員は昼休憩時に職員室に来るように僕と海崎さんに告げて来た。恐らく菊林さんの件で間違い無いだろう。


 昼休憩になり、海崎さんが僕の元に来た。教室棟から職員室のある本館棟へは渡り廊下で繋がっている。教室を出た僕達は、右に曲がり最短ルートで職員室を目指そうとすると、海崎さんは僕と反対方向へと進もうとしていたので呼び止める。


 「海崎さん、どこ行くの?」


 「えっ? 一階から中庭を通って行くんじゃないの?」


 海崎さんの言う通りでも行けない事も無いけれど、確実に遠回りになる。暁彦君と一緒に昼食をする約束があるから、あまり時間を掛けたくなかった。


 「それは遠回りだと思うよ。こっちから渡り廊下を使っての方が早いよ」


 「そんな行き方があったんだ! 同じ新入生なのに良く知ってるね」


 「だって、二年も――」


 「二年も?」


 僕はそう言い掛けた所で言葉を切った。二回目の高校生活をしている事をうっかりと口を滑らすところだった。彼女は言葉の続きが気になるのか好奇な目をして催促してきた。


 「二年生もそうしてるって、聞いたんだ先輩に……」


 「なんだ、先輩に聞いたんだ。てっきり、私と会った時みたいに推理したのかと思った。地元の先輩?」


 「はは、そう地元の……」


 僕は乾いた笑い声をあげて、はぐらかした。実際、地元の中学からの先輩は居る。だけど、僕と関りがある先輩は皆無で、相手も僕の存在を認識はしていない。


 それにしても、海崎さんの中で僕と言う存在は、どう映っているんだろうか。それからは、僕が先導して職員室へと向かった。 


 「失礼します」


 海崎さんと共に職員室を訪ねた僕達は、田中先生に手招きされるがまま、パーテーションで区切られた打ち合わせ室に入った。


 「急に呼び出して、すまんな。早速だけど、菊林さんの件だ」


 やっぱりかと言う言葉が浮かんできた。田中先生は続け様に説明する。


 「実は菊林さん入学式から来ていなくてな。翌日に家庭訪問に伺ったんだが、会えなくて祖父母に事情を聴いたんだが、中学時代に嫌な事があったそうだ――」


 担任が言うには、どうやら中学時代にいじめられていて、高校でも同じ事が起こるんじゃないかと自室に引き籠っているらしい。わざわざ、地元から遠く離れた高校を受験して現在は祖父母の家に居るそうだ。


 「そこで、クラス委員でオリエンテーションの同じ班員として寄り添ってみてはくれないだろうか?」


 とどのつまりは、僕達にその菊林さんを連れ出してくれないかという事だ。僕達の間で沈黙が流れた。海崎さんは深く悩んでいる表情を浮かべている。


 今の高校生活が、前回と同様の事象の繰り返しだと仮定した場合。前回のクラス委員は海崎さんと暁彦君だ。そして、僕の記憶が正しければ夏前にクラスメイトが一人退学している事から、連れ出す事は出来なかったと考えられる。


 人気者の二人が無し得なかった事を僕が出来るとは思えないが……。


 「わかりました。取り合えず放課後にでも伺ってみます」


 僕が思案していると、海崎さんがそう告げた。ここで、思案していても始まらない兎に角どういう状況なのかを見たいという点では、僕も賛成だった。


 「助かるよ、同年代の君達の方が先生よりも分かってあげられると良いんだが――」


 その後、僕達は各々昼食を済ます為に現地で解散した。暁彦君が昼は一緒に食べようと言っていたので急いで来た道を戻り合流した。


 僕と合流した暁彦君は、呼び出された理由を興味津々といった感じで、根掘り葉掘り聞いてきたので、言い触らさない様に口止めをしつつ説明した。


 「通りで見てない筈だな。よっし、俺も手伝うぜ」


 その言葉で少し僕の肩の荷が下りた気がした。


 午後の授業の間、僕は菊林さんについて思考を巡らせたが、全く関りが無い為に有力な記憶は出て来なかった。


 あっという間に放課後になると、僕の席の周りに海崎さんが友原さん連れだってきた。


 「トモちゃんも手伝ってくれるって、多葉田君も?」


 「当たり前だろ、同じ班員だからな」


 そう言って胸のあたりを強く叩いて、むせ返っている。呆れて頭を抱える友原さんは溜息をもらしていた。


 住所は田中先生に教えて貰っているから直ぐにでも行ける。事前に菊林さんの所へは連絡をいれているそうだ。


 「あんまり遅くなってもいけないし行ってみようか」


 僕達は早速、菊林さんの家へ向かって学校を後にした。向かっている最中で、大人数で押しかけても問題無いだろうかと考え至ったが、暁彦君は「多い方が楽しそうに思うかもしれないだろ」と僕の不安を蹴飛ばしてくれた。


 そうこうしている内に目的地に到着した。菊林さんの家は、何処にでもある日本家屋で屋根に瓦が敷き詰められており、木造二階建ての家だった。


 玄関近くまで来ると、自動ドアかと思うほどタイミング良く引き戸が音を立てて開かれた。目の前にいたのは六十代くらいのお婆さんが出迎えてくれた。


 「秋留高校の生徒さんかい? 担任の田中先生から話は聞いてるよ。わざわざ、ありがとうね。どうぞ、上がって、上がって」


 「お邪魔します」


 一同声を揃えて、招かれるままにリビングであろう座敷へと通された。お婆さんは「楽にして良い、飲み物を持ってくるから」と言い残し再び出て行った。


 他人の家に上がる事が無かった僕は、少し緊張していた。暁彦君は勝手知ったる我が家と言った塩梅で足をだらしなく伸ばしていた。それを友原さんが脛を叩き正すのを見て、海崎さんは笑みを浮かべていた。


 程なくして、お婆さんが茶菓子とお茶を持って現れた。


 「ごめんね、わざわざ来てくれたのに人数分の茶菓子が無くて半分ずつになってしもうた」


 田中先生からは二人行くと聞かされていたのだろう、こちらが勝手に人数を増やしたのだ。お婆さんは悪くない。


 「いえ、こちらこそ急に大人数で押しかけて申し訳ありません」


 海崎さんが代表で謝罪する。それから、それぞれが簡単に自己紹介をした。


 「それで、一華さんの様子は?」


 早速、本題へと移る事にした。お婆さんは困り果てた様子で、粛々と説明をしてくれた。


 「食事時には顔を見せるが、朝学校に行く時間になると頑なに自室から出て来んし、事情も分かるから強くも言えんしなぁ」


 僕は少しでも情報をと思い、言いにくい言葉であろう事を承知で聞いた。


 「いじめ……ですよね。そんなに酷かったんですか?」


 「おや、はっきりと物を言う男子じゃ」


 一瞬、お婆さんの目が見開き僕を眺めて来た。その場の空気が張り詰めた気がした。その様子を見て、暁彦君は僕を諫める様に耳打ちしてきた。


 「それはいくら何でも直球過ぎるって」


 「良い、良い。それぐらい物を言う方が男らしい、今時の子にしては珍しいと思う。そうじゃな酷いか酷く無いかで言えば、酷かったのだろうとしか言えん。人それぞれ、捉え方が違うからな。一華を取り巻く環境を変えようと、一華の親は遠い学校に入学させたのじゃが、事は上手くいかぬのが人生じゃ。私の爺さんも、周りから見れば偏屈の頑固者だが、私から見れば優しくて格好良いから――」


 後半の辺りから、お婆さんの心は乙女へと変貌していた。唐突なのろけ話に対して、僕達はきょとんとする他にやりようが無かった。


 「と、とりあえず。自室から出て来ないなら、扉の前で声かけてみたらどう?」


 友原さんが話が長くなりそうな予感を察して提案してきた。僕達はそれに乗り一華さんの自室前へと案内して貰った。


 一華さんの部屋は階段を上った突き当りにあった。


 「学校の生徒さんが遊びに来てくれたよ」


 お婆さんがノックしながら、声を掛けるも中から返事は返ってこなかった。担任の時もこうだったとお婆さんは頭を抱えて、後は若いものでと言い下階へと降りて行った。


 僕達は扉の前で、一華さんに対して挨拶をしたけれど、何の反応も無い。来週オリエンテーションがあって僕達は同じ班だ。一緒に楽しもうとか話してみたものの結果は同じだった。


 日が沈みかけるまで粘ったが成果は得られなかった。ただの扉に話しかける様は傍から見ると可笑しな光景だったに違いない。


 僕達は仕方なく、引き籠りさんの家を後にする事になった。去り際、お婆さんはごめんねと申し訳なさそうにしていたのが心に残った。


 皆、帰る方向が違うらしく、ここで現地解散の運びとなり、僕は夕日によってか細くなった皆の影を見送ってから帰路についた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る