第16話 推しには幸せになって欲しいから
ダイヤモンドプリズムホテルは駅のそばにあり、広いエントランスにドアマン、高い天井にキラキラのシャンデリアが輝いている高級ホテルだ。
ロビーには座り心地のよさそうなソファや椅子が並び、隣接する喫茶ルームで寛ぐ品のよい紳士淑女の姿の中に黒岩もお相手の女性の姿もない。
「もう、レストランに行っちゃったのかな」
約束の時間より五分早いのに――いや、社会人として五分前に到着しておくのはマナーとして当たり前のことなんだけど。
せっかくここまで来たのに間に合わなかったなんてほんとなんだかなぁ。
噴き出してきた汗をハンカチで拭ってスマホを取り出した。
最終手段として電話で黒岩を呼び出すしかないのかと悩んでいると、黒い上等のスーツを着たホテルマンがスッと寄ってきたので摘まみ出されるのでは!?と焦る。
「あ、えっとあたしは人を探してて」
けして怪しいものではありませんよ。
汗だくで息が荒いけど。
変態でも恥女でもありませんから追い出さないで。
「どなたをお探しかお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え、あ、
だったよね、確か。
いつも名字でしか呼ばないから急に不安になってきた。
ホテルマンは「かしこまりました」と返答し絶妙な距離に引くと軽く腰を曲げて右手でこちらへどうぞと促される。
え?なに?
「
「お待ちしておりましたって、」
あたしを?
一体どういうこと?
「黒岩さまは先にレストランでお待ちになっておられます。エレベーターまでご案内いたしますので十五階で降りられてレストラン入り口でスタッフにお声がけくださいませ」
「あ、はい」
なにがなんだか分からないうちにエレベーターに乗せられ、親切なホテルマンがボタンまで押し丁寧に腰を九十度に曲げて送り出されてしまった。
え?ほんとにどうなってるの?
これって、ねえ、まさか。
ぐるぐるしている間にエレベーターは揺れも音もなく目的の階に止まり、うっかり降りそこねそうになり慌てて開くボタンを押して飛び降りた。
さすが高級ホテル。
エレベーター速いしスムーズだな!
十五階はバーとレストランと展望デッキがあるらしく、ドレスアップした紳士淑女が多い。
ふむ。
着慣れた皺のあるジャケットとオフホワイトのサマーニットに膝が隠れる紺色のフレアスカートのあたしはだいぶ浮いてる。
なるべく端を歩いてレストランの入り口まで行くとホテルマンから連絡がいってたんだろね。
声をかけるよりも先に待っていたスタッフに恭しく迎えられて素敵な微笑みのまま中へと誘導された。
柔らかな絨毯の上をスニーカーで歩くの恥ずかしい。
照明が絞られた店内のおかげで目立たずに済んでるけど内心ハラハラですよ。
「失礼いたします。お連れの桐さまをご案内させていただきました」
「……ありがとうございます」
夜景を一望できる窓際の席で黒岩は外を眺めることなく座ってた。
たった一人で。
ああやっぱりお相手のお嬢さんは最初からいなかったんだ。
「まんまと嵌められたってことか」
「……怒ったか?」
「まあ、面白くはないね」
黒岩の正面に座って夜景へ視線を反らす。
「回りくどいけど効果的ではあったんじゃない」
結局乗せられて今あたしがここにいるんだから。
「ではそろそろ始めさせていただいてもよろしいでしょうか」
「お願いします」
まずはワインが注がれ前菜が運ばれる。
悔しいので三ツ星評価をいただいている美味しいフルコースを堪能してやろうじゃないか。
ほんとさ。
あたしをその気にさせるためにこんな高級ホテル予約してコース料理食べさせるなんてどんだけお金使ったの。
怖くて聞けないけど。
「もしあたしが来なかったらどうするつもりだったの?」
「一人で食って飲んで、もったいないからホテルの部屋を満喫して、部屋にモーニング運んでもらってダラダラして帰宅だな」
「はあ?キャンセルして帰りなよ」
「当日キャンセルは全額負担になるんだよ」
あー、なんか頭痛くなってきた。
「こんなリスクしかない大勝負よくやったね?」
「金光さんが、ここまでしてダメなら諦めろって」
「ちょっ!なんで宇宙人のアドバイス真に受けたゃったの!?」
一番聞いちゃダメなやつじゃない!?
「いいんだよ。効果あったんだから問題ない」
ワイングラス片手に笑う黒岩は悔しいけどカッコいい。
もともと素材はいいんだよ。
女性の前で挙動不審にならなければモテる要素しかないんだから。
「あたしは推しには幸せになってもらいたいんだよね」
そこは金光さんも同じなんだろう。
フルコースはメインが出されて終盤へ。
残念だけど美味しいのかどうかの判断はつかないね。
味がしないもの。
「ただヒロインがあたしなのがちょっとあれだけど。推しがあたしを望むのなら、あたしが推しを幸せにするしかないじゃん」
しょうがない。
女は度胸だし、あたし切り替えは早いほうだからね。
「ほんとにあたしでいいの?」
女性に不慣れな黒岩をかわいいって狙ってるお姉さまがたがいるのは知ってる。
黒岩さえ良ければ色々教えてあげるわよって手練れたちを押し退けてあたしが彼女になるなんて。
叩かれちゃうかもだけど。
「桐しかいない」
なんて切ない顔で言われちゃったら落ちちゃいますって。
「桐のことずっと好きだった」
「はいはい。存じております。どれだけ見てたと思ってんの」
デザートのラズベリーのミニケーキとピスタチオのジェラートを食べながら甘いなぁと呟く。
「ならこのあとも付き合ってくれるよな?」
「このあとって」
伸ばされた手があたしの手を握り混んだ。二人の手のひらの間になにか小さくて固いものがある。
「ちょっと待って、黒岩」
「なんだ。嫌なのか?」
「いや、あのサンダーソニアを使うのは」
勘弁してほしい。
久しぶりなのに二倍気持ちいいとか正直身体がもたないと思います。
「あとウェアラブル端末もヤダ」
そもそも仕事を持ち込まれる前提でエッチ誘われてるのはどうなのよ!
「せめて最初くらいは仕事抜きでやらせてほしい」
「……でもその約束で金光さんからここの支払いの半分を出してもらってる」
「それはそっちの事情でしょ!?あたし関係なくない?」
やっぱりやめときゃよかった。
最後に背中押したのが金光さんだったのを思えば踏みとどまるべきだったんだ。
「そうだな……確かに桐には関係ない事情だ。なら、おれだけウェアラブル端末を着けよう」
それならいいだろ?ってことだったので頷いた。
高級ホテルに泊まるだなんてきっともうないだろうし、部屋にモーニングを運んでもらってのんびりするのにも実は憧れてたし。
「サンダーソニアを使うのは普通のセックスを知ったあとの方がいいたろうしな」
いそいそとポケットに錠剤をしまっている黒岩の嬉しそうな表情にピシリとあたしは固まる。
いま、なんて言った?
普通の、セックスを、知ってから――って!
「おい!黒岩経験者じゃなかったの!?」
「おれはその点にかんしては言及してないが?」
「はぁあ!?」
なんなのよ!それ!
あの宇宙人め!
初めての人間にサンダーソニアを使わせるんじゃないよ!
「桐、だめか?」
だめか?
じゃなぁい!
はぁん!推しがかわいいすぎる!
もうさ。しょうがないよね。
「かわいがってやろうじゃないの」
なんて。
あたしの中のヤル気スイッチがポチッと押されちゃったんだからさ。
あとは察してください。
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