第13話 推しと飲む


 駅から徒歩五分にある焼き鳥屋さんは安くて美味しいけれどちょっと分かりづらい場所にある。

 就職してすぐに先輩に連れてきてもらってからずっとお世話になっているお店なんだけど、こんなとこにあるわりにはいつもお客さんが多い繁盛店。


 なので焼き鳥食べながら飲みたいなって仕事帰りに寄ってもいっぱいで断念せざるを得ないという悲しい目にも何度もあっているわけで。


 黒岩に誘われて、ここをあたしが指定した時に入店を断られるかと思ってたのに。


 なんでかなー。

 今日に限ってカウンターに二席だけ空いてる。


 おかしいな。


 別に黒岩と飲みたくないわけじゃないんだよ。推しと二人きりで飲むなんて畏れ多くてさ。

 今まで平気だったのが不思議なくらいだよ。過去のあたしをどつき回してやりたいね。


 至近距離で推しを見られるのは眼福ではあるけど、動悸が激しすぎて寿命が縮まるじゃないか。

 推しと推しがイチャイチャしてるのを見るのは延命になるのに。なんで隣にあたしがいるのか。


「ビールでいいか?」

「ええ、いいですよ」

「適当に頼むけど?」

「黒岩のすきにして」


 近すぎてそっち向けないから不自然に前だけ凝視してても許して!


「お前さ。最近嶋田さんと仲良いよな」

「あーでも強く言い過ぎたからしばらく寄ってこないんじゃないかな」


 いつも帰りに「お疲れ」って言ってくれてたけどここ数日はないしね。

 おとなしく引いてくれてほんと良かった。

 あたしも反省して開発部の皆さまと少し距離を置くようにしたし。そもそも部外者なんだから身の程わきまえとけよってことですよね。


「……だから心配してんだろ」

「え?」

「めちゃくちゃ仲良さそうにしてたのに、急に喋らなくなったから、なんか、あったんだろうって」


 なるほど。

 それが聞きたくてわざわざ飲みに誘ってくれてのか。


 やさしいなぁ。


「ちょっとからかわれ方が行き過ぎてたからそれはイヤです!セクハラですよって伝えただけで。別に」


 痴漢の時みたいに実害があった訳じゃないしさ。

 ちゃんと不快ですって言って引いてくれたから問題ないし。


「黒岩が心配することじゃないよ。大丈夫だから」


 なんか申し訳ない。

 推しに心配かけるなんてファンとしては失格なのでは?

 ファンは影となり時に踏み台となり推しの幸せを願うものなのに。


「黒岩の貴重なお時間とらせてごめんなさい」

「……なんで謝るのかおれには分からないが」


 そこでグイッとジョッキを傾けて生ビールを飲む黒岩。


 ああ……尊い喉仏!首筋!腕!指ぃ!

 思わず拝んでしまったあたしを黒岩が微妙な顔で眺めている。


「最近お前の態度が変わったのおれの気のせいじゃないよな?」

「ソンナコトナイヨ」

「なんで棒読みになるんだ」


 大きなため息。


「視線も合わなくなった」

「それは、ごめん」


 黒岩がこっち見てないときにガッツリ見てるからなぁ。

 そりゃ視線は合わないよ。


「おれも嶋田さんみたいに桐に嫌われることしたんなら言って欲しい」

「え」


 してないよ。

 むしろ逆ですが。


「いや、黒岩はなにひとつ悪くないよ」


 同僚から推しになったことが問題なだけで。


「おれが悪くないならどうやったら前みたいに戻れるか教えてくれ。頼む」

「あーそれは」


 ちょっと難しい。

 前どうやって接してたのかすでに思い出せないから。


「おれは悪くないし嫌われてもいない。だが桐はよそよそしい……どうしたらいいんだ」


 苦悩しているとこ悪いけど運ばれてきたネギマに乱暴に食らいつく黒岩に胸がときめく。


 はぁん。寿命が伸びたよ。いま。


「現状を受け入れてくれると助かるんだけど」


 ムリかな?


「……こんなことなら実験者選考の時に辞退しとくべきだったと後悔してる」


 まぁね。


 サンダーソニアの件がなければ黒岩が推しになることはなかっただろうし。

 それは正当な後悔かもしれない。


「相手に桐を、と言われて飛びついたが」

「はい?」


 なに。

 飛びついたって。


 その言い方はまるで――。


「桐には災難だったよな。悪かった。巻き込んで」

「いや、あの、黒岩?」

「金光さんに桐を営業に戻してもらえるように頼んでみるから」

「ちょっと、待って」


 自分のビールに手もつけてないのに頭がぐるぐるしてる。

 営業部に戻るのは別にいいんだ。

 元々いた部署だし、顧客さまにもあたしが担当している会社関係の方にも不義理してることすごく気になっているし。

 そろそろ戻りたいなとは思ってたから。


 でも。


「サンダーソニアにはすごく期待してるんだよ。その開発に直接協力できてることも、黒岩と一緒に仕事できることもうれしい」


 最初はなんであたしがこんな目にって思ったこともあったけどさ。


「あたしは後悔してないよ。巻き込まれたとも思ってない。だから黒岩もそんな顔しないでよ。さぁ、飲も飲も!」


 かんぱーい!って半分空になっている黒岩のジョッキに自分のをぶつける。

 空疎な音が響いたような気がするけど勢いよく飲み干した。


 くそう。

 これが飲まずにはいられるか。


 あたしの態度が変わったことを落ち込んで、悲しんでいるらしいし。

 ちゃんと説明した方がいいんだろうから。


「あのね。黒岩」

「……なんだ」


 待って!声が暗いよ。

 ほんとにそんな顔も、声も、思いもさせたいわけじゃないんだってば。


「あたし別に黒岩が嫌いとかじゃないからね?どちらかといえばプラスの感情なの」

「!」


 あ。

 なんかうれしそうだけどごめん。


「期待させちゃったら申し訳ないんだけど、恋愛感情じゃないから」

「どういう、ことだ?」

「えっと黒岩が推しになったってこと、なんだけど……分かる?」

「分からん」


 あらら。唇がちょっと尖ってむくれてるのかわいいなぁ。


「んー?簡単に言うと黒岩のファンになりましたってこと。推しの日々を遠くから見守り、尊び、幸せを祝福し萌えを糧に生きていく立場なの。あたし」

「は?なんで遠くからなんだよ」

「なんでってそれが推しへのあたしの尽くし方なんだからしょうがない」


 黒岩は残りを飲み干し次のビールを追加する。

 ついでにあたしの分も頼んで、鶏皮をモグモグ。おいしいなぁ。


「意味が分からん」

「まあ黒岩はオタクじゃないからオタクの心理は分からないかもね」


 頭を抱えてぐしゃぐしゃっと髪を乱す仕草にまたきゅんとする。

 はぁん。


「…………好きってことなんだろ?」


 チラリとこっちを見た視線の強さにときめきとは違う意味で心臓が跳ねる。


「なら今はそれでいい」

「いいの?」

「あとできれば避けないでくれ」

「……うん」


 なるべく前みたいに接するようにして欲しいって頼まれたので善処しますってだけ答えておいた。



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