ホラー

 マスクさんは「おおぅ」とうなると、僕の服を掴んで体を寄せてきた。


「マジやめてほしい……」

 

 ぼくたちはリビングで、レンタルしてきたホラー映画を観ている。

 彼女はつんざくような突然の音響と、テレビ画面でアップになった「幽霊」の白目むきだしの顔に驚いたのだ。


ギャーン


「うほぅ!」


 今度はビクリ、と体を浮かせる。


「二度目のビックリポイントまでの間隔、短すぎでしょ……」

「いつも思うけど、ビビるなら観なければいいのに……」


 マスクさんは画面から目を離すと、ムッとした目を向けてきた。


「ビビってないよ」

「……」

「面白いから観てるんだよ」

「そうですか」


 まあ、これ以上は言うまい。

 せっかくマスクさんが近くなってくれるんだから、ぼくとしても役得の時間だしね。


***


「それじゃ、おやすみ~」

「おやすみ……」


 いつもどおり、それぞれのベッドに潜り込んで「おやすみ」の言葉を掛けあうぼくたち。

 同棲してるペアにしては珍しいのかもしれないけど、「いつも新鮮なカンジにしよう」と言ってこの形式を提案したのはマスクさんの方だった。ぼくは少しイヤだったけど、実際に生活してみるとこのスタイルはありがたかった。少しして気が付いたんだけど、マスクさん、寝相が悪いんだよね。もしかしたら、自分でそれを知ってて気遣ってくれたのかな。


「ね」


 ベッドサイドの明かりを消そうと手を伸ばしたぼくに、マスクさんが声を掛けてきた。


「ん? ……どうしたの?」

「……いや、なんでもない」


 なるほど、察しました。よくあるパターンだしね。

 でも……。


「おやすみ、マスクさん」


 そう言ってぼくは、明かりを消した。

 今日はちょっと、意味もなくイジワルしたい気分のぼくでした。


***


 あの角を曲がれば、イヤなことが起こる。きっと起こる。

 それが判っているのに、ぼくの足は進むことを止めない。視界が前へ前へと進んでいく。

 空はどんよりとした雲。曲がり角以外は高くそびえるコンクリートの塀。あそこを行く以外、ぼくには進むべき道はない。


 ぼくは今、どこにいるんだろう?


 そう思って立ち止まろうとするのに、景色はどんどん流れていく。

 ついに塀の切れ目に至り、視界は急転した。角を曲がったんだ。

 曲がり角の先は、同じようにずっと続くコンクリートの壁。そして、十数メートル先に佇む、赤いコートの人影……。


 ぼくは逃げ出そうと考えるけど、やっぱり足は前へと進む。


 違う、そうじゃない! 引き返すんだ!


 思いとは裏腹に、赤いコートが近づいてくる。いや、ぼくが近づいているんだ。

 ところどころ血のにじんだ裸足、すすけた赤いコート、手には……草刈り鎌。腰までありそうな黒い髪。その髪に覆われて顔は見えず、男か女かも判らない。

 近づくにつれ、赤いコートの不気味さが増していく。


 絶対にマズい。アレには近寄っちゃいけない。

 そう思うのに、ついに僕は赤いコートを目の前にしていた。


「……キレイ?」


 小さい音量なのに、上からも下からも、右からも左からも聞こえる甲高い声。

 ぼくの体は小刻みに震えていた。目を閉じたいけれど、それさえもままならない。


 赤いコートの筋張った左手が、額の辺りで、その長い髪を掻きわける。


「ワタシ……キレイ?」


***


 目の前には、暗がりの中、マスクをつけた女の顔があった。


「うわぁ!」


 ぼくは叫んで飛び起きた。

 ん? 「飛び起きた」?


「なに……? もう……」

 

 マスクの女はむくりと上体を起こし、不機嫌そうに目元をこすった。

 その仕草は、ぼくが親しんでいる人の「ソレ」だった。


「ま、マスクさん!」

「……うるさいな」

「な、なんでこっちのベッドにいるの?」


 明かりをつけると、彼女はまぶしそうに目を細めた。


「……いいでしょ。一緒に寝たい気分だったの」

「は、はは……」


 ぼくは、下着がじっとりと汗ばんでいることに気が付いた。どうやらさっきまでのは夢だったらしい。まさか、夢と現実がコラボするとは……。


「マスクさん……。寝るときはマスクはずしてね」

「ん。そのまま布団かぶって、そのままこっちに潜り込んだから……はずすの忘れてた」


 マスクさんはマスクを外してベッドサイドテーブルにのせると、パタリとベッドに倒れ込んだ。


 こんなことなら、イジワルしないでおけばよかった……。

 明かりを消して、ぼくもベッドに横たわる。


「……すぅ……」


 マスクさん、もう寝息をたててるな……。

 それを確かめるとぼくは、少しだけ彼女の方へと身を寄せた。

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