走る

 マスクさんが玄関先でなにやらゴソゴソしている。

 せっかく彼女の分までココアをれたっていうのに、冷めたらあとで理不尽りふじんに怒られるかもと思ったぼくは、マスクさんの様子を見に行った。


「うわ。お店開いてるね」


 玄関のマスクさん。その足元には靴の山が広がっていた。


「なにか探してるの?」

「ランニングシューズ、あったと思ったんだけどな」

「ああ……。だいぶ前に買ったやつね」


 ちょうど去年の初夏の頃だったと思う。突然、「ダイエットをする」と言い出したマスクさんに道連れにされ、ぼくも人生で初めてランニングシューズなるものを買った。結局、使ったのは三度きりだったけど。


「まさか、ランニングするの?」

「うん」

「なんで?」

「……いいでしょ。なんででも」


 ふむ。察しがつきました。


「お菓子食べ過ぎなんだよ」

「……だからこうして、食べた分、体動かそうとしてるんじゃない」

「殊勝な心掛けだね。どれどれ……」


 ぼくもマスクさんと並んでシューズボックスを探すことにした。


***


「全部出してみたけど、ないね」

 

 ぼくとマスクさんは、さらに大きくなった靴の山の前でため息をいた。

 こうしてみると、普段いていない靴の多いこと。どうにも捨てづらいんだよね、靴って。


「……あ」


 突然、なにかに気付いたようなマスクさんは、ランドリールームに消えていった。まもなく、「あった」とマスクさんの叫ぶ声。


「え? そっちにあるの?」

「ジャマだからってこっちに置いといたんだった」


 マスクさんはシューズケースをふたつ抱えて出てきた。

 どこか、「手柄を立てたぞ」と言わんばかりのほこらしげな目。


「こうなる前に思い出してくれてれば……」

「見つかったんだからいいじゃない。今日はいい運動したから、明日からにしよう」


 さすがはマスクさん。


***


「うわ。寒いね……」

 

 ふたりの帰宅後、「夕ご飯前に走ろう」、ということでぼくたちは外に出た。からっかぜが身にしみる。


「なんかやる気出てきたわ」


 元陸上部員のマスクさんは張り切っているようだ。


「川沿いまで行って帰ってこよう」

「オッケー」


 夜道を並んで走っていくマスクさんとぼく。

 久しぶりの運動に、ぼくのからだはうまく動かない。


「マスクさん」

「なに?」

「結構キツい」

「ね? いい運動になるでしょう」

 

 ぼくはそもそもダイエットする気はないんだから、得意気とくいげになられても……。

 まあ、でもこんなカンジでふたりで外出するのも久しぶりだし、「夜に走る」というシチュエーションがどこか秘密めいていて、悪くはないかな。


***


「おぉう。これはそそられるね」


 ぼくたちは川沿いのサイクリングロードに立った。長い直線がずっと続いている。


「ダッシュ勝負しよう。オーケー?」


 ぼくと違って元気な様子のマスクさんは、脈絡みゃくらくのない提案をしてきた。

 以前のランニングのときも、マスクさんがこの道で勝負をもちかけてきたことを思い出す。こういう道で疾走しっそうしたくなるのは陸上部の習性なのかな?


「ええ。ちょっと……」

「よーい、ドン!」

「ちょっと! マスクさーん!」


 彼女は勝手にスタートの合図をきると、勝手に飛び出していった。

 ダッシュとはいかないまでも、ぼくもあとを追いかける。


「はあ……はあ……」


 百メートルほど走り、ようやくぼくはマスクさんに追いついた。

 マスクさんは街灯の下、ひざに手をあて、肩で息をしていた。


「なんでだろ……。思ったより疲れるわ。年とったなあ……」

「去年もこういうやりとりしたんだけど、疲れるのって――」


 ぼくはマスクさんの口元――マスクを指さした。


「マスクして全力疾走するからじゃない?」

「あ」


 マスクさんは変わらないな、とぼくは苦笑くしょうした。

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