10話―青年の誓い—


自室のドアを開けた咲間は、大きく息を吸う。


ドアを閉めた瞬間、今度はため息が漏れる。


身体を脱力させた状態でベッドに倒れ込んだ。


本日何度目かのため息を布団に吐いて、天井を見上げる。


汚れを排除した綺麗な木材の天井が敷いている。


壁と床には、薄い木杢が浮かび上がり、疲弊した心を和らげる優しい木材の匂いが鼻腔を撫でる。


ベッドの傍らにサイドテーブル。卓上にはランタン。左隅に机と椅子。正面の壁に姿見が立て掛けてある。


何の変哲もない部屋。人によっては、満足しない内観だろう。


しかし咲間の心には、らくが点くほどの満足感が芽生えた。


祝福祭。いや、従者争奪戦は無事終わった。


記憶を振り返りながら窓の景色を眺める。


住民たちは陽気に包まれ、お酒を飲んで笑い合う。どこかで腕相撲が始まって男たちは、さらに盛り上がる。


女性たちは、優雅にお酒を飲みながら談笑に耽る。


お姉さま系の麗しき人が咲間に色仕掛けを試みた。その影響で数人の女性たちが咲間へと群がった。


体力が著しく減っていく中、生誕祭は最終局面へと入る。


倒木した大木の上に従者候補、四名が並び立つ。


アイドルコンサートのような黄色い声援が各所から飛ぶ。


男たちは口笛を鳴らし、女性たちは拍手喝采だ。


花嫁たちの装いは、様々な花が色を灯しているようなドレスだった。


左から一番目は、ラベンダー色の紫。二番目は、コスモス色の薄ピンク。三番目は、バラ色の赤。


四番目のシーラは、白色のドレス。ユリのような純潔が漂う。


髪型やお化粧を完璧に決めた状態の彼女たちを思い出して、咲間は枕に顔を埋める。


ルフラが従者候補たちを紹介して、レインさんへの熱いスピーチを行った。


心の内で何度も謝る。"俺、レインさんじゃないんだよ"と。


罪悪感という名の疲れがドッと全身に掛かる。


生誕祭が終了した今では、身体の関節から甲高い音が幾度も鳴る。


"疲れているな"と感じながら横を向く。


ランタンの中で仄かに灯るシラーを見つめながら、思考に耽る。


花嫁の座を勝ち取ったのは、シーラだった。


観客や他の花嫁候補者が拍手を送るほどの満場一致。


咲間も疲弊した身体に鞭を打ち、背凭れから離れて拍手したほどだ。


確かシーラのスピーチは……。


『レイン様は、五〇〇年前の戦で反乱の戦渦に巻き込まれた敗者です。それでも私は思います。レイン様は英雄だと。民のために、未来のために、レイン様は戦った。そして、いま再びレイン様は、世の混乱を収めるべく再誕してくれた。英雄が目の前に存在する。こんな喜ばしいことはありません。私は未来永劫、貴方様に仕えることを誓いましょう。愛しています、レイン様」


咲間も月姫のことを英雄と位置付けている。


咲間は月姫。シーラはレイン。世界が違えども英雄を想う気持ちは一緒だなと思った。


生誕祭は、無事何事もなく終わった。しかし気がかりはある。


時々、嫌悪感を抱いたような視線を感じた。


気付いて辺りを見渡すも、視線は陰に潜んだかのように消える。


まるで獲物を見定めするハイエナのような陰湿な視線が、咲間の背中に突き刺さった。


周囲から感じるというより一点からの視線。ということは一人、もしくは少数の人がレインさんを良く思ってないのだろう。


ルフラには、念のため報告した。


狼月族内での異変は、村長のルフラに相談が適切だと判断した。


ルフラは、"そんなことないはず……"と言って唖然した。


無理もない。


狼月族は五〇〇年前、レイン率いる穏健派に属していた。言わば、仲間だ。


仲間内での亀裂は、内部分裂を引き起こす。


ルフラは事の重大さに気付いたのだろう。


"独自で私も調査しておきます"と言い、逞しい顔色へと変わった。


ルフラに伝えた後も陰湿な視線を感じながら、無事生誕祭は終了。


ユアに部屋で休むと一声かけた。そして、現在に至る。


仰向けとなり、腕を目元へ覆ってため息をつく。


ドアからノックが聞こえた。


「レイン様、ご気分はいかがでしょうか?」


お淑やかを纏った声質。図書委員に相応しい声。間違いない、シーラだ。


「うん。問題ない」


咲間はベッドで横になった状態で答える。


「そうですか。それは何よりです」


会話のキャッチボールが成立する。


ベッドから廊下までの距離は、声が通りやすいのだろう。


シーラの言葉が鮮明に聞こえる。


「身体が疲れているなら、湯舟でも浸かってください。簡易的ですが、裏庭にご用意させていただきました」


「な、ゆ、湯舟? 」


転生してから数日間、湯舟というものに浸かった記憶がない。


前日、湖で身体を洗い流した。しかしキメラの登場で散々な目に遭った。


幻術を経験して心が疲弊。同時に汗が大量に溢れて身体が汚れる。


湖でリフレッシュすることはできなかった。


いまでも咲間の脇からは、鼻を摘むような臭いが噴出している。


汗を流したいと思っていたところだ。


「ちなみに今すぐ入れる? 」


「勿論です。いまギルが火を暖めてくれています」


「そ、そうか」


咲間は、ギルのことが少し苦手だ。


子供の可愛らしい嫉妬に違いない。


しかし素っ気ない態度を取られるのは、癪に障る。


湯に入れる。だけどギルがいる。


両方の要素を比較した結果、咲間は湯へ入ることに決めた。


やはり、湯舟には浸かりたい。


ベッドからすぐ起き上がり、ドアを咄嗟に開けて、夜光が差し込む廊下に出る。


目の前でシーラは、上目遣いで咲間を見つめていた。


文学少女らしい部屋着。俗に言うネグリジェのような色気は一切ない。


濃い茶色に染まったワンピース。足首と手首まで伸びきった丈が清楚感を一層引き立てる。


ヘアピンで留めていた髪が全て垂れ下がり、胸上まで垂れる。


まるで、図書館で気休めする生徒会長のような脱力感が髪全体に覆っていた。


シーラの容姿を見た咲間は、一瞬だけ心臓が躍動した。


「あ、あのレ、レインさん。す、少し、ち、近いです」


シーラの息遣いが咲間の腹下に直撃する。


天から吹く神聖な風を肌で受けているかのような感覚だった。


股間が熱くなる気配を感じて、咄嗟にシーラから距離を取る。


「ご、ごめん! 思わず勢いに任せて開けてしまった」


「い、いえ。私こそドアから距離を取ってなくて申し訳ありません! 」


その後、お互い幾度の謝罪を繰り返した。



何度目かの謝罪でお互い落ち着きを取り戻し、シーラに連れられて裏庭へと出た。


ギルは、湯を調整中だった。


樽を小さな卓台に乗せ、卓台の開いた空間には、赤に染まった花弁が敷き詰められていた。


花弁に向けて息吹棒を使い、ギルは軽く息を吹いているようだ。


右手は樽の温度を測っているのか。樽に手を付けている。


ギルはシーラ達に気付き、咄嗟に背筋を伸ばす。


「シーラ様、火の湯加減は問題ないかと思われます。あとは入っている間に都度、調整するだけで湯舟としてご利用できます」


「ギル、ありがとう。流石頼りになりますね」


ギルの頬に朱が灯り、前髪を触りながら目を泳がせる。


"可愛いとこあるじゃん"と心の中で咲間は思った。


「ではレイン様、私は祝福祭の片付けに行きます。ぜひ湯舟をお楽しみください。ギル、後は任せました」


「かしこまりました。シーラ様」


ギルは、シーラが見えなくなるまでお辞儀の状態を保持する。


見えなくなった瞬間に一礼を解き、ため息交じりのような息を吐いた。


"二人だけは勘弁してくれ"と代弁するようなため息に聞こえた。


「それではレイン様。どうぞお入りください。湯加減は大丈夫かと思われます」


"本当かよ"と思いながらギルの視線を見つめる。


咲間の視線を受け取ったギルの視線が若干鋭くなる。


しかし、すぐに狼のような鋭さを抑えて、頬に笑みを張り付ける。


「心配なさらないでください。レイン様の身に何かありましたら、私がシーラ様に叱られてしまいます。不快になることは絶対にしません」


ギルの怪しさ前回の笑みに対応するように、咲間は苦笑いで応対する。


「そ、それならいいんだけど」


疑心が沸いていくばかり。断りが頭に過る。しかし身体が湯舟拒否の線を断絶する。


早く湯舟に浸かりたいと身体が発しているのか。


脇や股間が疼き出す。背中に張り付いた汗が鬱陶しい。


心の内でため息を吐き、咲間は上衣の裾に手を掛ける。


ギルの疑念を抱きながらも、上衣を脱ぐ。


次に下衣を脱ごうとするが、外で脱ぐのは少し恥ずかしい。


「まさか、レイン様であろう御方が外で脱ぐのは、恥ずかしいと言いはしませんよね? 」


躊躇していると、ギルは冷やかしの言葉を放った。


「は、恥ずかしくなんてない。ただ、少し寒いだけだ」


フォルテシオンでは、四季が存在する。


いまの季節はおおよそ晩秋ばんしゅうごろ、冬が仄かに到来するような温度である。


上半身に冷えきった秋風が撫で、思わず身震いする。


周囲に人気ひとけがいないことを確認した咲間は、下衣も脱ぐ。


ギルは一言、咲間の股間を見て呟く。


「意外と小さいんですね」


ずっと悩みだったことを突かれ、"ガーン"という効果音が脳内で響いた。


やっぱりこの大きさは小さいのか……。


「う、うるせー」


咲間は小声で少し抵抗しながら、樽に設置された段差を登っていく。


おぼろげに立ち昇る湯気が鼻腔を擽る。香りはオレンジ寄りだ。


「シーラ様の要望で疲労回復、気力回復を見込める香りを足しています。どうぞゆっくりお過ごしくださいませ」


"シーラありがとう! "と心の中で叫び、ゆっくりと足先を水面に浸す。


血の巡りが良くなっていく感覚がする。


足先に流れる血管が喜んでいるようだった。


徐々に身体を湯へと沈ませ、肩まで浸かる。


脈拍の速度が増し、血流の流れが加速する。


股間や脇に溜まった煩わしさ、背中に溜まった汗が全て削ぎ落される。


咲間の口から太い一息が漏れる。


ギルは身体を屈ませ、右手の指で樽を触りながら、息吹棒で赤い花弁に息を吹きかけている。


「うん、これでよし」


ギルは独り言を呟く。その後、黙ったまま花弁を見つめる。


ギルの黒褐色気味の瞳に、花弁の赤が差し込む。


暗い印象を漂わせるクールイケメンが、さらに美男子のような顔つきへと進化していた。


手の甲に大小様々な傷がある。指先には包帯が巻かれている。


何十回も素振りしたような手。顔つきと比べると、あまりにも似つかない。


沈黙状態が数分間続いた。


場の空気に気まずくなった咲間は、ギルに話を振る。


「その手、大丈夫? 」


咲間は、ギルの手に指を差す。


「ええ、お構いなく。レイン様には関係のないことです」


咲間に視線を向けず、ギルは花弁を見つめながら不愛想な口調で答えた。


一瞬"イラッ"とした。しかし大人な対応を心掛けようと思い、悪態を心の奥底へと飲み込む。


視線をギルから逸らして、咲間は何気なく言葉を紡ぐ。


「てかギル、シーラのこと好きだろ? 」


ギルは、咄嗟に咲間へと視線を向ける。瞼が瞬きを繰り返す。


段々と頬に朱が昇っていき、耳まで到達した。


その瞬間、頭の頂点から湯気が噴きだしたような恥がギルの言葉に灯る。


「そ、そんんな、こと、あ、あ、あり、ませんよ」


「いや、言葉噛みまくりなんだが」


咲間は笑みを一つ漏らす。


「な、何がおかしいんですか? 」


「いや、ギルも初心な少年なんだなと思ってさ」


ギルを見た当初、少年という雰囲気はなかった。


どちらかというと、青年の方が正しい。


青年というレッテルを張ったクールイケメン。


教室の隅で机に伏して、毎日寝る人のようなイメージがあった。


しかしいま目の前にいるギルは、初恋に目覚めた少年のような可愛らしさがある。


「俺はシーラ様の従者です。恋心などの想いは抱いていません! 」


「じゃあシーラのこと、どう思っているの? 」


「そ、それは……」


想いを悟られたくないのか。ギルは咲間の視線から逃げる。


頭を掻きながら視線を左右へ彷徨わせる。


途端にギルの頬から朱が消える。


視線を下に向け、掌を見つめる。


「自分でも分かりません。好きという想いを抱いたことないので。……でも」


ギルは揺るがぬ決意を宿したような目つきで、咲間を見つめる。


「シーラ様のためならこの命、惜しくはありません。そのくらいの覚悟は持っています」


ギルを見ていると、昔の自分を思い出す。


ギルはシーラのためなら何でもする。命すらも差し出す。


咲間も同じ想いだった。アイツや月姫のためなら命すら惜しくない。


しかし大切な人が消えたときの喪失感は大きい。


咲間のような最期に走る可能性がギルにはある。


"アイツ"や月姫に抱いていたときと同じ想いを、ギルは抱いているのだろう。


咲間は過去の記憶を遡りながら、ギルと自分を重ね合わせていく。


「それに俺は、から誓ったんです。絶対に守るって」


「あのとき? 」


ギルは、ばつが悪そうに視線を逸らして"ヤッベ"と呟く。


興味に駆られた咲間はギルに聞く。


「あのときってなんかあったの? 」


「た、大したことではありません。気にしないでください」


「気にするなと言われて、気にしない奴なんていないだろ」


「まあ、それもそうですが……」


ギルは頭を掻きながら目を瞑って、一息つく。


「よくある話です。戦争被害者と言えば分かりますか?」


「戦争被害者……」


ギルにとって、掘り返してはいけない過去なのかもしれない。


咲間は咄嗟に謝罪する。


「ごめん、俺分からなくて」


「気にしないでください。ビスティアのみんなも知っていることなので気にしていません。もう過ぎたことです」


ギルは息吹棒で息を吹きながら、赤い花片かへんを数枚だけ手に取り、積もった花弁へ注ぎ足す。


「まあよくある話でしょう。父は戦争へ行き戦死。母は父を亡くした悲しみで精神を病み、自ら命を絶った」


樽を触りながら温度調整するギルの額からは、数滴の汗が垂れていた。


瞳に花弁の赤色が差し込む。一寸の輝きが目に宿る。


「俺の生まれは、中流に存在する狼月族の村です。そこで俺はずっと一人でした」


ギルの頭に生えている耳と尻尾がゆったりと動く。


ビスティアの民は、全員が灰褐色の耳と尻尾。


ギルは、黒の耳と尻尾。同じ種族でも系統があるのだろう。


赤い花弁を一枚手に取ったギルは、花片かへんを瞳に映す。


「あの日も俺は一人でした。吹雪に襲われて視界は最悪、方向感覚も狂った。しかも足を挫いたせいで歩行すらできなかった」


赤い花弁を回しながら、ギルは言葉を並べていく。


「大樹の窪みに身を隠して俺は死を悟りました。あ、もう死ぬなって思ったんです。そんなときにシーラ様と出会った」


「ギルにとってシーラは命の恩人なんだな」


「ええ、そうです。今でもあの温かみは忘れません」


ギルは、赤い花弁を咲間へ差し出す。


「この花の名は、カトレア。熱を帯びた花です。この花を使ってシーラ様は、俺の冷えた身体を暖めてくれたんです。あのときの笑顔は一生忘れません」


咲間は赤い花弁を受け取る。匂いを嗅いでみるも、無臭だった。


仄かに指先が暖かい。数枚重ねれば、カイロとして役立つかもしれない。


大量に積めば、IHコンロのような用途に使えるだろう。


「吹雪の中、シーラ様は暖かみと笑顔を僕に与えてくれた。だから、俺は誓ったんです」


ギルは息吹棒を握りしめ、立ち上がる。


決意を宿した眼がギルに宿る。目元が一層に鋭くなる。


「たとえこの身に危険が及んでも、シーラ様の笑顔を守るって」


守る……か。


守るという言葉は綺麗事かもしれない。


確かに守れたら立派なものだ。


しかし守れなかったら意味がない。


大切な人がいるということは、失ったときの衝動も大きいのだ。


大切を失ったあとの世界を、ギルは考えているのか。


いや、話を聞く限り考えていないだろう。


ギルは、大切な人が存在する世界だけしか目を向けていない。


咲間は絶望の淵で学んだ。


大切な人を失ったあとの世界は、残酷だと。


ギルに伝えるべきか、正直迷った。


"大切な人がいない世界も考えたことがあるか"と問うたら、ギルはどんな反応をするだろうか。


きっと拒絶するだろう。


アイツや月姫が存在した頃の咲間みたいに、大切な人がいる世界しか想像できないのだ。


現実を突きつけて、関係を拒絶されるのも気に乗らない。


それに咲間はレインに扮している状態。現実の世界を話すべきではないと思った。


「……そっか。シーラを大切に思っているんだな」


当たり障りのない言葉を発して、ギルの機嫌に触れないようにした。


「あれ、何か身体が段々と熱くなってきたんだけど」


良い湯加減並みの温度が、少し熱くなってきた。


水面を見ると、小粒の泡が水中から昇ってきている。


「あ、調整するの忘れてた」


ギルは頭を掻きながら"あちゃ~"と小声で呟く。


その後、咲間は"アツアツ"と言いながら全裸で裏庭に転ぶ羽目となった。


湯舟時間はこうして幕を閉じた。

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