5話―ユアの告白―


ユアの話が終わるころには、世界が漆黒で包まれていた。


遠くを見据えても、闇だけが伸びている。


地獄の住人が現れてきそうな闇。眺めているだけで、背筋に冷たい風が走りそうになる。


カラスなどの鳥が合唱を行っているのか。不気味な鳴声が微かに聞こえる。


夜中にこの森で迷子になれば、身体が震えて恐怖に慄くだろう。


何も見えない世界、周囲は闇に包まれ、不気味な鳴声が耳を犯す。


光がないなら尚更、身体の芯が恐怖で塗りつぶされる。


咲間は窓から視線を外して、卓上のランタンへ目を向ける。


淡い輝きを放つ光が、身体の芯を暖めてくれた。


闇の中で灯る光が、これほど安心できるとは思いもしなかった。


光が担保されているだけで、心に安心感が灯る。


壁の隙間から微風が身体を撫でるが、贅沢は言えない。


一息つくと、視線だけをユアに向けて様子を伺う。


全ての話が終えると、ユアは口を閉じた。


無表情と愁いな瞳が一層に際立って、質問を躊躇してしまう表情を纏っている。


無言の状態が五分ほど経った。


整理だけしようと思い、ベッドに腰を落とす。


「大まかに整理させてくれ」


咲間は絡まった思考の線を一つずつ、解いていく。


この世界の名はフォルテシオン。大小の島嶼部と一つの大陸が存在する世界。他の大陸は、発見されていない。


大陸の名はドレイク大陸。咲間が居る場所は、ドレイク大陸内のアスダル地域という場所。魔人信仰が強い地域として、様々な種族が生活している。


「人間と亜人の信仰対象は魔人。同じ存在を信仰しているってこと? 」


亜人と人間の対立を聞いたときは、信仰の相違かと思った。


現代でも宗教が違うだけで、争いが起きた歴史はある。


宗教が違うなら対立する意味も分かる。しかしアスダル地域は違う。


信仰する対象は同じ、かつ分裂も起きていない。


同じ存在を崇めているのに、人間と亜人は対立して争っている。


「はい、その通りです」


「それなら人間と亜人は、なぜ対立している? 」


目を伏せながら、ユアは首を横に振る。


「私が物心付くころには、人間と亜人が争っていました。正確な理由は分かりません」


ユアの実年齢は五〇〇才以上。つまり一世紀以上前から、人間と亜人はいがみ合っている。


ユアの瞳に仄かな光が輝き続ける。


愁いな瞳の表面に、柔らかい光のカーテンが敷かれているようだった。


「ですがレイン様は言っていました。この対立は誰も悪くないと」


レイン・イースト・モレド。亜人の頂点に君臨する魔王であり、咲間が宿った身体の本来の持ち主。


ユアが仕えていた主人でもある。


「レイン……さんに理由とか聞かなかったの? 」


「私はレイン様の言葉を信じていました。だから理由とか考えもしなかったです。単純にレイン様のために任務を遂行する、そう考えていました。ただ……」


ユアは組んでいた手を解いて、掌を見つめる。


「戦争を幾つも体験する中で、幼い子供の姿を何度も見ました」


戦争。現代人である咲間もニュースで聞いたことはある。


学校にミサイルが撃ち込まれた等の話は、非道で卑劣な行為だ。


断罪するべき行い。しかし断罪は容易ではない。


欲に塗れた大人たちが、反旗の旗をすぐ撃ち抜く。


結局、犠牲になるのは何も罪のない人たち。


フォルテシオンと現代。世界が異なっても、汚い部分は全く同じ。


本当に目を背けたくなる現実だ。


ユアは指を曲げながら日数を数えていく。


いや、人数を減らしているようにも見えた。


「子供だけでも、数万程度亡くなったと思います。この現実を知ったのは、レイン様が死んだ後のことです」


ユアは脱力するように手を卓上に置いて、言葉を続ける。


「この悲惨な状況は、何で生まれたのか。今考えると、対立の理由を聞いておくべきだったと思います」


ユアは仄かに灯るランタンを見つめて、言葉を止めた。


責める資格がない咲間は、口を閉じる。


部屋に静寂が訪れ、隙間風の音だけが聞こえる。


弱々しい音、耳を澄ませないと聞こえないほど小さい。


咲間は視線だけをユアへ移動させる。


表情に寂しさが覆う。


表情筋は一切綻びが見当たらない。


筋肉が縮小して固まっているようにも見える。


話している間も表情は、絶対零度の世界で凍ったように筋肉が固まっていた。


唯一口だけが上下運動している。ただし、運動距離は極端に短い。


声調が低く、言葉に宿る感情の節が存在しない。


聞いた内容をまとめて、咲間は言葉にする。


「人間と亜人は五〇〇年以上前から対立状態。信仰対象は同じ。それなのに争いが続いている。対立理由は不明」


ユアは頷くことすらせずに、ランタンの光を見つめ続けている。


「で? なぜそのような状況でレインさんは、自分の自我を捨ててまで誰かの魂を宿そうと思ったの? 」


話を聞く限り、レインさんは対立理由を把握済み。かつ、亜人たちを率いて人間と争っていた。


魂を捨てる理由が分からない。


普通なら亜人たちのために戦うべきではないのか。


「レインさんというより、私が考えた案です」


「ユアが? 」


ユアは小刻みに頷いて見せる。


「当時の亜人戦力は、憔悴しきっていました。兵の士気は落ち始め、逃亡する者も現れた。戦いが生じても守るだけで、一向に勝ちを収めることが出来なかった」


手を組んで、ユアは一息つく。


「……次第に亜人たちの鬱憤は、レイン様へと向けられました」


「何でレインさんに向けられたの?」


「レイン様は、人間領土へ攻め込もうとしなかったからです。ここを見てください」


ユアは卓上に開かれた地図に指差す。


咲間はベッドから立ち上がって、地図に視線を向ける。


ユアが指した場所は、緑に覆われた森林地帯。


数分前にユアが教えてくれた情報を脳内から引っ張る。


クーシェル森。大樹が織り成す森林地帯、アスダル地域内では、最大級の森林面積を誇る。亜人が住む地域として認識されている。


「クーシェル森から人間領土まで遠くはありません。小さな村であれば、早馬で五~七時間ほどの距離。攻められない距離ではない。しかしレイン様は攻めなかった」


次にユアは、茶色に覆われた地帯に指差す。


アンバル帝国領。アスダル地域内で大規模な国土面積を所有している。全体人口は八百万程度。平地が多く、郊外では農村や草原が広がっているそうだ。


「当然人間からすれば、美味しい情報です。攻め込む脅威がないのなら、守備は最低限で済む。多くて週三~四の間隔で人間たちは攻め込んできました」


「じゃあ人間たちは、この森へ攻め込んできたってこと? 」


ユアは目を伏せて頷く。


咲間は、窓に映る闇の奥に視線を向ける。


クーシェル森は、太く伸びた大樹の上で葉が生い茂っている影響で、光が差し込まない森としても有名であり、日中でも薄暗い。


地表も平坦な地面ではない。


凹凸が激しく、砂利や小川が流れる。足場が非常に悪い。


まともに戦闘できる場所ではない。


仮に戦闘が出来ても、視界は最悪。


週三~四の間隔で攻め込める場所ではないと思った。


「でも無理があるだろ? こんな悪循環な場所で戦えるわけがない」


「当時のクーシェル森の樹木は、それほど高くありません。陽の光も届いていましたし、視界も良好でした。難しい地表の場所は、避ければ問題ない」


「だけど人間たちに土地勘はないだろ?」


クーシェル森は亜人の領土。人間族側に土地勘があるとは考えにくい。


「当時は探検家が流行っていた時期ですから、人間族側にも若干の土地勘はありました」


「探検家? 」


「ええ。探検家の情報を買い取って、その情報を基に攻め込んできたんです」


ユアは肘を付くと、手を組んで俯いた。


「亜人側が攻めない、探検家の情報、クーシェル森の土地状況。人間族側に有利な条件が揃っていた。だから頻繁に攻めることが出来た」


部屋の明るさが若干暗くなった。


完全な闇とは言い難いが、ユアの小さな顔の輪郭は見えにくい。


ランタンの光に目を向けると、シラーは残り一枚。豆電球ほどの光が弱々しく灯っている。


シラーの花言葉は、寂しさ。まさにユアの表情を表しているようだった。


ユアは光の弱さに気付いて、ポーチからシラーの花弁を五枚取り出してランタンへ入れる。


ナイフを手早く出して、指の皮膚を少しだけ切る。


一滴血を垂らすと、花弁が白に変色して仄かな光がランタンに灯る。


「更に私たち亜人陣営には、大きな問題も抱えていました」


ユアは布で指を押さえて、止血しながら言葉を続ける。


「当時軍内では、人間たちの処遇について穏健派と過激派に分かれていました」


人間と亜人が対立状態の最中に、仲間内で分裂。馬鹿の極みなのかと思った。


「仲間内で分裂してどうするんだよ」


咲間は独り言のように呟くも、ユアは面目なさそうに若干俯く。


「本当に仰る通りです。このような状況で仲間内に敵を作るなど、愚の骨頂。すぐに体制を整える必要があった。しかし――」


「抑えきれなかった」


数十分前に聞いた内容を基に、咲間はユアに変わって言葉を重ねた。


穏健派と過激派の溝は深まっていき、奈落の崖並みの溝が生まれた。


穏健派は穏やかに人間と和平を結ぶことに対して、過激派は人間を殺して平和を実現させる。


想う気持ちに相違があれば、恋愛が成就しないのと同じく、戦時の意思疎通は困難を極めた。


次第に過激派は、穏健派と衝突することになる。


過激派は穏健派の指示に従わず行動。隊を乱したり、背後から穏健派を襲ったり、酷い状況だった。


人間を捕まえて拷問したという噂もあったらしい。


軍の不安は、国民の間にも広まった。


早急に人間たちの侵略に対処する必要がある。だと言うのに、軍内で分裂とはどういうことか。


国民たちは、魔王が住む城へ連日押しかけた。


レインさんの耳にも聞こえていただろう。


国民の想いとか色んな感情が重く圧し掛かったに違いない。


しかしレインさんは、軍の対立に関して一切口を開かなかった。


国民たちの不安は増すばかり、戦死者の数も日が経つごとに増えた。


その影響でレインさんへの鬱憤が募り、多くの亜人が独立派に属した。


「レイン様も解決すべき問題だと分かっていたはずです。ですが、人間との争いも頻繁に対処する必要がありました」


ユアは止血した布を卓上に投げて、背凭れに体重を預ける。


「全ての問題を抑える余裕がなかったんです。レイン様も……私も」


ユアの瞳が少し綺麗に見えた。


ランタンの淡い光がユアの愁いな瞳に輝きを与える。


本来であれば、ユアの瞳は薄暗い紅色。宝石のように綺麗とは言えない。


今の瞳を例えるなら、ルビーのように美麗で汚物を寄せない純潔な色合い。


そんな表現が似合う瞳だ。


ユアが見ている今の光景は、綺麗に映っているだろう。


しかし五〇〇年前の光景はどうだ?


戦乱の最中では、女性、子供、兵士、様々な人が苦痛に塗れた表情で死ぬ。


大量の死体がゴミのように倒れて、毎週死体の山が築かれる。


日が経つごとに腐敗が侵食してコバエも集ってくるだろう。


追い打ちをかけるように亜人領土内では、戦乱の中で家を無くした貧困層も急増。


食事する事も出来ず、餓死する者も居た。


国民は、生きることに必死。例え犯罪に手を染めても、命が最優先のため街中には強盗、窃盗が相次ぐ。


犯罪に染まれば、人間としての感情が崩れる輩もいる。


略奪行為以外に殺人や強姦などの惨い事件も頻繁に発生した。


更に穏健派と独立派の問題で、亜人内で分裂。国の雰囲気は最悪だったはずだ。


レインさんとユアには、当時の光景がどのように映っていたのだろうか。


「亜人たちは不安や鬱憤を徐々に募らせました。そして遂に限界を迎えた」


数十分前にユアから聞いた言葉を復習するように、咲間は呟く。


「……反乱か」


過激派や国民は、我慢の限界に達したらしい。


戦死者が数百万を超えた明朝、まだ日の光も昇っていない朝に、過激派の亜人たちはレインさんが住む城を攻撃した。


攻撃が開始したと同時に各地で、国民による暴動も起きた。


国民は声高らかに、こう叫んだそうだ。


『レインを玉座から降ろせ、屍を晒して国民に詫びろ』


子供の悲鳴やら火災などが起きて、街は地獄絵図と化した。


「反乱の規模は相当大きかったです。国民の九割ほどがレイン様に反旗の旗を上げた。被害は絶大でした」


咲間はベッドに座り込んで、肘を膝につけて姿勢を丸める。


「鎮圧は出来たのか? 」


ユアは一瞬だけ間を開けて、微かに首を横に振るう。


「そっか」


お互い口を閉ざし、部屋に静寂が訪れる。


ランタンの中で輝くシラーが二人の瞳を照らし、漂う仄かな香りが鼻腔を撫でた。


せめてもの救いだ。シラーの光と香りがなければ、部屋の雰囲気は墨のように染まっていただろう。


ユアは最後の力を振り絞るように、重たい鉛と化した口を上げた。


「レイン様は暴動の中、致命傷を負いました。私が駆けつけた頃には、数分の命で眼も虚ろ。回復は見込めなかった」


相変わらずユアの表情は微動すらしていない。


しかしユアの目元が若干動いたような気がした。


思い出したくない記憶なのだろうか。もしくは表情を突き動かす衝撃が強い記憶なのか。


「だから……私は……レイン様を助けるために……」


言葉の節々で間を置いて続けるも、肝心な箇所で言葉が途切れた。


ユアは視線を斜め下に向けると、目を伏せて軽く頭を下げる。


「申し訳ございません。ここから先は、言えません」


「言えない? 」


頭を下げた状態でユアは言葉を続ける。


「これは私の為であり、ご主人様の為でもあります。どうかお許しください」


咲間がなぜフォルテシオンに転生したのか。答えはユアが握っている。


答えを知れば、脳内の霧を晴らすことが出来るだろう。


最も重要な"なぜ"が解決できる。


普通なら少しだけ感情が高ぶって、語尾が強くなると思う。


しかしシラーの気分安定効果で、感情は落ち着いている。


冷静な状態を保ったまま、咲間は口を開く。


「一つだけ教えて欲しい。なぜ俺だったの?」


今までの話を振り返れば、レインさんの身体に別の魂を宿したのはユアで確定だ。


咲間をどうやってフォルテシオンに転生したのか。ユアは頑なに教えてくれないだろう。


だけど、なぜ咲間が転生者として選ばれたのか。この疑問は解消したい。


咲間とフォルテシオンの接点は皆無。能力もない平凡な青年だ。ましてや、自ら命を落とした廃人でもある。


救世主として選ぶ要素が見当たらない。


咲間が転生者して選ばれたのは偶然なのか。もしくは何か理由があるのか。


ユアは、視線を咲間の瞳へ向ける。


相変わらずユアの表情は無だ。


ただ、瞳の奥から静かに燃え上がる忠誠の焔が見えたような気がした。


「理由は簡単です」


ユアは椅子から立ち上がると、咲間の元へ歩み寄り、膝を床に付ける。


手を咲間の胸へゆっくりと置いた。


飴細工を優しく触るような感覚が胸に伝わる。


上目遣いでユアは、咲間を見つめる。


「貴方しかいないと思ったからです。サクマヒロキ様」


「俺しかいない? 」


ユアは頷いて見せる。


「詳細は言えません。しかし私はご主人様が救世主だと思ったからレイン様の身体に宿したのです」


ユアは、咲間の股へ入り込むと、額を咲間の胸に付けた。


「だから信じてくださいませ。ご主人様の剣となり盾となり、どんな状況でも私は、ご主人様を見捨てないと。どのような苦難が待っていても、私は一生ご主人様のお傍で仕えましょう」


なぜユアは、他人である咲間に忠誠を向けるのか。まるで咲間を以前から知っていたような物言い。


咲間はあり得ない想像を抱くも、その思考を捨て去る。


ユアと初対面の事実は変わらない。


外見は勿論のこと、口調や言動を過去の人物と照らしても、合致する者は居ない。


初対面の人に信じてくれと言われても、簡単には出来ない。


心のどこかでユアを疑っている自分がいる。


だけど、ユアが本当に信頼できる人物なら、全てを委ねてもいいのかもしれない。


苦しみや悲しみなどの感情を、ユアに見せたらどんな反応をするだろう。


きっとユアなら——。


ゆっくりと咲間は右手を上げて、ユアの頭に近づける。


頭に触れる直前、咲間は脱力しながら手をベッドに置いた。


手に苦しみや悲しみを押し込めて、拳を作る。


委ねないように、逃げないように、封印するように、奥へ、奥へ、追いやる。


ユアは胸から離れると、上目遣いで咲間を見つめる。


愁いで悲しみを纏った瞳が、更に悲しく見えた。


例えるなら、愛焦がれた人が違う女性と結婚したような悔しさが籠った悲しみ。


何で、どうして、が聞こえてきそうだ。


咲間は咄嗟に言葉を探すも、適切な返しが見当たらない。


ユアは目を伏せると、立ち上がって咲間の元から離れて無言で立ち尽くす。


数秒後、姿勢を咲間へと向き直る。


「ご主人様、もし良ければ明日少しだけ付き合っていただけますか?」


「え? 」


突然の言葉に、拍子抜けの言葉が口から漏れる。


ユアの瞳からは、悔しさの籠った悲しみが消失していた。綺麗に……。

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