直観

「うわ」


 珍しい。

 マスクさんがテレビでもスマートフォンでもマンガでもなく、活字の本を読んでいる。年に数回あるかどうかの現象だ。


「それ、どうしたの?」

「……」


 マスクさん、熟読中で、答えない。


「マスクさ~ん」

「……あ、なに?」


 やっと顔を上げてくれた。

 ぼくは「どうしたの?」と訊きながら、彼女の手の中の本をちょい、ちょい、と指さした。


「これ? 職場の先輩にすすめられたんで買ってみた」


 マスクさんが掲げて見せてくれた本のタイトルは、「人生を豊かにする五十の方法と人生をダメにする五十の間違い」。

 ちょっとぼくも内容が気になるな。特に「間違い」の方。


「あとでぼくにも読ませてね」

「いいけど、私、読むの遅いからいつになるか判らないよ?」

「う~ん……。すぐ読めると思うんだよね」

「なにそれ? かん?」

「勘というか、直観ちょっかん?」

直感ちょっかん? やっぱり勘じゃない」

「なんだろう。説明するの難しいや」

「おかしなヤツめ」


 マスクさんはいぶかしむようにぼくを見たけど、「お茶れて」と催促さいそくしただけで、ふたたび本に目を落とした。


***


 あのベッドサイドテーブルに載せられた本――「人生を豊かに~」云々うんぬん――。もう三日も位置を変えていないな。


「マスクさん。この本、読んでいい?」

「うん?」


 朝の身支度中のマスクさんは、ドレッサーの鏡越しにぼくを見た。


「なんのこと?」

「これ、この本」

 

 鏡の中のマスクさんが判るように、ぼくは本を掲げた。


「ああ……。いいよ。私、もう読まないし」

「全部読んだの?」

「読んでない。難しくて」


 やっぱり。

 年に数回あるかどうかのマスクさんの読書熱は、長くても二週間ほどしか続かない。彼女が興味をなくした本はこのようにどこかに捨て置かれるのだ。これはぼくの経験則。

 マスクさんが読み飽きた本をぼくが引き継いで、読了どくりょう後に中古本屋に売る。これも恒例。

 

 手に取った本のページを、パラパラとめくってみる。


 あ。

 マスクさん、「人生を豊かにする方法」のひとつにマークつけてる……。これ、売れないかな? 赤ペンで丸がつけられている「人生を豊かにする方法」は――「ちょっとの外出でもお化粧をしよう!」。


「よし。私、仕事いくね」


 マスクさんが鏡越しにぼくに呼び掛ける。

 彼女がマスクをかける一瞬、顔の上半分と下半分で、メイクの出来栄えに差があるのが見て取れた。


 ああ、いつものマスクさんだ。


***


「おお。新しいマスクだ」


 ドラッグストアのマスクコーナーで、マスクさんが商品を手に取る。

 パッケージの使用例写真からすると、立体的な形状で、ファッションとしても使えそうなマスク。色も、ベージュ、黒、薄青と、ファッションに合わせて選べるみたい。


「たまには変えてみようかな」


 うなって吟味しているマスクさんを見ていて、ぼくの「直観」が働いた。

 マスクさんはこのマスクは買わない。

 買うのはいつものお徳用マスクと、お菓子――二百八十円のクッキー。


 マスクさんは買おうかな、というマスクを決めるけど、あらためて値札を見て驚く。


「これだな、これ……。ん? 高くない? これ」


 彼女は商品を戻し、いつものお徳用マスクを手に取る。


「やっぱりいつものでいいや」


 差額分、お菓子を買おうとこの場を後にして、お菓子コーナーに直行する。


「おお……。三百円も浮くじゃん。チョコアソート買おうっと」


 あらら。お菓子の種類は外したか。


「なんでニヤニヤしてんの?」

「ぼくの『マスクさん行動予測』はけっこう精確せいかくだなあ、と思ってさ」

「……なに言ってんの?」

「四年も付き合ってるのは伊達じゃないよね」


 マスクさんは「おかしなヤツめ」と言って、ぼくに向かってチョコアソートの袋を掲げた。


 足かけ四年――か。


 「直観」か「直感」か、はたまた別の何かによるものか、ぼくの中でとある考えが浮かぶ。


 ぼくたち、もうそろそろ――。


「なにしてんの? 早くレジ通そうよ」


 マスクさんの声に、ぼくの意識は引き戻された。


「……うん。ね、マスクさん」

「ん?」

「ウチ帰ったら、録画してた映画見ようよ」

「……いいね」


 今のこの生活と、「とある考え」のその先の生活、いずれにしてもマスクさんと過ごす日々は変わらないな、とぼくは思う。これはぼくの確信。

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