12話―来訪―
フォルテシオン伝説という伝承がある。
始まりは地上も空もない漆黒の世界で、フォルンという始祖が生まれた。
フォルンは、海や大陸などの世界を誕生させて生命も生んだ。
しかしある日、終焉の始祖と呼ばれる存在が世界に終焉をもたらそうとした。
結果は、フォルンの勝利。勝利した日から三六五日後、フォルンの身体が三つの光となって分裂する。
白の光からは、大天使ルディア。黒の光からは、大悪魔アバドン、紫の光からは、大魔神キドス。
悪魔と呼ばれる存在は、この大悪魔アバドンの配下と言い伝えられている。
伝承のため、信憑性は低い。亜人の民は、子供に言い聞かせるお伽話という感覚でしかない。
そんなお伽話の存在、悪魔が実在した。
無表情を貫くユアでさえも驚愕の表情を灯すほど、ありえない話なのだろう。
しかし先ほどの言葉は一体……。
「ごめん。話を遮ってしまって」
ユアの表情は無へと変わり、椅子に座り直す。
その後も場の静寂は続いたまま。数分の沈黙が続いたころ、シーラが口を開く。
「で、でも大丈夫。私たちにはレイン様がいる。レイン様なら悪魔なんて絶対倒せる。そうでしょ、レイン様? 」
シーラのつぶらな瞳が咲間を真っ直ぐ見つめる。
膜が覆った瞳。宝石のように微かに輝き、涙が眼球に潤いを与えているようだ。
アニメや漫画なら"任せろ!"と頼りがいのあることを言うのだろう。
しかし咲間が生きている世界は、現実だ。
アニメや漫画のように、ご都合主義がひしめき合う世界で生きてはいない。
発言した言葉一つで、重荷を背負うことだってある。
もし、ここで安易に言葉を発したら重荷を背負いかねない。
だって、咲間はレインではない。
咲間は死にたいと嘆く弱虫でしかない。
真実を知ったビスティアの民、シーラがレインの正体を突き止めたらどう思う。
きっと、絶望と悲しみに打ちのめされる。
そして、こんな言葉を放つだろう。
"あの言葉を嘘だったのですか? "
嘘を乗せて更に嘘を重ねる行為。そんな卑劣な真似はできない。
可もなく不可もない言葉。脳内で探そうにも言葉が見つからなかった。
「それは、その……」
「シーラ、レイン様を困らせるな」
ユアが口を挟む。瞬間目が合った。
"任せてください"と目で合図を送っているのか。
小刻みに首を揺らして、ユアはシーラに視線を向ける。
「それにシーラ、心配するな。レイン様もいるし、私もいる。悪魔に絶対屈することはない」
「うん。そ、そうだよね。レイン様、申し訳ありません。心配をかけてしまって」
「いや、うん。大丈夫」
キメラたちは中層へと北上し、上層に近づいている。
あの歪な外観を思い出すだけでも、胃が気持ち悪くなる。
いま考えるだけでも吐きそうだ。
さらに伝承で言い伝えられている悪魔が実在しているかもしれない。
中層へ向かった戦士三人を殺し、逃げ延びた一人に畏怖を与えた。
当事者の身になって思い浮かべるだけでも、身体が震えて心が萎む。
命の危険が迫っている。
大丈夫と安易な言葉しか言い出せない自分に嫌気が差し、心の中で舌打ちする。
「それより、言葉を話すってどんな言葉を話していたんですか? 」
沈黙を貫いていたギルが腕を組みながら、跪く男に問う。
「分からない。なんせ逃げるのに必死だったから」
「悪魔の情報が少なすぎる、これじゃあ
デルクが頭を掻きながら、ため息をつく。
「確かに、お父様の言う通りです。情報が不確かすぎる」
ギルは呟きながらデルクに視線を向け、腕を机に置く。
「とりあえず、お前はゆっくり傷を癒して休め。デルク、すまないがベッドへ運んでもらえないか? 」
「ああ、分かった」
デルクは跪く男の腕を肩に担ぐと、奥の方へと姿を消した。
突っ立っていたもう一人の戦士は、ルフラの"警戒を強めろ"という言葉を聞き、外へ出て行った。
ルフラは一息つくと、食卓の椅子に座った。
「厄介なことになった」
独り言のように呟き、肘を立てて俯く。
「ルフラ、元から事態は重かった、仕方がないこと。悪魔は想定外だったけど」
「ええ、同意見です。事実なら一大事です。一刻も早くビスティアの民を避難させなくてはいけません」
「避難ってどこに? ……まさか」
「ええ、クーシェル森の最上層。
「でも、あの地域は確か部外者を寄せつけなかったはず」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。狐変族ってそもそもどんな部族なんだ? 」
話についていけなくなった咲間は、ユアとデルクの会話に口を挟む。
「狐変族。一言で言うなら戦闘民族」
腕を組みながらギルが答える。
「隠密行動を得意とし、敵を一瞬で
特性。ユアから以前聞いたことがある。
亜人には、個々の種族によって得意とする能力があるらしい。
力量は個人差があり、全ての民族が得意ということではない。
例えば狼月族の特性は、俊敏。狼のような速さを持ち、他種族の亜人より早く走れる。
ただし、早さが劣る者もいる。人間で例えると才能に近い。
「ギルの言う通りです。それに奴らは、同族意識が強い。他種族には見向きもしない」
他種族の交流を阻む部族、一昔前に日本で行われた鎖国に近い。
「その狐変族が住む地域へ避難するって自殺行為だと思うんだが? 」
咲間がルフラに至極当然の問いを投げた。
ルフラとギルの言葉が真実なら、狐変族の地域へ避難したら命の危険がある。
一瞬で戦闘態勢を取られるだろう。
「その点は心配ありません。狐変族陣営とは以前から
ルフラは、ギルに"玉文水晶を取ってきてくれ"と命じた。
ギルは奥の方へと姿を消した後、数秒で戻ってきた。
ゴルフボールくらいの水晶。半透明の内側には、白い線が幾つも走っている。
窓から差し込む陽光に照らされ、水晶が一瞬輝く。
水晶を机に置くと、ルフラが呪文らしきものを唱え始める。
三文ほど読み上げた後、水晶はその場で回転をしながら、上空に白い靄のような光を発する。
浮かび上がってきたのは、紫の文章。何が書いているのか全く読めない。
ルフラは、白い文章の右側をゆっくり指で滑らせる。指に従うように文章が下へと移動する。
まるで、スマホを操作しているように見えた。
「これが狐変族たちからの返事です」
これくらい読めるでしょう、というような軽い感じで咲間に言った。
「ルフラ、流石にこの文章は読めんぞ。私でも分からない」
ルフラは一つ咳払いをする。
「そうでしたか。いや、これは失礼しました。内容はこんな感じです」
ルフラが文章を読み上げながら、指を滑らせていく。
"ルフラ・クリスティーン・ヴァルシア殿
貴殿の緊急要請、心よりお受けします。
我らアルベニス一族は、昔の狐変族とは違う。他民族の者たちとも交流を持ち、絆を育みたいと思っている。しかし此方からの救助はできない。大変心苦しいが、私たちの内政も大変なのです。どうかご理解のほどよろしくお願いいたします。
とは言え、そちらから私たちの元まで来てもらえれば救援は可能です。食糧、住居、その他諸々の物資提供もさせていただきます。
大変な状況なのは重々理解していますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
キョウ宰相 タマラ・アルベニス・二コラより"
「つまり要約すると、狐変族は狼月族を敵とは思わないって言いたいの? 」
「その通りでございます」
もっと簡潔に書けないのか、と悪態を付きそうになるも堪える。
「ともかくキメラが中層に迫っている非常事態です。他に道はありません。この文章を信用するしかないでしょう」
ルフラが手を叩くと、白い靄が消えて水晶の回転も止まった。
同時に玄関扉が一気に開く。
部屋中にバンッという大きな音が鳴り響き、リビングに居た全員が一斉に扉方面へと目線を向ける。
若めの青年だ。年齢は一七、一八の年頃だろう。
茶髪の隙間から生える狼耳がくたびれ、膝に手を付けて荒い息を吐いている。
「何事だ!? 」
ルフラは立ち上がり、青年に向かって声を上げる。
「村長! た、大変です。鬼朱族の奴らが……村に侵入してきました! 」
ライオンの群れに放り込まれたウサギのように、ルフラの顔が冷める。
視線の端でギルの顔が見えた。
ギル以外のみんなは、恐怖が瞳に宿っている。
きっと鬼種族という部族は、畏怖される存在なのだろう。
しかしギルは違う。
瞳からは、怒りが見て取れる。
例えるなら、幸せを壊されたことに対する怒りがギルの瞳から
拳を震わせ、怒りの炎を抑えているかのようだった。
「ギル……」
シーラは不安を纏った声調で一言呟き、ギルへ視線を向ける。
ルフラとモニカもギルの変容に気付き、視線をギルへ移す。
「皆さん、大丈夫ですよ。俺は……気にしていませんから」
震わせていた拳を引っ込めて、ギルは怒りを潜めた。
若干笑みを浮かべながら頭を掻く。
「とりあえずギルは奥の部屋にいなさい。鬼種族の奴らは今どこに? 」
「広場に集まっています」
ルフラと青年は、一緒に並びながら外へ出て行った。
「ご主人様、私たちも」
「ああ、そうだな」
鬼朱族。初めて聞く部族だ。
一つでも多くの情報を知っておいた方が安心だろうと思い、ユアと共に外へ飛び出す。
外へ出る間際にギルと視線が合う。
咄嗟にそっぽを向かれた。
ほんの一瞬だけ、ギルの瞳に涙が幕を張っているような気がした。
君の笑顔を守るために、俺は世界を殺す 剣崎 夢 @hiromu-46
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