王子と聖女、密かに魔王。

加瀬優妃

尊い犠牲

 むかしむかし、世界は一つの大きな大地でした。

 神の吐息から地上に風が生まれ、汗から川が生まれました。

 そして海が生まれ、生物が生まれ、やがてヒトが生まれました。


 神が生み出したそれらの物には、すべて神の恩恵、のちに『魔精力』と呼ばれるものが宿っていました。

 しかし、この魔精力をふんだんに蓄えることができる人間はごくわずか。そしてその力を扱える人間ともなると、数えるほどしかいませんでした。

 いつの間にか人には優劣ができ、このことに不満を覚えた人々は自然から魔精力を取り出し、変換して使う事を覚えました。


 やがて、ヒトは大地を支配することを願うようになり、より魔精力が多い大地を欲するようになり、人々の間では諍いが絶えなくなりました。

 力の強い者が弱い者を支配するために、ありとあらゆる物から魔精力は搾り取られていきました。

 国は豊かになっていきましたが大地は痩せていき、それは大地を生きる生き物にも影響を与えることになりました。


 そうして自然界は歪められ、その歪められた魔精力により次元にひずみが生まれ、魔界が発生しました。

 ひずみと魔界からの風により、大地には魔物が生まれるようになりました。

 それでも人々は、自然から魔精力を搾り取ることを止めませんでした。

 魔物が多く棲む場所には大量の魔精力が眠っている、と、魔物の居場所すら奪っていきました。


 人間と魔物が殺し合う世界。そうしてたくさんの人間と魔物の命を犠牲にしながら、人間はどんどん己の欲望に呑み込まれ、増長していきました。


 やがて人間は、すべての魔精力の源、神の聖域である『ロワーネの谷』への侵入を企てました。

 それまで歯痒い思いでずっと下界を見守っていた神は、ついに怒りました。

 そして魔界の長となるべき『魔王』を生み出しました。


「ロワーネの谷を守り、人間を懲らしめよ」


 神に命じられ、人間を粛正する存在として生まれた魔王は、八体の魔獣と四体の王獣、一体の神獣を率いてロワーネの谷から人々を追い出しました。

 そしてありとあらゆる国に己の下僕を遣わし、次々と滅ぼし、世界を荒廃させていきました。


 そこに、一人の男が現れます。ワイズ王国の第二王子、ジャスリー・ワイズです。

 彼は必死の思いで神に祈ります。


「神よ、人は滅びるべき存在なのか。魔精力に頼り過ぎず、魔物とも共存して生き残る道はないのか」


 その声を聞いた神は、しばし考えます。


「魔物には『魔王』を与えた。……では、ヒトには『聖女』を与えよう」


 ワイズ王国よりはるか北の小さな村――生まれながらに治癒の力を持った、ヒトの中でも飛び抜けて魔精力を蓄えていた女性に、『聖女』の力が宿りました。

 神は呟きました。


「『聖女』を生かすも殺すも、ヒト次第……」



   * * *



 ワイズ王国のはずれで生を受けたのちの聖女、シュルヴィアフェス。

 彼女は神が授けた『聖女』の力により――あまたの魔物を支配し得る『召喚魔法』を手に入れました。

 その強大な力を己のために使うか、人間の存続のために使うか。

 神は聖女を試したのです。


 しかし彼女は、どちらも選びませんでした。

 ただひたすら己の力をひた隠しにし、ワイズ王国のはずれの山奥で自然と共に――魔物と共に、ひっそりと暮らしていました。


 なぜなら――その森は、人々が『フィッサマイヤの森』と呼ぶ深く険しい森。一度入ったら二度と帰ってこれない、魔界に限りなく近い場所だったのです。

 そしてシュルヴィアフェスはその森の主、『王獣フィッサマイヤ』と共に暮らしていました。

 フィッサマイヤは、フサフサとした長い尻尾を持つ金色の狐。額にある赤い宝石は、すべての魔法を無効化する力を持っています。


 魔物と意思を交わす術を覚えたシュルヴィアフェスは、魔物を駆逐する人間の味方につくことはできませんでした。

 そして勿論、人間を粛正する魔王の味方につくこともできず、逃げることしかできなかったのです。

 そんなシュルヴィアフェスの「自分を隠してほしい」という願いに応え、フィッサマイヤは魔界より現れ、彼女を自分の森に匿うことにしました。


 しかしここに、聖女を探す使命にかられたジャスリー・ワイズ王子が現れます。


「――世界中を探したが見つからない。聖女はきっと此処にいる」


 彼はそう確信していました。


 『フィッサマイヤの森』は魔法が一切効かない恐怖の森。魔物に出くわせば、人間などひとたまりもありません。

 しかし世界一とも謳われる剣の腕を持っていた彼は、


「聖女を見つけられるのは自分しかいない」


と臣下の反対を振り切り、一度入ったら二度と出られぬこの森にたった独りで足を踏み入れました。


 心優しいシュルヴィアフェスは、人間も魔物も選べなかっただけ。王子を亡き者にしたかった訳ではありません。

 傷だらけになりながら魔物と戦い、深くより深くと森に入ってくる彼を、見殺しにすることはできませんでした。


 こうして――『聖女』シュルヴィアフェスと後に彼女の『伴侶』となるジャスリー王子は、フィッサマイヤの森で運命的な出会いを果たすのです。



   * * *



 これ以上人間を駆逐されたくないジャスリー王子と、これ以上魔物や魔獣の棲む自然を荒らされたくないシュルヴィアフェス。


 二人は長い間、視線を交わし、言葉を交わし、意思を交わし――そうしていつしか、愛を交わし。

 二人の間にはリンドという名の男の子も生まれ、ついに決意しました。


 ジャスリー王子は各国を巡り、人々が魔精力の搾取を止めるようにと。

 シュルヴィアフェスは各聖域を巡り、魔獣が人間の粛正を止めるようにと。


 それぞれの力で以て、説き伏せていったのです。

 

 そんな王子と聖女の前に、王獣マデラギガンダが魔王の使者として現れました。


 魔王の臣下である魔獣は引かせる。

 その代わり、聖女シュルヴィアフェスがその契約の証として魔王に仕えること。

 魔界に足を運び、魔王を鎮めてみせよ、と。


 わたしから聖女を奪ってくれるな、とジャスリー王子は涙ながらに訴えましたが、魔王の使者は聞き入れませんでした。

 そんなジャスリー王子を押し留め、聖女シュルヴィアフェスは一歩前に踏み出ると、静かに頷きました。

 魔王の申し出に応じる決意を固めたのです。


「聖女シュルヴィアフェスが生きている間は、我々は人間の世界には関与しないことを約束しよう」


 聖女は、魔王の使者と共に、青い空の向こうへ――魔界へと、消えていきました。

 こうして、この世界は聖女の尊い犠牲によって守られたのです。




   ◆ ◆ ◆




「ルヴィ……!」


 魔界にやって来た聖女シュルヴィアフェスの姿をみとめると、魔王はその金色の目を輝かせ、一目散に駆け寄ってきた。


「会いたかった……!」

「ふん!」


 しかし、聖女シュルヴィアフェスの拳がゴン!と魔王の脳天に命中する。


 抱きつこうとした魔王は自分の頭を押さえ「うぐぅ……」と呻き声を漏らしながらその場に蹲った。

 そしてチロリとルヴィを見上げると、

「ルヴィ……何をするのだ」

と恨めし気にぼやく。


 なお、『ルヴィ』とは聖女シュルヴィアフェスの愛称であり、魔王を始めとする魔の者たちはみな彼女をこう呼んでいる。


 鼻息を漏らしたルヴィは、両手を腰に当て、身を乗り出して魔王をジロリと睨みつけた。


「何をするのだ、じゃない。人間の半数近くが死滅するほど暴れまわってどうする! この世界を滅ぼす気か!」


 実は、聖域を巡り魔獣達と会っていた聖女シュルヴィアフェスは、魔王の配下であるはずの魔獣達に懇願されていた。


 魔王が拗ねてしまって我々の言葉に耳を貸さない。どうか魔界に来て魔王の暴虐を止めてくれ、と。

 人間の粛正は必要だったが、我々はこの世界を滅ぼす気は無い。しかし我々は魔王の命令には逆らえないのだ、と。


「……だって」


 魔王が涙目になり、イジイジと自分の両手の指をつき合わせている。


「だって、何?」

「ルヴィ、アイツのところに行ってしまった」


 実は、魔獣フィッサマイヤの手引きにより早々にルヴィと会っていた魔王は、かねてから彼女に恋い焦がれていた。

 足繫く通い、拙い言葉でルヴィを口説いていたのだが、ジャスリー王子の汚い罠にかかりルヴィは結界の外に連れ出され、寝取られてしまったのだ。


 王子はともかく自分の子供は大事だったルヴィは、人間の未来を守るために表に出ることにした。

 そうして魔王の下へやってきて、鉄拳制裁を加えたのである。


「仕方ないでしょ。あたしはともかくあたしの子は魔界の結界の中にはいられない。王子の元へ行くしかなかったんだから」

「……ひどい」

「ひどいのは魔王の蹂躙っぷりよ」

「でも、避けた」

「……」


 魔王はルヴィを奪ったジャスリー王子を憎んでいた。しかし、そのジャスリー王子がいるワイズ王国――特に王宮付近には、一切危害を加えなかった。

 なぜなら、そこには王子の子を孕んだルヴィが匿われていたから。


 王子は憎い。けれどどうしてもルヴィのことが忘れられなかった魔王は、ルヴィを危険な目に遭わせることだけはできなかったのである。


 そのことに気づいた配下の魔獣たちは、ルヴィなら魔王を止められるだろう、とずっと彼女を説得し続けていたのだった。

 そうして彼らの説得に折れ、ルヴィは魔界にやってきたのである。


「わかってるよ。あたしのことを気遣ってくれたんだよね」

「ルヴィ……!」

「けど、ちょっと待ったー!」


 抱きついてこようとした魔王の顔を、ルビの左手がグニィと捻じ曲げる。


「まずは、とっとと魔獣に命令して! 地上から引き揚げろって!」

「……わかった」

 

 コクンと素直に頷いた魔王は、その場で魔獣達に命令――人間たちの棲む世界から魔獣たちが一斉に消えた。

 そして各地に残った魔物にも、人間に必要以上に存在を脅かされない限りは手を出させない、と魔王は誓った。


「これでよし、と」


 一件落着、とばかりに頷くルヴィの背後で、魔獣達は


『ルヴィ、ありがとう!』『助かった……』『ああ、尊いー!』


と口々に礼を言い、その逞しい後ろ姿に手を合わせたのだった。



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王子と聖女、密かに魔王。 加瀬優妃 @kaseyou

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