4:オターレド城の戦い 1

「わあ~。ここがオターレド城かぁ」

 ジャマシュが歓声を上げた。野営地から一時間ほどラクダに揺られ、たたずむ城を目の前に見上げたときだった。

 ギュンツのふたつ目の目的地は、オターレド城という、これも百年前に廃城となった建物だ。すでに日は高く昇り、赤い城壁を燃え立つように照らしている。四隅の塔に刻まれた鋸壁のこかべの他には飾り気もなく、徹底して戦闘向きの城だと分かった。かつてオアシスがあった時代には、資源を狙う敵に対抗する砦として使われたのだろう。

「今度こそ、探し物が見つかりゃいいんだが」

 つぶやくギュンツは、ジャマシュを不愉快そうににらんでいる。朝食のたき火を囲みながら、寝起きとは思えぬ嫌味の応酬を繰り広げたことを思い出しているらしい。変わらず仲の悪い二人を見ながら、アイラはアイラで、昨夜投げかけられた冷たい言葉をふと思い出した。

 オレンジ色の灯火が揺れる天幕の陰で、ジャマシュは言ったのだ。


『自分の頭で考えない人って、あたし、つまんないと思うな』


「どうしたのさ、アイラ?」

 今朝はといえば、ジャマシュはアイラに屈託なく笑いかけ、話しかけてくる。昨夜の言葉なんて一晩寝ているうちに忘れてしまったかのようだ。くよくよ気にしていたのは自分一人だったらしい、と、消化できないものを胸に感じながら、アイラは「何でもないよ」と首を振った。

 一見堂々とした城壁だが、よく見ればあちこち地震で崩れたままになっている。侵入者を阻むはずの落とし格子も上げっぱなしで、役目を終えた建物の哀愁を感じさせた。ラクダに乗ったまま悠々と入り口をくぐり、三人は城内に足を踏み入れた。

 薄暗い廊下を進みながらギュンツが言う。

「ラクダをどこに待たせておく?」

「前みたいに冷や汗をかく思いはしたくないからね。奥の部屋でちゃんとドアが閉じる場所があれば、そこに隠れさせるんだけど」

 ジャマシュが「前みたいに?」と首をかしげる。アイラは肩越しに振り向いて説明した。

「前の城で、ギュンツを狙う連中に襲われてね。もう少しでラクダを殺されるところだったんだ」

 すぐにちょうどよい部屋が見つかった。元は食糧庫だったらしく、壁際には油甕あぶらがめが並んでいる。三人はラクダをしゃがませて、空の麻袋が散乱する床に下り立った。

「じゃあオレは先に行ってるから、ラクダをしばっといてくれ」

「行かせるわけがないでしょうが」

 部屋を出ようとするギュンツのフードをつかんで止める。後ろにつんのめりそうになったギュンツが「何しやがる」とにらんでくる。

「勝手に動き回らないでって言ってるでしょ」

「勝手には、動き回ってねえだろうが」

「二分でも目を離したら城の反対側まで行くでしょ、君は。ラクダのしばり方、もう覚えたよね。自分でやりなよ」

 言って、縄を投げ渡す。この男の動きを封じるには仕事かオモチャを与えるのが早いとアイラは学んでいた。初めて会ったとき水タバコをくわえていたのは、目を離したスキにバザールじゅうをウロウロしないようマルジャーンが渡したものだったのかもしれない。

 赤ん坊か。

「何か、失礼なこと考えてねえ?」

「……考えてないよ」

「なんだよ、今の間はよ」

 ギュンツがしかめっ面で、ローブの裾をはためかせて砂を落とした。その砂ぼこりが収まる頃には、ジャマシュも自分のラクダをしばり終え、立ち上がっていた。


          ***


 オターレド城はかつて五万人近くが暮らしていた広大な城だ。しかしギュンツの目当ては本、それもセレナ語の輸入本なので、兵士や使用人の居住区は素通りできる。

 百年前のこの地域で、外国語が読める人間は限られる。貴人の部屋や図書室だけを見て行けば、調査にかかるのは半日程度だろう。

 ギュンツが本を探す一方で、アイラも侵入者の形跡がないか目を光らせる。違和感があったらすぐに剣を抜けるよう気を張っていなければならないので、退屈している暇はない。一人だけやることがなく手持ち無沙汰でいるのはジャマシュだった。

「ねえ、まだ終わらないのぉ? もう何時間も歩いてない?」

 長い廊下を二人より遅れて歩きながら、うんざりしたように顔をしかめる。アーチ天井の近くに並ぶ採光窓からは太陽の位置は見えないが、光の方角から判断してアイラは言った。

「城に着いて、まだ二時間弱ってところだよ」

「二時間弱! その上まだ、こんな長い階段を上ろうっての?」

 廊下の末端の階段にギュンツが吸い込まれていくのを見送りながら、ジャマシュは絶望的な声を上げる。

 最上階への階段は、これまでに通ってきたものとは打って変わって幅が狭かった。暗がりに反響するブーツの足音をアイラが追えば、ジャマシュも渋々ながらそのあとについてきた。

「ギュンツの探し物だって言ってたけど、そもそも何を探してんのさ」

「聞かなきゃ分かんねえとはな。顔の正面についてんのはボタン飾りか」

「さっぱり分かんないね。本を探してるようにも見えるけど、君みたいなガラッパチに字が読めるなんて思えないもん」

 私をはさんで喧嘩しないでほしい、と、アイラはため息をつく。

 城に入ってからギュンツがひっくり返しているのは本棚ばかりだ。目当ての本の外観を知らないのだろう、中身を数ページ確かめては足元に捨てていく様子を、ジャマシュは「味にうるさい小鳥がエサ場荒らしをしてるみたい」と笑って見ていた。

「探し物が本だとしたところで、こんな古びた城に何の本があるの? アイラは知ってる?」

「知ってるけど、ペラペラしゃべるわけに行かないよ」

「つまんないなぁ、教えてよ! こっそり、こっそり!」

 目の前にギュンツがいるのに、こっそりも何もない。しつこくマントを引っ張られ、さらにはおさげ髪にも手を伸ばされ、アイラは困って口を曲げた。ギュンツの後ろ姿が小さく動き、肩をすくめたようだった。

「オレの探し物は、魔女チバリの『薬術書』――三百年前、セレナで書かれた魔女の本だ」

「魔女……?」

 ジャマシュがいぶかしげにつぶやく。

「って、セレナの邪教徒のことだよねぇ。悪魔と契約して、魔法を使う人たち?」

「そういう認識もある。神に逆らう冒涜者ってな。だから教会は魔女を見つけ出しては虐殺し、魔女に関する本を燃やして回った。チバリの『薬術書』も弟子が書き写したものが何冊かあったと言われるが、全て燃やされた。ただ一冊、セレナからファルナに持ち出されたものを除いては」

「そっか、セレナとファルナでは宗教が違うから、セレナで禁止された本もファルナじゃ命拾いしたんだね」

 アイラが言う。セレナの宗教的権威が届かないこの地ならば、魔女の本だろうが燃やされることはない。その幸運な一冊を、ギュンツは探しているらしい。

「でもさぁ魔女だの魔法だの、昔の人の妄想でしょお? そんな御伽噺の本を、真剣に探してどうするわけ?」

 ジャマシュの言葉は冷たい笑いを含んでいた。それに対し、

「魔女は実在した。魔法も実在する」

 ギュンツは淡々と言い切った。

「えっ」

 アイラは目をぱちくりさせてローブの背中を見上げた。ギュンツはその手のことを信じていなさそうだと思っていたので、意外だったのだ。しかし続く言葉を聞いて、納得する。

「問題は、魔女と呼ばれたか。魔法と呼ばれたか、だ」

「……それって、フラマンさんが客にクスリを飲ませて、不思議な術のように見せていたのと同じこと?」

 魔術師フラマン。彼お得意の千里眼は、ギュンツによればクスリを使ったインチキ技だ。

 しかしそんな術薬があると知らない人間は勘違いする。精霊ジンの声聴くフラマン、人智を超えた偉大な魔法使い……。

「魔女にしか知られていないクスリで上手く演出すれば、何も知らない人には魔法に見える。魔女の正体は、ギュンツやフラマンさんのような、クスリ使い」

「ご名答」

 ギュンツが笑う。

「魔女は常人にはできないことを簡単にやってのけたという。ほうきで空を飛んだり、人を獣に変えたり。だがそれは、きっとクスリによる物理現象に生体反応。神の力も悪魔の力も借りちゃいない当たり前の現象だ。オレは、その方法が知りたい」

「少年ってば、ほうきで空を飛びたいの?」

「空を飛べりゃこんな長い階段、息切らして上ることもなかっただろ」

 話が終わるのを待っていたかのように階段が終わった。最上階に足を踏み入れ、ギュンツが目だけで見回す。

「ここは――牢獄か」

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