スマホ

「おおぅ……。マジか」


 ポストから回収した郵便物のチェックをしていたマスクさん。分厚い封筒の中身を一瞥いちべつして、彼女はうなった。


「どうしたの?」

「これ」


 マスクさんがぼくの方に向けたチラシ紙は、携帯電話のキャリアからのお知らせ郵便――「新料金プランのお知らせ(家族割の改定について)」。


「ええと……」

 

 マスクさんからチラシを受け取る。彼女がうなった「理由」にあたるであろう部分に、ぼくも目が留まった。


「ああ……。家族割から『同棲どうせい』のペアは対象外になるんだね……」


 ぼくは二年前のことを思い出した。


***


「スマホのキャリア、変えようと思うんだよね」


 駅前で待ち合わせしたぼくとマスクさん。

 ぼくたちは待ち合わせの場所と時間以外、特に何も予定を決めずにデートをする。その日その時の気分で、行くところ、することを決めるのだ。これが案外、楽しい。

 今日のデートは、マスクさんのそんな一言が始まりだった。


「使い過ぎで携帯代きついのよ」

「ふぅん。じゃあ、電気屋とか携帯ショップ行ってみよっか」


 視察目的で大手ショップを二軒訪れたあと、「格安」が売り文句の携帯キャリアブースに足を運んだぼくたち。


「ううむ……。安い、安いが……」

 

 マスクさんは、自身のスマホ使用頻度から例示された月々料金に、今一歩踏ん切りがつかないといったご様子。たしかに、前の二件よりは安いんだけど――。


「データ容量、抑えたら?」

「……それは眼中にない」

かたくなだね」


 引き続き、カタログとにらめっこをするマスクさん。そんな彼女に、案内してくれている店員さんが、「失礼ですが」と声を掛けてきた。


「彼女さん、お風邪を召していらっしゃいますか? ひざ掛けのブランケットなど、お持ちしましょうか?」


 目線の送り方からすると、マスクさんの膝上スカートにマスクといった、なんだかちぐはぐな出で立ちに気を配ってくれたらしい。彼女とデートに行った先ではよくあること。

 マスクさんに答える気配がないので、ぼくが代わりに「あ、いや」と口を開いた。


「大丈夫ですよ。彼女のマスクは、『つけていないと居心地悪い』んですって。お気遣いありがとうございます」


 ぼくの返答にほんの少し含み笑いをしたあと、店員さんはにっこりと微笑んで「それは失礼しました」と言った。

 そうなんだよね。せっかくマスクさん、可愛い顔してるのに、もったいないんだよね。


「ねえ。これ……」


 ぼくと店員さんのやりとりも気にせずカタログを眺め続けていたマスクさんは、ぼくの袖を引っ張り、カタログを指さした。


「『家族割』……。誰かといっしょに契約するの?」


 するとマスクさんは、ちょい、ちょいとぼくを指さしてきた。


「ぼくと? 家族じゃないじゃん」


 そのぼくの反応に目元を緩ませた彼女は、次に家族割の説明ページの下の方を指さした。


「『割引対象』……。『同居中の恋人同士』……?」

「ということで、同棲しよう」

「ええ?!」


***


 ぼくたちの同棲は、そうして始まったのだ。

 「スマホがつないだ同棲生活」といえば、なんだか物語的でいいんだけど、ぼくたちの場合は、「スマホ『割引』がつないだ同棲生活」――たったの二文字でこの差。今にして思えば、「ぼくたち」らしい。


 さて、今現在の問題。「同棲ペアは家族割の対象外になる」。

 ぼくはあらためて、「新料金プランのお知らせ(家族割の改定について)」のチラシ案内を読んでみた。


 ――。


「マスクさん」

「ん」

「ぼくたちの場合、家族割からは外れるみたいだけど、ここに書いてあるとおり、ショップ行って手続きしたら、同じデータ容量で基本料金が下げられたプランに簡単に乗り換えできそうじゃない?」


 昨今、携帯電話キャリア各社は、国策にのっとって、一斉に携帯料金の値下げプランを発表している。ぼくたちが使用しているスマホキャリアのこの改定もその一環なのだろう。同棲ペアが割引の対象から外されたのは、企業利益に思いを巡らせれば致し方ないことなのかな、とは思う。


「というか、これなら家族割適用されなくなっても、今より断然安くなるんじゃないかな……」

「でもなあ……。なんだか負けた気がするんだよなあ……」

「なにと勝負してるのさ」

「ヤツら」

「じゃあ仕方ない」


 マスクさんの、どうにも腑に落ちていない様子が解けない……。

 ぼくは、どうにかマスクさんの気が済む手はないものか、とチラシを再度、すみずみまで読む。


「結婚すれば……」


 マスクさんがすごい勢いで振り向くまで、ぼくはその言葉を口にしていたことに気付かなかった。


「あ、いや、今のは……。その……」

「……いいね。夫婦になれば家族割適用できるね」


 マスクさんの目が笑ってる。

 マスクさんマニアを自負するぼくも、その反応には唖然あぜんとしてしまった。


「え? 本気?」

「うん。てか自分で言ったじゃない」

「もっと、こう……。ロマンチックなプロポーズとかが……」

「こそばゆいだけだって、そんなの。私は今のプロポーズ、死ぬまで忘れないと思うな。面白すぎる」

「でもなあ……」

「なに? 結婚するの、イヤなの?」

「いや、マスクさんとは結婚……したいです」

「……私も。だからいいじゃん。式ではぜったいウケるよ、コレ」


 「目は口ほどにものを言う」とはいうけれど、マスクさんと過ごす日々のなかで、その言葉はただの諺では済まず、ぼくの必修科目だった。彼女の機嫌、心情をマスクより上だけで判断する。同棲して最初の頃は、読み違えて地雷を踏むことも多々。

 そうして培われたぼくの読みでは、今の彼女は、とても嬉しがっている。ほら、目元が潤んでくるくらいだもの。間違いないね。

 ぼくのマスクより上も、きっと同じような色を浮かべていて、マスクさんも感じ取ってくれているだろう。これも間違いない――と思いたい。


「ショップより先に、役所行かないとね」

「実家にも行かないとだなあ……。大変だ」

「大変だね」


 目元を拭うと、マスクさんは「お茶れて」と催促さいそくした。ぼくは久々に、特別に火にかけて香りをたてたココアを淹れてあげようと、意気込んでキッチンに向かった。

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