第二章 かかって来い!

第11話 喫茶ローズガーデン

残念な兄を持つ玲は、兄を振った元カノにすみれ嬢に嫌みを言ってしまい、彼女を相当怒らせてしまった。


怒りに震えたすみれ嬢は玲を探すために手下を使いこの街の全執事喫茶への聞き込みをし、友人知人に駅やバス停に張り込みをさせ、発見者には報奨金を出すという手段で、とうとう玲を見つけ出したのだった。


玲はまだ写真を撮られただけだったが、男子高に通う兄のバンドに加入するために密かに男の子の振りをしている手前、これ以上正体を探られるのは死活問題であった。


そこで。兄のバンドのメンバーである翔のバイト先である執事喫茶『ローズガーデン』にすみれ嬢を呼び出し、話し合って決着を付けようと決意したのだった。


この日は執事喫茶の店長が不在であるのに関わらずバイトの人数が足りない危機に陥っていたので翔は猫の手も借りたい一心で優介に手伝いを頼んだのであった。


執事の仕事。優介は全く気が利かないし、役に立たないのは明白。なので玲は兄を手伝うという大義名分で優介と共に執事喫茶にやって来た。玲は弟の立場で何か手伝うと翔に申し出た。


「……手伝うといってもな。お前はまだ中学生だからバイトは無理だろう?しかも今日はすみれ嬢が来て、お前と直接対決するのではないか」


髪をオールバックに決めた凛々しい翔は、困った顔で玲を見下ろした。


「翔さん。今日の僕は社会体験として来ました。よってバイト代は要りません。万が一、労働局の監査が入り、未成年を働かせていると指摘された場合も、これはあくまでもボランティアの一環であり賃金を得ていない以上、仕事でありませんし。学校に対しても僕はこの体験を元に論文を書く予定なので問題無しです」


「翔よ。玲の言う通りにしておけ?頭痛がしてくるぞ……」


優介はそういって椅子に座りながら革靴の紐を結んだ。



「そうは言ってもな、優介。ここは色んな客が来るぞ?俺としては我儘な女の相手を幼気いたいけなコイツにはさせたくないんだが……」


翔はそう言って腕を組み怪訝そうな顔で玲を見下ろした。


……私の事を本気で心配してくれているのかな?でも……。



普段からしっかり者のイメージの彼女は幼気などと言われた事が無い。抗体ゼロで心拍数が上がってきた。


しかし翔は玲の気持ちも知らず、両肩を掴み、そっと椅子に座らせた。ドキドキの玲はなんとか動揺を隠して彼を見上げて言った。



「あの、翔さんは僕が接客業務をする事を心配しているのですね?分かりました。それなら厨房のお手伝いならいいですか?」


「それならいいが。うちはメニューが豊富だぞ。ほら……見ろ」


  

  

玲は翔からメニュー表を受け取った。長々しい何の料理なのか不明な名前の品名がたくさん書いてあった。が、どれも軽食でフライパンを使う料理は無さそうだった。



「……これなら手伝えると思います。このパンケーキとかは業務用の冷凍食品ですよね?」


「まあほとんどがそうだが、盛り付けなども……細かいぞ?」


すると優介はポンと翔の肩に手を置いた。



「……翔よ?うちの玲の女子力なめんなよ?我が家の家事はぜーんぶコイツがこなしているんだからな、な?玲?」



弟の振りを強制している兄は女子力というNGワードを炸裂させ翔にドヤ顔を見せた。


「女子力?」


きょとんとしている翔に玲は慌てて誤魔化した。



「あ、あの翔さん。お兄の通訳しますね。僕は男女平等の精神を理解するために、家事にもチャレンジしているんです。ね、お兄!」


玲は思わず立ち上がり、両手をグーにしながら必死に翔に力説した。


「そう、それだ!それそれ!」


優介は翔に肩を回しながら、玲を指したが彼女はこの笑顔を憎々しげに見ていた。


「……まあわかった。今日は俺が店長代理だし。厨房で大人しくしているなら構わないぞ」


「良かったな、玲?イエーイ!」


彼の物分かりの良さに鳴瀬きょうだいは思わずハイタッチしていた。

    

「ところで、鳴瀬弟?すみれ嬢にはお前が来るとメールはしたが、彼女からの返事は無い。何時に来るかは知らないが、来たらどうするつもりだ?」


「はい。お仕事の邪魔にならないように、店の外で話しを付けます」


「え?すみれちゃん、ここに来るの?」


こんなおとぼけの兄に玲はムキになって説明した。



「何を嬉しそうにしているんだよ?自分を振った相手なのに。もう!」


その時。他のバイトの人達が店に入ってきたため玲と優介は彼らに挨拶を済ませ、各々の持ち場で説明を受けた。



そして開店の11時。


翔がドアを開けた。カランカランとベルが響いた店の前には、すでに三組の女性客がいた。

 

「いらっしゃいませ、御嬢様。どうぞ」


うやうやしく頭を垂れるイケメン執事達が一列になってお出迎えのすごい光景に玲はおおおおと感動していたが、心配していた優介もそれなりに形になっていたのでほっとした。



本日の翔の執事服は黒の正統派。グレーのベストを着て、白いシャツの襟元が凛々しく長身なのでとっても見栄えしていた。


一方、小柄な優介は、ベージュのジャケットにチェックのベストで、金髪の髪をオールバックにしている様子は妹の玲にはお風呂上がりのようにみえた。


……翔さんは、お兄を執事見習いって言っていたもんね。


兄は不服そうだったが今日が初日。本当に見習いで合っている優介に、玲は心の中で『頑張れ!』とエールを送っていた。


    

やがてキッチンに待機していた玲にオーダーが入った。



「アンドレ。『眠り姫のパントケーキ』を」


「かしこまりました」


本日の玲は、翔が名づけてくれたアンドレという名になった。

 

衣装は無いので自前の黒いパンツと白いシャツ。黒いギャルソンエプロン、頭には黒いキャップをかぶっていた。



「蘭丸、ブルーのテーブルに御冷を」


「はい!」


翔の指示の中。なぜか一人だけ和名の優介は、それをポジティブに捉えていた。そんな健気な兄を玲は誇らしげに見ていた。


やがて女性客達の欲望の塊のオーダーが入る厨房。玲は冷凍のパンケーキを正しい手順で解凍し、写真の通りに手際よく盛り付けをして料理を完成させた。


「はい!パープル席の『夢見るコーヒーゼリー』。ホワイト席の『乙女のプリン』です。『眠り姫のパンケーキ』も上がりです」


これを受け取った優介は慌ててトレーに乗せていたので、翔はこれを注意した。



「蘭丸?慌てずに出せ!」


「お。おう!」


メニュー名と兄のぎこちなさに、ハートがくすぐられる玲だったが、ハイスペックの玲はレシピを見て一回作れば料理の手順を完璧マスターして行った。おかげでどんどん早く作れるようになってきた。


仕事中、彼女がそっとホールを見ると、席は満席で、店外には空席待ちのお客様でいっぱいだった。


玲は一緒に料理を担当しているコックコートがお似合いのイタリア人ハーフのロッシに、食器を洗いながら訊ねた。


「ロッシさん。ここはいつもこんなに混むのですか?」


「まあな。翔が居る日は特に込むんだよ。あいつは人気があるからな」


おどけて口をとがらせたハンサムなロッシはウエーブかかった髪を後ろで束ねて玲に微笑んだ。




「あの……ここの厨房は、いつも何人なんですか?」


素直で可愛い弟分の玲にロッシは肩をぶつけながら話し始めた。



「基本は店長と補助が一人。でも今日は店長がいないんで、いつもは接客やっている俺が、こっちをやってるわけ」


「もしかして。今日僕がこなかったら、ロッシさんが一人でやるつもりだったんですか?」


「まさか?接客の奴がここもやる予定だったけど、お前があんまりできるんで。そいつはホールに専念させているんだ」


「ふうん……」


その時、慌てた様子で翔がキッチンに顔を出した。



「おい!ロッシ!頼めるか?御指名なんだ」


彼は親指を立て、こっちへ来いと呼ぶので、ロッシは濡れた手をタオルで拭き玲に振り向いた。


「はあ。仕方ないか。アンドレ?ちょっと行ってくるけど。ゆっくり作ればいいから、な?」

 

ロッシはそういって玲の頭に軽く頭をコツンとぶつけると、軽く微笑んでトレーを片手にホールへ向かった。


    

やがて聞こえたお客様のキャーという歓声に、玲は彼の人気の高さを知った。




「玲……お前、大丈夫か?」


「へ?」


大量の皿を夢中で拭いていた玲は、お皿の山の影から声のする方へ顔を出した。

そこには腕を組んだ翔が立っていた。



「オーダーですか?」


すると翔は黙って製氷機を開け、氷を一つ、つまんでいた。



「おい……。口をあけろ」


そして彼は指でつまんだ氷を玲の口に押し込んだので、彼女は寄り目になってしまった。


「むぐぐ?」


「そこは暑いからな。ちゃんと水分を取れ」


素っ気ない言い方だが、玲の髪を優しく撫でてくれた翔の優しさに彼女は感激していた。


「はい!どぅわいじょううぶれす」



口の中でコロンコロンと転がしながら話す玲に、翔はにこと笑ってフロアに戻っていた。




そして、ランチタイム。


怒涛の時間に突入したが、ロッシは客に捕まったようで、戻ってこなかった。


なのにどんどん入るオーダーに対応していた玲は、自分一人しかいないのにバンバンオーバーを取るフロア係に頭に来ていた。


「もう少しゆっくり注文を取ればいいのに。何をしているのよ、もう!」


立腹した玲は文句言ってやろうとキッチンからホールを見ると、そこでは愛するお兄が店外で待っている人を、どんどん空席に誘導しているのが見えた。


    

……はあ?お兄が仕事を増やしてるの?


そんな妹の怒りも知らない優介は必死でお客様を席に案内していた。




「お待たせしました。すみません、こちらへどうぞ」


そういって汗をキラキラさせて客を椅子に座らせる兄を見て、玲は優介がお客様のために頑張っている行為なんだと自分に言い聞かせた。



……悪気は無い、悪気は無い……こうなったら……やるしかない……。



愛する兄のために玲はマンガで表現したら、足がぐるぐるに書かれているレベルで、厨房でフル回転し、このランチタイムを乗り越えたのだった。




そして14時。厨房にロッシが戻って来た。


「……ごめん!一人にしちまって」


ロッシは申し訳なさそうに玲に両手を合わせて謝った。



「マジごめん。昔お嬢様だった方々に、捕まっちまって……」


気不味そうな彼に、玲は首をかしげてニコと微笑んだ。



「いいんですよ。ロッシさんは僕のために調理が楽なメニューをお客様に勧めてくれたようですから」


そういって玲は大量の皿を洗い終え、割らないように重ねていた。



「え。何の話し?」


ロッシは澄ました顔で布巾を取り、他の皿をキュッキュッと拭き始めた。


    

「やだな?僕を見くびらないで下さい。コーヒーゼリーやプリンは出すだけだし。パンケーキも温めるだけでしょう?面倒なクレープとかは無いのですもの。ロッシさんだけは手間のかかるメニューは全然無かったですから」



するとロッシは白い歯を見せながら玲の背を叩いた。


「ハッハハ。だってお前が大変になるからな」


「ありがとうございます。僕はこの優しさに気付いた瞬間、泣くのを我慢するのが辛かったです……」


玲は優しいロッシに愚痴り出した。



「それなのに肝心の兄は。僕のことなんかなーんにも考えず、面倒なメニューを取ってばかりでしたから。ロッシさんの配慮が無ければ、パンクしていました。もう!」


ホールで客とへらへらと話をしている兄をみて、玲は再び腹が立ってきたが、ロッシは優しく頭をポンをした。


「まあ。あいつも今日が初日だったから無理ないさ。許してやれよ」


「……僕も今日が初日ですけど?」


「マジ?っていうかお前、他の店からのヘルプじゃなかったの?」

 

驚きで目を見開くロッシに、玲は苦笑いをした。


その時、厨房に声がかかった。



「おい?鳴瀬弟。ちょっと来い……」



今度は翔が小首をかしげて、玲を呼んだ。


「何ですか、翔さん」


「いいか。あの全身ピンクの奥方が見えるか?」


二人は頬を寄せてカウンターからこっそり客席を覗いてみた。




「……頭にリボンをつけている、一見60代の淑女ですか?」


「実際は70歳代だ。あの方はこのビルのオーナーで、通称、『ピンクレディー』。こうして時々遊びにやってくるんだ」


翔ははふうと息を吐いて肩を落とした。


「お前はもう気づいているかと思うが、このビルのテナントは彼女の趣味で全部、執事喫茶だ。だから新人が来ると彼女に挨拶するのがこのビルの掟となっている」


「掟……このご時世に」


こんな翔は、優介は先ほど挨拶を済ませたが、玲はバイトではないし、社会見学だといっても説明してもピンクレディーは納得しないと言った。



「わかりました。僕が自己紹介的な挨拶をすればいいですね?」


翔に迷惑をかけたくない玲は、テーブルを拭いた布巾をそっと水洗いした。



「ああ。本当は執事風にやるのだか。お前は普通でいい。俺も一緒に行くから」



心配する翔に大丈夫の意味の親指を立てた玲は帽子を取り彼の後ろに従い、ピンクレディーの席に歩み寄った。



「大奥様。こちらは厨房で見習いを始めたアンドレと申します」


「まあ。アルフレッド、この子がそうなの?随分若いのね……」


翔の執事名が定番であるアルフレッドだと知った玲は、ぐっと笑いをこらえた後、すっと頭を下げた。



「初めてお目にかかります、僕は厨房見習いのアンドレと申します」


「それで?社会見学と伺いましたが、あなたは何を学びにいらしたの?」


玲は頭を下げたまま、適当に返事をした。



「はい。本職業の社会的な意義でございます」


「社会的な意義?何それ?」

 

「価値や重要性ということです」


「?なんだか小難しい子ね……。まあいいわ、顔をおあげなさい」


玲はゆっくりと身体を起こしたが、舞台メイクのような彼女から漂う強烈な香水の匂いむせてしまいそうで背けた。



「あら?あなた……。どこかで見た顔ね?」

 

その時、店のドアのベルが響いた。


そこには彼女がいた。





「みーつけた!」



つづく

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