4:オターレド城の戦い 2

 狭い階段を抜けたものの、なおも細い通路が続き、視界は薄暗いままだった。

 右手の壁には鉄格子の扉が並んでいる。城を捨てるに当たり囚人も連れ出してやったのだろう。どの扉も半開きで、いくつかは鍵が差しっぱなしだった。

「前の城でも思ったけどよ」

 ギュンツが、両端に枷のついた鎖を床から拾い上げる。

「オアシスが枯れて、城を捨てた――という割には、ずいぶん慌ただしく城を出て行ったんだな、百年前の城主は」

「オアシスが枯れた原因は、地震だよ」

 アイラはするりと答えた。ファルナの子供なら、幼い頃から繰り返し教えられる歴史だ。

「大きな地震が起こって、お城の人たちは、ほとんど着の身着のまま逃げなきゃならなかったんだ」

「へえ?」

 と、ギュンツが首をかしげる。

「そんな状況じゃ、囚人のことなんてほっといて逃げそうなもんだけど」

「オターレド城の主は人徳者で有名だったんだ。奴隷制にも反対して、一人の奴隷も持たなかったといわれるような人でね。囚人を閉じ込めたまま自分たちが逃げることも嫌だったんじゃないかな」

 ひとつ目の城では、奥の壁の手枷につながれっぱなしのミイラに何度もギョっとさせられたものだが、この城ではそんな目に遭わずに済むだろう。アイラはこっそり、安堵の息をつく。

「しばらくは余震のせいで近づけなくて、もう安全っていう頃にはオアシスが枯れていることが分かっていた。元々オアシスがあって人の集まってきた土地だ。それが枯れたからには、城を補修して住み直そうって人もいなかったわけ」

「なんにせよ、鉄格子が開いてんのはありがたいぜ。開かずの間を開けるとなると手間だからな」

 城の牢につながれるような囚人はたいてい身分の高い人間か、そうでなければ政治犯や思想犯だ。外国から持ち込まれた本を読むことは十分あり得ると踏んだギュンツが、意気揚々と探索に向かう。ひるがえるローブはすぐに廊下の突き当たりを曲がって見えなくなった。

「追っかけなくていいの? 怪しい奴らが待ち伏せしてたら大変なんでしょお?」

「この階には誰もいないよ。牢獄階につながる階段は一本しかないものだし、今通ってきた階段はもう何年も使われてないみたいだったし」

 ジャマシュの問いかけに、アイラはちらりと振り向いて答えた。もうひとつの心配事はギュンツの無断行動癖だが、それも、出入り口のひとつしかないこの階でなら気にする必要はない。

「それに、ジャマシュと二人で話したいこともあってさ」

「話?」

 ジャマシュは柔らかく小首をかしげた。動きに合わせて、二束に分けた長い髪が揺れる。

 いつのまにかジャマシュは階段を上り切っていた。鉄格子のそばに立つアイラの視線を受け流すように背を向けて、石壁に手をはわせて遊んでいる。高い位置に小さな採光窓があったが、その真下に立つジャマシュはかえって陰になっていた。

「ああ、ゆうべの話か。どうしてあの子を見捨てないのっていう――」

 薄暗がりの中で、ぶどう色の目が細められる。

「会って一日のあたしでも分かるよ。あの子、わがままだし性格悪いでしょ。あくどいことも残酷なことも、平気でできるタイプじゃないの」

「それは、否定できないけど」

 アイラは素直にうなずいた。

「でも、性格が悪いからって見捨てるわけに行かないでしょ。一度依頼を受けておいて、途中でやめるなんて自分勝手だよ。それに……」

「それに?」

「弱い人が強い人に襲われようとしているときに、それを助けるのが戦士の仕事だ。私は戦士なんだ」

 ギュンツの性格は抜きにして、置かれている状況だけを見れば、それは十分アイラが剣を抜く理由になる。たった一人を殺すために大勢をけしかけている、という状況。たとえ依頼がなくともアイラは動いただろう。

 しかしジャマシュは、石壁をなぞりながら気のない返事を吐息に混ぜた。

「結局、戦士の誇りとやらのため? そんな理由って、つまんないよ」

「そりゃ、私は君を面白がらせるために生きてるわけじゃないからね」

 アイラは肩をすくめた。芸をする犬みたいに思われてるんじゃたまらない。

「もうひとつの理由は……戦士としては、おおっぴらに言えないものなんだけどさ」

 ジャマシュの瞳がくるりと動いた。興味深げな視線を向けられ、アイラはためらいがちに言葉を続けた。

「ギュンツは、初めての依頼人なんだ」

「…………。えぇ、それだけ?」

 数秒の間、ジャマシュは黙って待っていたが、それきりアイラが何も言わないと分かると驚いたように目を見開いた。アイラはうなりつつ、おさげに指を絡める。

「そう言われると思ったから、言いたくなかったんだ……」

 はたから見ればくだらない理由だろうと分かっていた。だけどアイラにとっては、重要なことなのだ。

「私、用心棒として独立してから、ずっと依頼がなくってさ」

 おさげをひねくりながら、アイラはファル・バザールでの一か月を思い出す。

 たった一か月、しかし自分が用心棒としてやって行けそうにないと思い知るには十分な時間だった。

 マルジャーンはアイラの実力が知られていないから雇われないんだろうと言うが、気休めだ。アイラをよく知る人だって、小娘を雇いたがりはしない。

『子供が護衛じゃ盗賊になめられる。狙われやすくなっちゃ、元も子もないよ』

 そんな理由をつけて断る人はまだ優しい。

『いくら強かろうが、ガキに守られるんじゃ、こっちの面目が立たないだろ』

 実力は知ってるけど、と前置きしながら、そんなふうに言う人もいた。

 だから驚いた。

 マルジャーンに連れて行かれた路地裏で、水タバコの煙をまとった少年が、いとも容易く言い放った言葉に。


『気に入った』

『え?』

『雇いたいって言ったんだ』


「ギュンツは、依頼料を値切りもしなかった。……嬉しかったんだ」

 アイラの見た目を気にするそぶりも見せなかったことが。

 剣はかなり使えそうだ、という、ぶっきらぼうな評価が。

「だから、嬉しくなった気持ちの分だけ、この仕事はしっかりやり通したいんだ」

 いつの間にか頬が熱を帯びていた。一心に話していたために、ジャマシュの様子を確かめる余裕もなかった。話を終えて初めてちらりと様子をうかがうと、ジャマシュは真面目な顔つきで、ただ静かに考え込んでいた。

 何を考えているのだろう。薄暗がりに沈んだ表情からは何も読み取れない。しかし、ひとつ分かるのは、ぶどう色の瞳からは馬鹿にするような色も消えているということだ。ジャマシュが同年代の少女であることを、アイラは不意に思い出した。

 少し背が高くて、手足がすらりとしていて、長い髪を二本に束ねた細身の少女。

「アイラはさ」

 ジャマシュが口を開いた。

「優しくていい子だなって思ったんだ。すごく素直に、あたしの話も聞いてくれたよね。それなのに、あんな子の巻き添えで危険な目に遭うなんてかわいそうだったんだ。仕事だっていうんなら、そんな仕事やめちゃいなよって……。でも、そっかぁ」

 ふ、と笑みをこぼす。暖かい日差しを思わせる優しい笑い方だった。

「アイラ、この仕事をするのが嬉しいんだね。感情って大事な部分だもんね、感情を理由にされたら、納得するしかないや」

「そ……、そう」

 これまでにない穏やかな声に、張り詰めていた空気がほどけて行く。

 その拍子に、夢中で語ってしまった恥ずかしさが押し寄せて、アイラは逃げるようにジャマシュに背を向けた。冷たい鉄格子に指を絡めて火照りを逃がしながら、小さく息をつく。

「分かってくれたなら、よかったよ」

「うん。だからね――」

 ジャマシュが言った。

「とても残念に思うよ。君のことは生かしてあげたかったのに」


 背中を突き飛ばされた、と気づいたときには、悲鳴のような音を立てて鉄格子が閉じられていた。

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