第5話 一人よりおいしい

 振り返った僕は暁彦君と目が合う。彼は僕が手を挙げるとは思ってもいなかったようで、開いた口が塞がらないというのは本当だった。


 「なんだ? 枠は一人だぞ、二人ならじゃんけんでも何でも良いから一人にしてくれ」


 田中先生を含めたクラス全員の注目が僕達に集まる。蛇に睨まれた蛙がいるとすれば、それはきっと今の僕に違いない。この時の僕はどんな顔をしていたのだろう。それを見かねてか、いつもの調子で暁彦君はおどけるのだった。


 「俺は違う、違う。トイレ行っても良いかって聞こうとしただけだって」


 どっとクラス内では、失笑の声が起き始めた。やれやれといった具合に田中先生も頭を抱えている。


 「紛らわしいやつだな。早く行ってこい。じゃあ、男子の方は佐野で良いな?」


 「俺はそれで良いと思うぜ。っと、漏れる漏れる」


 暁彦君はその一言を捨て台詞に、教室を飛び出していった。


 「良し、決まりだな。じゃあ、二人共前に出てきて軽く挨拶と、合宿に伴う班分けをしてくれ。そうだなー、三十人だから男女混合の五人ずつで六班にするか」


 僕と海崎さんは教壇に立ち並んだ。クラス全員分の視線が僕達に集まる。未だかつて経験した事の無い圧力で、自然と身体が強張るのを感じた。呼吸も次第に早くなり頭の中が白いキャンパスで埋め尽くされていく。


 その様子を察してか、入学式の挨拶を務めた経験もある海崎さんが、慣れた口調で自己紹介を始めた。僕にお手本を見せてくれているのだと理解するには充分だった。


 海崎さんの挨拶が終わると彼女は僕にしか聞こえない声で、頑張って探偵さんと言ってきた。僕は海崎さんが思い描いている探偵でも何でも無いけど、覚えていてくれた事に感動をして幾分か緊張の糸は緩んだ。


 兎に角、雑誌で書いてあった人気者の条件、笑顔で声を大きくだ。


 「改めて佐野蓮です。学級委員として、皆の助けになれるよう頑張りますのでよろしくお願いします。早速、班分けだけど、A~Fの六班に分けるので各自一緒になりたい人は固まって下さい。また、偏るようなら全体を考えて相談させて貰います。じゃあ、お願いします」


 クラス中でわいわい、がやがやと相談会が始まった。僕はきっと誘われないだろう、欠員が出た所に割り込ませて貰えば良いとその光景を眺めていた。仲良しグループ、気になる人と班になりたい等々、様々な思いが交錯していた。


 その中には隣にいる海崎さんも例外では無かった。俺の班に来てよ、私の班に来てよと男女共にひっぱりだこだ。それを見かねて、海崎さんを庇う様に有象無象の前に友原さんが立ちはだかった。


 「夢莉と班になりたかったら、私も付いて来るけどそれでも良いの?」


 彼女は半ば威圧的に笑顔で対応していた。彼女のきつそうな性格を察してか、有象無象の集団は見事に四散していった。


 友原さんは、鼻で笑って勝ち誇っている。


 「トモちゃん……。そんな態度だと決まる物も決まらないよ。私を推薦した時に手伝うって言ってたくせに~」


 困り顔で友原さんに軽く釘を刺す海崎さん。頬を膨らませている姿は小動物に似てとても可愛――。じゃなく、まったくもって、その通りだと隣でその光景を見ていた。


 「ねぇ、レンレン。今何してるところ?」


 呼ばれなれない呼び方でも、僕に話しかけられているのだと気付いた。その呼び方はどこか心を、むず痒くさせられたが嫌な響きでは無かった。


 僕達の傍には暁彦君がいつの間にか立っていた。合宿の班分けをしている所だと簡単に説明する。


 「そうなんだ。じゃあ、俺達は後一人見つけたら班になれるな」


 「俺達? 僕はまだ誰とも班になって無いけど……?」


 僕の返答を聞いた暁彦君は、教壇の周りにいる人を指差しながら数える。


 「何言ってんのさ。ここに俺と、レンレンでしょ、海崎ちゃんに友原ちゃんがいるじゃない」


 僕達は互いに顔を見合わせた。


 「えっ、僕で良ければだけど?」


 「こちらこそ、お願いします」


 「わかったわよ、さっきやり過ぎたから付き合ってあげる。あっ! それと多葉田! 私にちゃん付けしないでよね。悪寒がするわ」


 「悪寒って――。まあいいや、じゃ決まりという事で。後一人どうするよ?」


 目の前で起こる数々の出来事に僕は呆気に取られる。以前の高校生活では、あり得なかった事が起きている。クラスの人気者だった、この三人と一緒の班になれるだなんて信じられない気持ちで一杯だ。


 「はいはーい。ぼちぼち時間だよ。委員長は纏めてね」


 田中先生に促され、僕達の班にはあぶれた人を入れる事で皆同意した。決まった班から報告して貰うと、各班ぴったり収まっていた。という事は、欠員が居るのは僕達の班だけという事になる。


 「ああ、すまん。今日一人欠席してたわ。えーと、名前は菊林一華きくばやしいちかさん、もし明日学校来たら教えといてくれる?」


 「わかりました」


 終わりのチャイムが鳴り先生は、次の時間から授業だから頑張ってと言い残し教室から出て行った。


 暁彦君は腕を組んで僕に問いかける。


 「あのさ、昨日の入学式に菊林さんっていたかな?」


 海崎さん達も口を揃えて知らないと首を横に振った。


 当然僕も菊林さんの事は知らない。田中先生が言った名前にはあまり憶えが無かった。


 確か記憶にあるのは、夏に差し掛かる前にクラスメイトが一人退学したというのを担任から知らされた事ぐらいだ。そうなると、菊林さんが退学した人で間違いないだろう。


 そんな風に思っていると、予鈴が鳴る。一抹の不安が僕の中にあったけれど明日になれば来るだろうと言う結論になり、皆慌ただしく授業の準備の為にその場は解散となった。


 授業中僕は退屈していた。初授業のテンプレで自己紹介をする先生達の話もそうだが、授業内容に対してだった。元々勉強は出来ない方じゃ無い、クラスでは上の下といった所だった。トップ争いでも、中間でも無く、パッとしない印象のレベル。そんな僕が今、再び一年生の授業を繰り返している。授業についていけないという事は、まずありえない。


 ただ、時計の針と睨めっこしていた退屈な時間は、昼休みを知らせる合図と共に解放されて安堵の想いから机に倒れる様に伏した。


 「やっと昼休みか」


 そう、一人で呟いているとレンレンと呼ばれる声で僕は上体を起こした。


 「飯だぜ、飯。学食行こうぜ!」


 暁彦君の顔を見ると頬にシワが寄った跡が見て取れた。ホームルームの時よりも幾分か元気な様子だった事で察しがついた僕はこう告げた。


 「暁彦君、寝てたでしょ」


 「えっ! まさか、いびき掻いてた?」


 ぎょっとした焦りを露わにする暁彦君に対し、僕は首を横に振って自分の頬を指さし、跡がついている事を指摘した。暁彦君はスマホで、自分の顔を確認すると苦笑いを浮かべていた。


 「ああ、これか。当分残りそうだな。ま、そんな事より学食行こうぜ」


 今まで誘われる事の無かった僕は、その誘いに凄く心が踊らされるも、カバンから弁当を取り出してみせた。


 「実は僕、弁当なんだ――」


 「うん? だから? 学食で一緒に食ったら良いじゃん」


 暁彦君は、そんな事関係ないといった具合で言ってきた。その一言で、僕の心に浮かんでいた霧が、どこかに流れて行った。


 「そうだね。行こう!」


 そうして僕達は学食へと移動した。


 学食には、多くの学生達が発券機の前に列を成していた。潤滑な提供の為に厨房スタッフと設備に力を入れていて、生徒達の限られた時間を阻害しない様になっている。その反面、厨房の方では怒号入り混じる、戦場と化しているのは言うまでも無い。


 僕達は、窓辺の席を確保して昼食を取り始めた。暁彦君が頼んだのは、学食限定日替わりメニューの『ぶっかけ飯』だ。とにかく、健康云々関係のない腹が満たされれば良いだろうと、体育会系御用達の人気メニュー。いわゆる、丼物で稀に見た目がアレな時もある。悪く言えばエサと言えるだろう。


 「ミスったな、食えっかな俺」


 トレーを持った瞬間に重量を感じたのか、暁彦君は食べる前から憔悴の表情を浮かべていた。そんな彼を見て、僕はつい笑いが堪えれなかった。


 「その弁当、自分で作ってるのか?」


 頬をリスの様に膨らませて、暁彦君は聞いてきた。


 「僕の家は母子家庭だから、妹と自分で交代しながら作ってるよ。今日のは妹が作ったけどね」


 「ふ~ん、凄いな。俺ん所は一人っ子だから兄妹って良さそうだな、楽しそう」


 そんな事は無いよ――と他愛の無い会話をしながら昼食を取った。やっぱり、人と一緒に食べる食事は美味しい。教室で一人済ませていた時は、ただの作業でしかなく、時間も十分あれば事足りた。


 暁彦君の完食に時間が掛かったのもあるけれど、三十分以上掛けて食事を楽しんだのはいつ以来だろう。


 その余韻を糧に、午後の授業を乗り切った僕は、また明日と言葉を交わして、その日を終えるのだった。

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