3:旅の道連れ 3

「おい、何やってんだ。置いてくぞ」

 ギュンツが肩越しに振り返り、眉をひそめる。

 乗っているラクダまで落ち着かなげにしっぽを振るのは、乗り手の不機嫌を察してのことだろう。アイラは「待ってよ」と言いながら、そっと後ろを確かめた。うん、ちゃんとついてきてる。

 ギュンツとアイラが先に行き、ジャマシュが勝手にあとに続く。そういう形に持って行ったのは、アイラが強引にしたことだった。本当なら、三人でまとまっていた方が安全だが、仲が悪いのだから仕方ない。ギュンツが顔をゆがませて、殴られた喉に指を当てた。

「あんな奴に構うなよ。理由もなく人を張り倒しやがって。オレだって殴るときは、一応理由を考えてから殴るぜ」

「理由もなくって……本気で言ってる?」

 アイラの問いに、ギュンツは不思議そうに首をかしげた。人の心がないとは思っていたが、デリカシーもないようだ。

「体に触って、若い女だーなんて言ったら、変な目で見てるって思われても仕方ないよ。それで怒ったんじゃない?」

「オレから触ったわけじゃねえだろ。アイラが無理やり……」

「一瞬手を握ったら、すぐに離すでしょうが、普通」

 ギュンツはふんと鼻を鳴らす。

「確かめてただけだ。爺さんの手じゃないなって」

 爺さん?

 誰のことを指しているか気づくのに、数秒かかった。アイラは目を丸くした。

「爺さんって、フラマンさん? ジャマシュがフラマンさんの変装だって疑ったわけ?」

 確かにフラマン老人は、幻術使いだという話だ。しかし。

「無理があるでしょ」

「そう思うか?」

 ギュンツは不敵に笑い、手綱を落とした。左の手袋を外すと、手の甲をアイラの目の前にかざす。中指のつけ根に赤い宝石が光っている。

「この指輪を、よーく見てみろ」

「……?」

 指先ほどもある丸い石だ。

 ルビーではない。それより暗い、静脈血の赤。中心に見えるオレンジの光は、炎か蛇の舌のようにちろちろしている。

 石の中の光が動く?

 光の加減でそう見えるのか、それとも、すでに幻術を見せられているのだろうか。

「ねえ、この光って……」

 本当に動いてるの、と尋ねようと、アイラは顔を上げた。そして息をのんだ。

「どうした? ――オレが、誰に見える」

 そこにいるはずのない人物を見て。

 異国の血の混じる金髪が風に揺れる。目を細めれば、燃える瞳が一層輝くようだ。

「ヤティムさん……」

 名を呼ぶと、彼はククッとらしくない笑い方をした。

「なぁに目ぇ回してんだ。オレだよ」

 パチン、と指を鳴らせば、一陣の風が幻を連れ去って行った。

 ラクダに揺られているのは、赤茶の髪に薄青の瞳の少年だ。ヤティムの鍛え上げられた体に比べれば、ひと回り小さくすら思える。しかし一瞬前には、本当に……。アイラは止めていた息を吐き、感嘆の声を上げた。

「すごいね、幻術」

「ヤティムってのは、さっき話してた団長だったか?」

 満足そうに手袋をはめ直しながら、ギュンツはくす、と意地悪く笑った。

「大好きなんだな、そいつのこと」

 アイラはラクダから落ちるかと思った。

「なっ!」

「今のは、心に強く思っている相手が見える術だぜ。いや、お熱いね」

「き、君に関係ないでしょう! それに好きって言っても、家族としてだよ!」

 勢い込んでギュンツをにらむが、奴は面白そうな顔をやめない。

 幼いアイラを救い出した〈戦士団〉の二人は、孤児となったアイラを引き取って世話をしてくれた。育ての親として、また戦い方や戦士の誇りを教えてくれた師としても、大切でないわけがない。

 だからそんな、からかうようなことじゃないでしょ。

 ああもう、腹の立つ笑い方だな。

 理由があれば張り倒してもいいんだっけ?

 用心棒の物騒な内心にも気づかずに、ギュンツは鞍の真ん中から突き出した取っ手に手を乗せる。その上で指を組む仕草もどこか気だるげに、揺らめく蜃気楼に目を向けた。

「見た目をごまかすくらい、幻術をちょっとかじれば誰にでもできる。だが、ジャマシュのあの姿は本物だろうな。殴り飛ばすなんて大きな動きをしても姿がぶれなかった。わっかんねえな」

 眉をひそめる。

「なんで爺さんは何もしかけてこない? 秘伝書には、傀儡術ばかりじゃない、精神に干渉するあるゆる術が載ってるんだぜ。白昼夢を見せたり、簡単には覚めない眠りにつかせたり――つまんねえな。どんなもんか見てみたいのに」

「迷惑な要望を出さないでくれるかな……」

 フラマンがどこかで聞いていやしないかと、アイラは当たりを見回した。どこまでも続く砂漠の風景があるばかりだった。


          ***


 砂漠での食事は、そう味気ないものでもない。たき火のそばで温めたパンに、香辛料の効いた干し肉をはさんで食べるのだ。

 食後には、甘くてスッキリするお茶を飲む。星空の下、至福のひととき。……昨日までは、そうだった。

「アイラって用心棒なんだ! へえ、君が雇ってるの? “パパとママが稼いだお金で”?」

「ガキじゃねえっつってんだろ耳が飾りか? “一人じゃ寂しいジャマシュちゃん”よぉ」

 さわやかな夜を台無しにする嫌味の応酬は、さっきからどんどん過熱している。揺らめく炎は二人の顔にあやしい陰影を映し出し、本来は見えない怒りのオーラを目に見せているようだった。

「あ、アイラ、お茶飲んじゃった?」

 のんびり味わう気分にもなれず、ひと息に傾けたアイラのコップを見て、ジャマシュが小脇に抱えたびんを持ち上げた。

「もう寝るだけだし、一杯だけでもどうかなあ。砂漠の夜って冷えるしさ!」

「私はいいよ。ギュンツにあげて」

「少年はダメ。あたし、意地悪な人って嫌いだもん」

 は、とギュンツが鼻で笑う。

「そんな古酒、飲めるかよ。ああでも燃料代わりにゃなるかもな」

 言うなりジャマシュの酒瓶を奪い、中身を火の上にぶちまける。むせ返るにおいの中、アルコールをかぶった炎が青い腕を伸ばして燃え盛った。

「なんだ、思ったほど燃えなかったな」

「やったからには覚悟できてんだろうね?」

 ジャマシュはせせら笑うギュンツのかたわらにサッと手を伸ばし、鞄をつかんで火に放り込んだ。

「うわ何しやがる馬鹿野郎!」

「君から売った喧嘩でしょお?」

 ギュンツが鞄を救出し、焦げ目を確認して舌打ちする。その横でジャマシュは酒瓶をひっくり返し、注ぎ口から垂れるしずくを残念そうに指で受けた。

「なくなっちゃった。もう寝よっかなあ。アイラ、また朝にねぇ」

 ひらりと掌を躍らせたかと思うと、そばに建てられた天幕に消える。

 たき火をはさんで向かい合うふたつの天幕は、片方がギュンツとアイラのもので、もう片方がジャマシュのもの。まるで天幕の親子のように見えるのは、ジャマシュの天幕が三、四人はごろ寝できるほどの大きなものだからだ。一人で扱うには少々不便なので、建てるときはアイラが手を貸した。

「朝、たたむのも手伝わなきゃね」

「はあ? 自分でやらせろよ。もたもたしてたら置いていきゃいい」

 鞄を燃やされかけたギュンツはますますジャマシュが不愉快らしい。

「君ねえ、そんなこと言ったって――」

 ドスンッとものが落ちる音で振り返れば、ジャマシュの天幕の建材が倒れた音だった。のたうつ青い幕の下から、細い腕が助けを求める。

「ごめーん、風にあおられちゃった! アイラ、もう一回建てるの手伝ってくんない?」

 もちろん、と答えて立ち上がるアイラを、ギュンツが面白くなさげににらむ。アイラは気づかないフリをして、たき火から、火のついた枝を一本抜き取った。




 大きな天幕の裏に回れば、たき火の光は届かない。松明代わりに灯火を持ってきたものの、小さな火ではかえって手元が陰になり、砂に杭をうずめるのはほとんど手探りでの作業だった。

「……ふう。風もやんだかな」

 もう倒れることはないだろう、と、しゃがんだ姿勢で天幕を見上げる。砂に刺した灯火が、青い布にアイラの影を映している。その部分が突然めくり上がり、ジャマシュが顔を出した。

「お疲れぇ、助かったよ。お礼にこれ食べて! あの子には内緒ね」

 アイラの隣に腰を下ろすと、持っていたリンゴを両手でねじるようにして割った。断面からの甘い香りに誘われながらも、アイラは首を振った。

「この旅にかかるお金って、全部ギュンツが出してるんだ。食費も含めてさ。その中から私たち、平等に同じものを食べてる。抜け駆けはできないよ」

 内緒じゃなかったらもらうんだけどな、と少し未練がましく思う。砂漠で生果実フレッシュフルーツなんて、そうそう口にできない。

 いやいや、いらないって決めたんだから。

 だけどこの二人、なんでこうも仲が悪いんだろう。

「ずいぶんあの子に気を使ってるね」

 ジャマシュが、しゃく、とおいしそうな音でリンゴをかじる。

「用心棒の報酬ってそんなにいいの? それでもあたしなら、あんな子とっくに見捨ててるよ。性格悪いし、絶対何かを隠してるもん。危険を招く疫病神かもしれないよ?」

「かもしれないっていうか……実際にそうっていうか」

 フラマンとの因縁が原因で、自分まで命を狙われていることを思い出し、アイラは悩ましげにうなった。

「じゃーやめちゃえばぁ?」

「そうは行かないよ」

「え~、なんで?」

「一度受けた依頼は投げ出さないの。砂漠の戦士の誇りに懸けて」

「――ねえ、アイラ」

 いつの間にかジャマシュの顔が目の前に迫っていた。

 まつげを数えられるほどの距離にぎょっとする。しかし一度ぶつかった視線はなかなかそらすことができなかった。そうさせない引力を持った瞳だ。

 のまれるような、ぶどう色の瞳。

 灯火のオレンジ色が映り込み、蛇が舌をのぞかせるようにちろちろと揺らめく。

「それって、誰の言葉?」

 誰の?

「自分の頭で考えない人って、あたし、つまんないと思うな」

 顔がアイラから離れたかと思うと、長い脚が灯火に砂を蹴かけた。とばりを支える糸が切れたように、ひと息に闇が押し寄せた。

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