シーン16-1 逆転

 優希と『鬼』の戦いは、次第に優希が押し込まれつつあった。


『これなら……!』

「き……か……ね……え……な……!」


 優希が渾身の力を込めて『鬼』の向こう脛に放った回し蹴りは、しかし『鬼』に効いている様子はなく、それを見て取ると追撃を受ける前に距離を取る。

 戦闘が始まってから十数分あまりが過ぎ、その間優希は何度となく『鬼』に仕掛けていき、様々な体の部位に攻撃を当ててみたが、どの攻撃もダメージを与えるまでには至らずに終わっている。『鬼』の巨体、ひいてはその巨体を覆う分厚い筋肉の前では、優希の強化された肉体をもってしても直接的な打撃では効果が無いようだった。

 『鬼』は物足りなそうに顎を掻きつつ優希を見下ろす。


「ど……う……し……た……あ……お……い……!」

『……中々ご期待に添えられていないみたいだね……』

「ぶ……き……な……ら……あ……る……だ……ろ……」


 そう言って教室に散乱する机や椅子、そして砕けたそれらの破片を指で指し示す『鬼』に対し、優希は静かに首を振る。


『止めておくよ……東元』

「な……ん……だ……と……?」

『武器を使って勝てるなら、いじめられていた頃にとっくにやっていたさ』


 訝しげな『鬼』の問いに答えた優希は両腕を構え、両脚に力を込める。そんな姿を見た『鬼』は嘲るように言葉を投げつける。


「ば……か……が……!」

『馬鹿で結構! 僕はお前に勝って見せる。この身体だけで!』


 そう宣言した優希は間合いを調整するために二歩程度後退すると、右腕を回転させ始める。

 優希が何を仕掛けようとしているのか読めず、『鬼』は両腕を防御姿勢にしながらその場で様子を伺う。

 そして優希は回していた右腕を後ろに引いてから、回転させていた間に集中させていた力を解き放つように前へと突き出す。狙いは『鬼』の顎。


「!」


 何かが来ることを察知して『鬼』は咄嗟に顔を守ろうとするが間に合わず、不可視の衝撃が顔に直撃した。


 ガッ!


 鈍く短い音とともに『鬼』は初めて軽く体を仰け反らせたが、すぐに体勢を立て直して、優希の次の攻撃に備える。一方の優希は構えを解くなりすぐに大きく距離を取っている。

 実のところ、あの衝撃波を放つ技は見た目の動作からは想像できない程の力を消耗する。学校に来る前の怪物たちとの戦いで、この技を使った後の優希の動きが鈍いことにいずみが気が付いたのだ。


「さっきの技は使いどころを間違えると危険だな、怪物相手だからまだいいが、こちらの行動の意味を考えられるような相手に無闇に放って良い技じゃない。……気を付けろよ優希」


 ひと通り怪物が片付いた後で、優希に変身の解除を勧めつついずみはそう戒めていた。勿論、いずみが想定していた相手とは北栄のことである。

 その技を今『鬼』相手に使って見せたのには、いくつか意味がある。

 ひとつは単純に状況を打開するためである。普通の打撃をいくら放っても効果がない以上、一枚しか持っていない切り札を切ってでも『鬼』に一撃を決める必要があった。

 もうひとつはけん制である。ただ単に殴る蹴るだけでなく距離を取っても攻撃できると分かれば、そうそう簡単には動けない。よしんば連発できないことを見抜かれても、それが相手にとって致命傷になり得る技であるならばそれをまだ放てるかどうかと考えさせるだけでも価値があった。

 最後は、こちらが優希の本音であったが、戦闘を決めるか決めるための布石として活用する狙いである。顎を狙ったのも仮に完璧に決まれば相手の失神が狙えるからであり、そうでなくても大ダメージを与えられるようならば一気に間合いを詰めて連打で決着をつけるつもりでいた。

 しかし、『鬼』にダメージを与えて動きを止めたまでは良かったが、大ダメージというには少々物足らない結果に終わっている。『鬼』が何も言わずに防御姿勢を取っていることから考えて、けん制の役割は果たしたと言えるがそれも連発できないことが分かるまでの間だろう。

 そして、技が通用したとはいえ決定打にはなり得ないこともはっきりしたことで、優希にとって状況はむしろ悪化してしまっていた。

 この状況下で、優希に取れる選択肢は限られている。

 ひとつの選択肢はこのまま距離を取りつつ地道に衝撃波を当てていくやり方である。ただし、『鬼』が二度も三度も同じ攻撃を食らってくれるとは考えられず、またこちらの体力切れも心配しながら戦わなければならず、分の良い選択肢とは言い難い。

 あるいは開き直って肉弾戦を仕掛け続ける方法もある。これまでの攻撃が通用しなかったとはいえ、先程の衝撃波のように当て方次第でまだまだ挽回することは不可能ではないだろう。ただし、このやり方はどうやっても時間がかかる。なるべく急いでいずみのところに向かいたい優希からしたら、とても現実的ではない選択肢であった。

 優希が答えの出ない思考を続けている間に、それを動けないと解釈した『鬼』が防御姿勢を解いて優希に殴りかかろうとじりじり接近しつつあった。

 遠距離戦か、接近戦か……優希の思考は揺れていた。


(どうする……どうしたらいい……僕は……?)


 優希が迷いながらも決断を下そうとしたその時、不意に頭の中に浮かんだ言葉があった。やはり怪物の群れを倒した時にいずみから言われた言葉だ。


「優希……あの技だが、予備動作を無くして直に殴りかかることは出来ないか?」

『え……? 今はじめてやったことですから何とも言えないですけど……』

「いや、あの技はあの技で対多数用の切り札として使えばいいが、何と言うか……もう少し応用を利かせられないかと思ってな」

『うーん、出来ないことはないと思いますけど、一発勝負でやるのは結構怖いですね……』

「今さっき、その一発勝負で新技を決めた男が何を言ってるんだ、全く……」


 その提案に戸惑う優希を、いずみは仕方がない奴だ、とばかりに大声で笑っていた。

 その言葉を思い出した優希は自然とうつむき加減になっていた顔を上げる。そして思う。自分は生活でも戦いでもいずみに助けてもらってばかりだと。


(一生かかってでも、いずみ先生にはこの恩を返さないと、僕は自分を許せないだろうな……)


 その思いを背負って、優希は改めて両腕両脚に力を込める。

 その目の前には『鬼』がいる。

 その目に『鬼』を捉えた優希はそちらに向かって突っ込む。『鬼』もそれを予期していたのか、先手を取ろうと右腕を振り上げ優希に向かって叩きつける。

 しかし、優希も右腕を振り上げてその攻撃を弾き返す。


「な……に……!」


 『鬼』ははっきりと驚愕した声を上げる。ここまでの戦いの中で『鬼』の攻撃に対して、優希は全て両腕で受け止めていて、片腕だけで弾き返されたことは初めてだった。

 嫌な予感を感じた『鬼』は慌てて左腕で身を守りつつ後退をかけようとするが巨体であるがゆえに動きは鈍重で、すぐに優希に追い付かれる。

 優希はガードが間に合わない右の脇腹に向けて、一瞬『力』を込めた左の拳を裏拳気味に放ち、体に当たるその瞬間に込めた『力』を解き放つ。

 優希が込めた『力』はごくごく弱い。あの衝撃波を放つときに使う力の二分の一も使っていない。しかし、それを受けた『鬼』は一歩ほどよろめいた。


「ぐ……が……!」


 はっきりと苦悶を顔に出した『鬼』は腕をめちゃくちゃに振り回しつつはっきりと距離を取った。優希も深追いせずに一度間合いを測る。


 優希は『鬼』に語り掛ける。


『まだいくよな……東元?』

「あ……お……いぃ……!」

『急がなきゃいけないけど……今だけはこの戦いだけに集中する! そしてお前を倒すぞ、東元!』

「……の……ぞ……む……と……こ……ろ……だ……!」


 体勢を立て直した『鬼』が吠えるように告げ、それを確認した優希は全身に『力』を漲らせて再び『鬼』へと突進していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る