第10話 怪奇、開かずの間

「実はさ。優介が使っている7号室。あそこは普段は『開かずの間』なんだよ」


玲は食べていたクレープをゴクン飲み込むと、正樹を向いた。


「……『開かずの間』。それは生類憐みの令で知られる五代将軍、徳川綱吉公が変死を遂げた部屋とされる大奥の部屋。四方を壁で閉ざされ戸の無い部屋は大政奉還時の江戸城開城の際、討幕軍に発見され驚かれたという伝説の部屋。僕はこの部屋が何畳なのか、ずっと知りたいと思っていました」


「……今それ必要か?」


「すみません。興奮しました!」


「とにかく。不気味な部屋なんだ」



正樹の説明では、時々、音が不安定になったり、女のうめき声がするとかいう客がおり、どんなに設定をしてもカラオケの採点が極端に厳しくなっていると話した。


「……機材の不具合では?」


「点検しても何も無い。だから普段はあの部屋は客に使わせていないんだ」



玲はその部屋で何も知らずに熱唱している幸せ者の兄を想った。そんな玲に正樹は話を続けた。



「あの部屋の事がネットで噂になって使えないせいで、売上に響いている。俺も店長に相談されてさ。なんとか改善したいんだよ」


「わかりました。僕でよければ部屋をみてみます。ごちそうさまでした!」


「あ、玲。こっち向いて見ろ……?」


「え、まだ顔に何かついていますか?」


いきなり正樹は玲の頬にキスをした。彼女はその頬を抑えた。




「な、何をするんですか?」


「ハハハ。さっきのお返しだ……」


するといきなり、ドアが開いた。



「こら!何してんだよ!」


「うわー?!」


「おっと?どうした優介」


気が付けば一人ぼっちで歌っていた優介。彼はまるで迷子の子供のよう不安でいっぱいの気持ちで玲を必死に探し、各部屋を覗きまくってやっとここに来ていた。


「どうしたじゃないだろう!俺を孤独にしやがって。それに何、抱き合っているのお前達!あ、正樹?ずるい!玲だけ美味いもん食わせて。もう!!」


思わず正樹の首に手を回していた玲は慌てて彼の身体から離れた。これを正樹はフォローした。


「だって……お前は気分良く歌っていただろう?今、同じのをそっちの部屋にも持っていくから」


平気な顔の正樹の前の玲の心臓はドキドキだったが、一生懸命平気な顔を務めていた。


……これって一応、男の子だから、正樹さんはふざけているんだよね?でも、男の子にキスっておかしくないか?


冷静に悩んでいた玲は彼らと元の部屋に戻った。


「そんな事より!こっち来て見ろ、俺の実力を!!ほら」


画面のスコア。お兄にしては有り得ないカラオケの高点数に、思わず玲は正樹と顔を見合わせた。


「おかしいな。どういうことだ?」


「壊れてないですよね?」


「なんだよ!正樹まで?俺の実力を疑うのかよ」


開かずの間に移動した玲は、クレープにかぶりつく兄を他所にカラオケの機械を確認した。




……と、いっても私には機械は分からない。でも、おかしい。


その間。正樹はテレビ画面を優介の歌った採点を詳しく表していた。



「本当だ、70点だ」


「ひど!」


食べ終えた優介は、ソファにゴロンと横になった。


「正樹さん。お兄は、音程が半音下がるという特性の持ち主なんです」


「あ、あと絶対音感もな。加えてくれ」


「……確かに。このスコアも音程がずれているな」


音程を示す線にそった美しい平行線が画面に映っていた。


「でもね。良―く。見てください。ずれているのは、一音なんですよ」


「……ここまでくると見事だな」


見事のハズレ。顎に手を置き感心している正樹に玲は呟いた。


「お兄の耳は確かのはずです。なので問題は出ているカラオケの音程の方だと思うんですけど。でも……機械は壊れてない。ならば……」


……音がスピーカーを通過する時に、半音下がっているとしたら?お兄はそこからさらに半音下がって歌い、結果として一音下がった事になっているのでは?


考え込む様子を見て、正樹は玲の意図に気がついた。



「故障はスピーカーか!?よし、待っていろ。今」


「待って!触らないで!」


「玲?どうした?」


思わず玲は正樹の腕を強く掴んだ。その腕は震えていた。ソファにて涅槃像の優介はサラリと言い放った。


「正樹。玲のシンキングタイムを邪魔したら、殺されるからほっとけよ」



そんな兄の軽口も聞こえない彼女はじっと考えた。



……この7号室は受付から一番遠い奥で死角からこの部屋の利用者しか、前を通らない。スピーカーの蓋は開けられるようになっている。



「正樹さん。……この部屋の鍵は?」


「防犯上、全部の部屋には鍵が無いけど」


「ネットで噂になって、この部屋が使えなくなったんですよね?」


「そうだ」


「店の人は、各部屋でカラオケの利用状況は把握できるのですか」


「もちろん。電源が入ればわかる」


「電源が入らないとわからないのですね?後、この部屋を使用する外国人客がいませんか」


「……この部屋は外国人向きの曲を設定してあるが、それが何かあるのか」



不思議そうに話す正樹に玲は恐る恐る答えた。



「こっちに来て!正樹さん。僕はこう、考えています。このスピーカーの部品を外すと、法に触れるものが入っているのではないか、と言うことです……」


玲は彼の腕をそのまま掴み、一緒にソファに座った。



「どういうことだ。玲?」


「……違法取引物の隠し場所かもしれません。ここは誰も来ないし、部屋を閉めれば話しも外には聞こえません。カラオケを利用しなければ、履歴もありません。それに時々不具合が生じるという事は、頻繁にやり取りがある可能性を示唆しています。犯人はフェイクニュースで評判を操作している事も否めません。女の人のひそひそ話は、マイクだけがオンになっているのかもしれませんね」


「それならやはり……開けてみるのが早いだろう?」


「ダメだってば!?」


玲は立ち上がろうとする彼を思わず抱きしめたので正樹は驚いた顔で彼女を見つめた。



「第一発見者として真っ先に正樹さんが疑われます!それに、こういう取引に利用されるには、店に内通者がいる可能性が濃厚です。だって各部屋に監視カメラありますもの。この部屋は未使用だからそもそもカメラが起動していないかもしれませんが、協力者が映像を操作している可能性があり、それは今、この瞬間もなんですから……」


「……玲、大丈夫か。お前、顔が……青いぞ?」


気が付くと正樹は心配そうに玲の顔をのぞき込んでいた。


その時、急に優介がガバッと起き上がった。


「よっしゃー。お兄がまた盛り上げてやるか。玲も歌おうぜ?」


「……うん」


優介は玲にマイクを差し出した。彼女は兄の隣に座り直しマイクを掴んだ。


「ポチっとな!ようし、歌うぞ!」


優介は立ち上がりマイクをテーブルに置き、何故か膝の屈伸をしながら正樹に話した。


「正樹はさ。今の話し、店長だけに話して来いよ。俺達は一曲だけ歌ったら、出るからさ」


「わかった……」


イントロが流れてきた。


彼女は兄の音程が外れないように、曲の頭の所を一緒に歌った。




……怖がっている私を助けてくれるお兄。


あんまりそこまで深く考えていないかもしれないけれど、玲は頼もしい兄に感動していた。


そして玲は歌い終えた後、一応、得点を確認した。優介はやはり機械の音程より半音下がっていた事を確認した。

 


……私と歌ったから。これは合っていたということね。



しかも、兄はビブラートとしゃくりあげを連発し、さっきよりも高得点をたたき出していた。


「やっぱりお兄はすごい!」


思わず拍手した妹に兄は投げキッスをした。


「ハーハハハ!恐れ入ったか、カラオケマシン!」


歌い終え鳴瀬兄妹は、カウンターに声をかけたが、正樹は仕事が忙しくなったようなので不在だった。


二人は彼に挨拶を出来ないままカラオケ店を後にした。


帰り道。


優介はこの後高校でバンドの練習が合るが玲は来なくて良いと兄がいうので、彼女は一人先に帰りのバス停へ向かった。





バスを待つ間。


立って待っていた玲は、後ろから肩をトントンと叩かれて、振り向いた。


「何ですか……きゃ?」


パシャ!という眩しい光に彼女は思わず手をかざした。



「フフフフ」



勝手に写真に撮った女の子は、冷たく笑うと、走って逃げて行った。


……何なのよ、一体。



 

そして。


家の近くのスーパーで買い物を済ませた玲は、自宅で夕食を作り、兄の帰りを待っていた。





「ただいま」


「お疲れさまでした」


「ふう。今日もつかれたー」


リビングのソファに飛び込んだ兄に、妹は優しく声をかけた。


「どうだった練習は?」


「まあ。あんなもんだろう」


「学校祭まであと4週間だ。私もがんばろう!」


すると優介がソファで寝返りをうった。


「なあ玲?翔がバイトしている執事喫茶で人出が足りないんだってさ。俺、明日手伝いに行くことにしたから」


「へえ。お兄の姿、私も見てみたいな。翔さんもカッコいいし」


「止めておけ。すみれちゃんが本気でお前を指名手配しているらしいし」


「つまんないの。ところでさ。前から聞きたかったんだけど、すみれ嬢とはどこで知り合ったの?」


「駅でナンパ」


「あ、そう!」


納得した彼女は兄にずいと水を出した。




「あとな。隼人が昨日出会った中学生がめちゃくちゃ可愛かったって言ってな。今度同じ時間に張り込みするんだと」


「うそ?っていうか。それ本当に私の事なの?」



「ああ。俺もさ。隼人はモテるから冗談だと思うんだけど。まあ、気を付けとけ、な」


「うん」


「あとな。正樹がカラオケ店は、あの後警察を呼んだってさ。なんか前からバイトで怪しい奴がいたんで店長も気になっていたんだと。結果は知らんけど」



「……もういいよ。私、怖くなったから考えたくない」


その後。


夕食を終えた玲は、自室に入った。


そしてパソコンのメールをチェックした。



「あ、翔さんからだ……何これ?」


メールには自分のびっくり顔の写真が合った。


……これは、今日の夕方撮られたものだ。




翔のメールにはすみれ嬢が銀髪という玲の特徴を友人知人に頼み、発見者に懸賞金を掛けたという。


……そうか……私の乗ったバスの行先を知られたかな。じゃなくても今後、自宅や中学校を探られる可能性があるな……。




「こうなったら、仕方が無いか」



覚悟を決めた玲は翔にメッセージを送った。夏の夜空の第三角形は彼女の頭上を大きく囲んでいた。



今年の玲の夏休み。

 

なかなか休めそうもなかった。



つづく。





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