3話―死より重い契り―


「でも、俺は誰の笑顔も守れないゴミ野郎だ」


「それでも私は、ご主人様の夢が叶うと信じています」


咲間は声を荒げながらエルフの瞳を睨む。


「だから絶対――」


「私が傍に居ます」


淡々と言葉を綴っていたエルフの口調に抑揚がつく。


突然の変貌に、咲間は一瞬怯んだ。


「確かにご主人様は、前の世界で苦難を歩んだ。苦しかったでしょう。だけどこれからは、私が一生お傍に仕えます」


抑揚がない口調に戻って、エルフは言葉を続ける。


「別ではありません。私はご主人様の下僕です。そしてご主人様の夢を叶える剣と盾でもあります。ご主人様の辛いこと、苦しいこと、全て私に預けさせてください」


真っ直ぐ向けられた瞳から、二つの焔が灯っているように見えた。


覚悟に似た想いを感じる。


扉の先から入り込んだ日差しがエルフに降り注ぐ。


エルフの髪を例えるなら、紅を琥珀に塗った宝石"レッドアンバー"のように美しかった。


宝石のような美しさと覚悟を見せつけられた咲間は、一瞬呆気に取られた。


瞬時に思考を巡らせて言葉を吐き出す。


「お前は俺のことを知らない。お前が知っているのはこの身体の持ち主だろ? 俺を守る理由が分からない」


「ご主人様は何か勘違いをされていますね」


「は? 何が? 」


「私は"救世主"としてのご主人様に仕えて守護する存在。それは前のご主人様でもいま目の前にいるご主人様でも変わりません。救世主の身体に新しいご主人様が宿った、それだけのことです」


身体の持ち主は、救世主と呼ばれていたのだろう。


エルフだけが呼んでいたのか。人類全員が呼んでいたのかは不明。


どちらにしても答えは一つ。


「そんな話信じられるか」


信頼は言葉で表現すると、綺麗に聞こえる。しかし信頼は苦しみだ。


手を繋いだ瞬間、指先から徐々に腐食していく。


指先、腕、肩、胸へと這って、最後は心が腐る。


咲間は人生で二回信頼した。


一回目はアイツと。二回目は月姫。


二人のことを尊敬していたし、愛していた。


しかし、二人は咲間の元から消えた。


指先が微弱に震える。


額からは数滴の汗が漏れ、頬を伝い口先を掠める。


「信じるのが怖いですか? それともまだ私を敵だと思っていますか?」


エルフは咲間の言葉に引く素振りすら見せず、質問を重ねた。


乾いた唇を拭って、咲間は声を荒げる。


「当たり前だろ。死んだと思ったら突然違う身体に宿って、得体の知れないエルフが俺を守ると言われても信じられるか。それに……」


「それに?」


「苦しいんだよ。信頼は苦しみしか生まない。綺麗な物じゃない、ただのゴミ屑だ」


今まで溜まっていた苦しみが、瞳から流れて頬を伝う。


突然の出来事だった。


エルフは咲間の手首を掴んで後ろへ倒させた。


咲間の身体に跨り、薄暗い紅色の瞳を咲間の瞳へと近づける。


エルフの垂れた髪が咲間の頬に触れる。


レースカーテンのように滑らかで一本ずつの毛が洗練されている。


これほど綺麗な髪を今まで見たことがない。


いつの日かに見た、歴史画に描かれた女性の髪にそっくりだった。


「なにする――」


咲間の言葉は、エルフの口づけによって遮断された。


エルフの柔らかい唇が咲間の唇へと伝わる。


綿のような極上の枕を肌で感じているような感覚。


口臭は甘くて恍惚するほどの匂い。


快に浸かりそうになるも、必死に抵抗を試みる。


しかし手首を動かしたくても、頑丈に固定されている。身体に跨っているため上半身も起こせない。


エルフは舌を咲間の口内に入れてきた。


唾液の絡み合いによって卑猥な音が響く。


両者の接合した唾液が漏れて、咲間の頬に垂れた。


一分ほど経つと、エルフは接吻を止めて口を離す。


混ざり合った唾液が糸を引き、咲間の羞恥心を狂わせた。


エルフは無表情を保った状態で一言呟く。


「一度期間を置きませんか? 」


「期間? 」


予想外の言葉に、咲間は唖然とする。


「その前にお前は一体何をしたいんだ? こ、こんなことして……」


「契りみたいなものです」


「契り?」


「ご主人様は死を望んでいて、今すぐあの世へ逝きたいと考えています。対して私の望みは、この世界から亜人と人間の対立を無くすこと」


対立を無くす。


実現したら誰もが功労者を崇めるだろう。しかし対立が消えることはない。


現代でも国柄、外見の違いだけで差別や争いが起きる。


対立を無くそうと掲げる者も居れば、対立に賛同する者も居る。


そして勝者は、常に対立を求める者だ。


根底には、欲や利益が絡んでいる。当然人類が抗うすべはない。


「私が何度説得しても、ご主人様の意思が変わることはないでしょう。勿論、私の意思も変わりません。そこで一つ期間を設けます」


エルフは前屈みとなり、右手を咲間の頬に添える。


「一ヶ月間、私と一緒に生活していただきます。この期間はお互いの意思を一旦脇に置いて自由に暮らす。友達を作るのも良し、趣味を見つけるのも結構。自由気ままに暮らしていただきます。……そして」


エルフから漏れた息遣いが咲間の鼻筋を撫でる。


「一ヶ月後、ご主人様がこれからどうしたいのかもう一度お聞かせください」


エルフは更に体重を倒して、咲間に密着する。


曲線を描いたエルフの胸が咲間の胸板に当たる。


エルフの鼓動を肌に感じた。


咲間の耳元に口を近づけて小声で呟いた。


「それで意思が変わらないのであれば、私は忠実にご主人様を殺します」


「それは本気で信じていいのか?」


「ええ、勿論です。その証拠が先ほどの接吻になります。この世界では大事な約束を取り付ける際、接吻を必ずします。特に口は命より重い約束を交わす際にするもの。約束を破れば心臓の鼓動が止まり、死あるのみです」


エルフは姿勢を反らすと、唇に手を当てる。


ほんの一瞬だけ唇の赤みが増し、すぐ元通りの血色に戻る。


契約完了の合図なのだろう。


「つまり俺は勝手に命より重たい約束をさせられたわけだ」


咲間は右腕を目元に覆って、ため息をつく。


「でもご主人様には好都合なはずです。約束を守って普通に生活した結果、死にたいなら死ねる。約束を守らなければ無条件で死ねる。ご主人様には利益しかありません」


エルフの言い分は一理ある。


結局のところ咲間は死ねたら問題ない。どちらに転んでも望みは叶う。


副産物としてこのエルフも死んでしまうが、気にすることはない。


所詮、赤の他人。情を抱く理由はない。しかし――。


咲間は目線をエルフへ向けた。


エルフの唇が視界に入る。


この唇と接吻したと考えるだけで、心拍数が急激に揺れる。


唇に視線を向けず、エルフの瞳を見つめながら聞いた。


「俺がその約束を守らなければお前も死ぬんだろ。この世界の対立を無くしたくないの?」


エルフの望みは、亜人と人間の対立を無くすこと。


死ねば叶えることは不可能。命より重たい約束を取り付けた意味が分からない。


「勿論、死にたくありません」


エルフは咲間の胸元に手を置き、咲間の瞳を無表情で見つめる。


「でもご主人様が居なくなれば、この世界は終わりです。その先は憎悪と欲に塗れた世界。腐った世界の完成です。それに……」


エルフは咲間の胸元に顔を埋めて呟く。


「ご主人様の居ない世界で……生きたくない」


エルフの手元が微かに震えていた。


エルフの過去を詮索するつもりはない。しかし返答に困る。


こんな時、月姫ならどんな言葉を返すだろうか。


月姫と過ごしたある光景が脳内で蘇る。


月夜が浮かぶ並木道、桜が咲き渡る一本道。


眩いほどの透き通った肌と凛とした目元、大和撫子と呼ぶに相応しい黒髪、背景に映る桜と月夜の下に佇む月姫は美しかった。


月姫は夜の桜が好きだった。だから夜になると、一緒に散歩へ行った。


何気ない日常、至って普通の会話。それでも月姫と一緒にいるだけで幸せだった。


一瞬考えると、咲間はため息をついた。


「分かったよ」


咲間は観念したように呟く。


エルフは埋めていた顔を上げて、無表情で咲間を見つめる。


このエルフが何を考えているのか理解できない。


感情の欠片すら見せない。正直言って不気味だ。


でも……。


「その約束乗るよ」


エルフは安心したのか。"そうですか……"と呟き、咲間の身体から離れて跪く。


咲間は上半身を上げてエルフを見つめる。


宝石のように美しい赤茶髪と薄紅を宿す愁いな瞳。


細く引き締まった身体に尖がった耳、極めつけは一寸も崩さない表情。


正直関わるべきではないと思う。この一ヶ月、何が起こるかも分からない。


不確定要素は幾つもある。しかし……


「……一ヶ月間だけだからな。えーっと」


エルフの名前を聞いていなかった咲間は言葉に詰まった。


エルフは悟ったのかこうべを垂らした。


「ユア・イースト・カレンティーナと言います。気軽にユアとお呼びくださいませ」


エルフの名前を聞きながら、咲間は少しだけ期待した。


……何かが変わるかもしれない。


その何かの正体は分からない。それでも咲間は、月姫のある言葉を思い出す。


『サク、迷ったら一歩踏み出してみよ? 大丈夫、サクならできる。だって私の弟でしょ! 』


不安を抱えたまま、咲間は口を開く。


「俺は咲間 広季。短い間だけどよろしく」


咲間は腕を前に出す。


「あ――」


言葉を出すもユアは口を閉じた。


真っ直ぐ咲間の瞳を無表情で見つめる。


出会って数十分は経つ。


流石に咲間は、不思議に感じた。


感情の欠片は誰でも持っている。


しかしユアは、感情の欠片すら見えない。


変な奴と思いながら、咲間は手を引こうとする。


入口の方から微風が吹いた。


世界に光が訪れる前触れかのように……。


ユアの毛先が揺れた瞬間、咲間の手を両手で握った。


両膝を地面につけて主人を見つめる。


美しい満面な笑みで。


「はい。よろしくお願いします、ご主人様」


正面に居たのはユアではなく別人だった。


赤茶髪の毛先が揺らめき、ユアの表情に光を与える。


この瞬間だけ世界が止まっているように感じた。


咲間は言葉を掛けようとする。しかし体力と気力が限界を達したようだ。


視界が揺れて、目の端から闇が現れる。


何でその笑顔を君が――。


抗うことも出来ずに、咲間の視界は闇に染まった。

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