第15話 シュレッダーにかけたのは


「お疲れさまでした」


 そういって定時に帰っていった黒岩を見送ってあたしは必要なくなった資料やデータの紙をシュレッダーにかけている。

 ジャリジャリガリガリ鳴る音をぼんやりと聞きながら別に急ぎでも何でもない作業を黙々と淡々と続けて。


「お疲れ~って桐さんまだ残ってたの?」

「あ、嶋田さんお疲れさまです」


 帰り支度を済ませた嶋田さんがびっくりして近寄ってきた。

 こうして話すのは久しぶりだなって思いながらポンポンッと紙の束を叩いて見せる。


「なんか終業間近にスイッチ入っちゃって。気まぐれでやってるので残業代の要求とかはしないのでご心配なく」

「はは。そんな心配はしてないよ。たださ。いつもは定時前には早く帰りたくてソワソワしてる桐さんらしくないなって思ってさ」

「まぁそうですね」


 ご指摘はごもっとも。


 残業が当然である営業部の中で「地球が滅びようとも意地でも定時で帰る桐」として有名なあたしが、サービス残業だなんてそりゃ驚かれるよね。


 でも残業して力を合わせないと地球が滅びるっていうのならさすがのあたしも残りますよ。

 改めて考えるとひどい言われ方だなぁ。


「らしくないのは黒岩が金光さんの指示でどこかのお嬢さんと高級ホテルでディナーデートしてるからかな?」

「…………心配なんですよ」

「桐さんが心配しなくてもあいつも男だからやる時はやるよ」

「分かってます」


 驚くべきことに経験済みらしいからそこは心配してない。


「初めて会うお嬢さんに黒岩のいいところちゃんと伝わるのかなって」


 会話が続くのか?とか、テーブルマナーは大丈夫?とか、緊張してワインを飲みすぎて大事なところでしくじったりしない?とか、エスコートできるの?とか、ちゃんゴムは用意してる?とかさ。


「ほんとあたしは黒岩のおかんかよってくらい心配してるんですよ。推しが三次元にいるってこんなに大変だとは知らなかったです」

「大変さはよく分かんないけど、まあ確かに黒岩のいいとこ一番知ってるのは桐さんだと思う」

「ですよね!あたし優秀なファンですから」


 食い気味で同意すると嶋田さんは困ったように微笑んだ。


「ねえ桐さんそれ無自覚なわけ?}

「え?」


 無自覚ってなに。


 嶋田さんがおやおやと言いたそうな顔であたしの手を除けて紙の束を抱え上げた。そのまま処分用とラベルが貼られた棚に戻してわざとらしく腰をトントンと叩く。


「俺さ。桐さんのこと結構本気だったんだよね。近づくなって言われている間ずっと見てたからさ。気づけたことがあるよ」


 にっこりしているのに目が笑っていない。


 やだな。

 怖い。


「最近”らぶふる”から気持ちが離れているよね。前は休憩時間も含めてしょっちゅうスマホで検索して眺めてニヤニヤしてたけど最近はずっと黒岩ばっかり見てたでしょ」

「それは、黒岩が、推しだからで」


 確かにスマホの電池の減りが前に比べたら少なくなってる。前は家に帰り付くまでに充電が切れることだって多かったのに、今では余裕で動画すら見れるレベルまで残ってるんだから言い逃れはできない。


「あんなに夢中でなによりも好きだったものから桐さんの心を奪った黒岩を”推し”ってことにして恋心から目を逸らしてるのはよくないと思うよ」

「そんなこと」

「してないっていうのはナシね。いったでしょ。俺はずっと桐さんを見てたって。桐さんが黒岩を見続けて黒岩の気持ちに気づいたように、俺も桐さんの気持ちが恋だって分かったんだから」


 ごまかしても無駄だと指摘されてあたしは呆然となる。


「手を伸ばせば届くしその恋は成就するよ。それでも桐さんは黒岩を拒否するの?それってひどくない?」

「ひどい、んですかね」

「ひどいよ。好きな子から他の女と寝てこいって言われた黒岩の気持ち考えてみた?心配するよりそっちのが先でしょ。それに平気なの?その女の子と黒岩が結ばれても桐さんは笑って祝福できる?」


 できる。

 できるよ。

 黒岩は推しだもの。

 あたしはただのファンだもの。


 でも。

 なんなのこのモヤモヤは。


 あたしがシュレッダーにかけてたのはもしかしたら要らない紙ではなくて本当の気持ちだったのかもしれない。


「家に帰らずここで迷ってたのは会社からの方がホテルまで近いからでしょ?今ならまだ間に合うよ」


 行っておいでって背中を押されてあたしは通勤カバンを掴むと走り出していた。


 まだ自分の気持ちの整理はついてないけど。

 このままじゃイヤだってのは分かるから。


 黒岩が痛がるからヒールじゃなくてスニーカーを履いているから走りやすい。近道をするために公園を突っ切ろうと方向転換して遊具にぶつからないようにすり抜けて、ボール遊びができる広場へ出てふと足を止めた。


「これ」


 弾む息を整えながらあたしは目をみはる。


 大きく枝を伸ばした桜の木。今は葉っぱも落ちて枝だけになっているけれど、金光さん主催で行われた開発部のお花見兼歓迎会で見たあの景色。


「ウソでしょ。あの桜は」


 飲み会の次の日にあがっていたポエむんさんの神イラストで描かれていた桜の木とそっくり――いいや、同じ木がそこにあった。


 潤んだ瞳のほのかちゃんと凛々しい錦くんがそこで見つめ合い今まさに気持ちを打ち明け新しい未来を歩いて行くような、あのイラストは。


「桐くん。急がないと間に合わないよ」


 背後からかけられた声の持ち主は振り返らなくても誰か分かってしまう。


 そして。


「金光さんがポエむんさんなんですね」

「ふふふ。そうだよ。いつもコメントありがとう。君の言葉に何度も励まされ、創作意欲をもらっていたからね」


 なるほど。

 あたしが応援コメントを送っているって知っていたから、”らぶふる”のことを金光さんの前で話していなくてもハマっていることは筒抜けだったと。


「推しは幸せになってもらわないと困るよ。なんのためにこんなに苦労してお膳立てまでしたと思ってるんだい」

「……まさか嶋田さんだけでなく金光さんにまで背中を押されるとは予想外です」

「おや。私はちゃんと君たちを推していると言っただろう?」


 忘れたのかいと言われてそうでしたねと苦笑い。


「さあ、早く行ってヒーローをかっさらっておいで」

「そうします」


 ヒロインってガラじゃないけど、たまには必死になってみるのも悪くないかもしれないし。


 駆け出したあたしを「ちゃんと致すときはウェアラブル端末は着けておくれよ」という声が追いかけてきたけど知るもんか。






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