シーン12-2 使者

 用意された靴を履いて外に出ると、外の瑞々しい空気が体を包み、その感触に東元の心はつかの間の安らぎを感じた。少し空気はひんやりとしている。

 だが、その時東元は外の様子に違和感を感じた。

 今が何時なのかは分からないが人の気配がなさすぎる。まるで自分たち以外の人間が世界からいなくなってしまったかのように。

 東元の訝しげな視線に気が付いたのか、前を行く北栄が後ろを振り向かずに語り掛ける。


「人がいないのを気にしているようだな?」

「……はい」

「なに、大したことではない。……新しい世界を築く上で余分な人間を始末しているだけだ」


 北栄は事も無げにそう言い放つ。その表情を後ろにいる東元はうかがうことは出来ないが、恐らくは淡々とした顔をしているのであろうと考える。北栄という男はそういう人間であることを東元は痛いほど理解していた。


「さて、さっさと行くぞ東元。お前の相手も動き出しているはずだ。こちらの到着が遅れてしまっては大変なのでな」

「……わかりました」


 その言葉に素直にうなずく東元。今の状況が気にならない訳でもなかったが、北栄の意向に逆らったところでどうにもならない。だから、大人しく従うのが最善であると東元は考えている。

 今は、まだ。



 優希の家では身支度を整えた二人が最後の確認をしていた。

 優希は制服ではなくやや大きめのグレーのパーカーと黒のTシャツにジーンズ、いずみはネイビー調のチュニックに白のスキニーという格好である。優希は念のために二回分の着替えをリュックの中に用意していた。


「優希、準備は出来たな?」

「大丈夫です……!」


 いずみの言葉に優希はうなずき、部屋にあったテレビに目をやる。

 そこには臨時ニュースとして、今の八束市の状況が映し出されていた。

 得体の知れない怪物たちが街中を闊歩している様子が見える。時間は不明だが昨日の夜遅くから今朝の明け方にかけて、街中に怪物が溢れだしたのだという。

 あまりにも急な出来事に行政側も対応し切れず、事情を知らずに外に出てしまった市民が多数犠牲になっているらしい。警察でも怪物に太刀打ちできず、自衛隊の派遣を要請中であるということだった。

 優希はテレビを消すと、厳しい表情でいずみに向き直る。


「でも、どうしましょうか? 街中にいる全ての怪物を相手にするのは無理ですよ」

「そうだな……お前ひとりで全ての怪物を倒すことは不可能だが、これ以上の被害の拡大を防ぐことならやれないことはない。ひとまず街の要所にいる怪物を地道に駆除するところから始めてみよう」


 そのいずみの言葉に小さくうなずく優希。街中にいると思われる怪物はかなりの数に上ると考えられ、いずみの立てたプランでも正直かなり厳しい戦いになるだろうと思われるが、何もしないよりはマシである。


「でも、何で突然怪物がこんなに現れたんでしょうか? 今までは一体の怪物が夜遅い時間帯に出ていただけなのに」

「……私が思うに、今までが例外なだけだったような気がするな。お前を変えてしまったウィルスは感染力は高くないが症状の進行は早い。感染が広がる条件が揃いさえすればいつ感染爆発が起こっても不思議ではなかった」

「……でも、それは少し変じゃないですか。そうだとしたら、今までの怪物を変異させていた大元は何なのか、って話になると思いますけど」


 優希の疑問にいずみもうなずいてから考え込む。優希の言う通り、どう考えても自然発生したとは考えにくいウィルスが、夜にタイミングを合わせるかのように生物を変異させていたとは到底思えない。

 となると、やはり何らかの意図を持った存在が無理やり生物にウィルスを投与するなどして変異を起こさせたと考えるしかないのかも知れないが、そんなことの出来る存在とは一体何なのだろうか? 以前にも同じことを考えていたような気はしているが、その時も結局答えは出せずじまいだった。

 いずみは首を左右に振る。今は答えの出ない問題に頭を悩ませている時ではない。優希にともかく外に出ようと促そうとしたその直前に、何故か呼び鈴が鳴り響いた。

 突然の呼び鈴に優希といずみは顔を見合わせる。


「……誰だろう、こんなタイミングで……」

「優希、ドアの外に何人居るのかわかるか?」

「……一人ですね、それは間違いないです」

「……最初に私が出よう。お前はひとまず待機していてくれ」


 そう言っていずみは自らすすんで玄関へと向かった。どうにも嫌な胸騒ぎがする。

 二度目の呼び鈴をドアの外の相手が鳴らしたところで、いずみはドアチェーンをかけてから慎重にドアを少し開ける。

 そこにいたのはいずみの良く知っている人物だった。


「外野……だと……! 何故お前がここに!」

「……」


 製薬会社に所属するいずみの知人、外野人志そとのひとしは口を半分だけ開いた不気味な表情でその場に突っ立っていた。

 目は虚ろで、普段はいずみを見ただけで目の色を変えるお調子者の面影は微塵もない。否、そもそもいずみは優希のことを一度たりとも外野に話した記憶はない。外野がこの場所を知るはずなどないのだ。

 そこまでを素早く考えたいずみはドアを閉めようとした。あれは自分の知る外野ではないと本能が訴えている。

 だが、外野はドアの隙間に手を差し込むと、いずみのドアノブを引く力を上回る勢いでドアを開こうとしてくる。尋常な力ではない。

 結局外野の力に抗いきれずチェーンが裂けて強引にドアがこじ開けられ、いずみはその反動で玄関の外にのけぞって転んでしまう。


「きゃあっ!」

「いずみ先生!」


 玄関の騒ぎを聞いた優希が飛び出してきて、玄関先に突っ立っている不気味な男を見て少し怯んだ後、すぐに転んでいるいずみの下へ駆け寄る。


「誰だ?」

「現れたか歩生優希。今は元の姿に戻っているようだが、変異の自律制御は可能になったのか? それとも時間経過で戻っているだけか?」

「優希、気を付けろ! ……その男は普通じゃない!」


 優希の問いかけに答えず、不気味な雰囲気を漂わせながら言葉を口から吐き出すように語る外野を見て、いずみは優希に注意を促す。

 すると外野は、いずみを見下ろしながら嘲るような口調で言う。


「長らくご苦労だったな、座間いずみ。貴様のおかげで私の計画は大幅に短縮することが出来た。まさか唯一生まれた『抵抗者レジスタント』を貴様に奪われるとは思わなかったが、結果が全てだ」

「一体何を言っているんだ? お前は誰なんだ?」


 優希は同じ質問を繰り返した。それを聞いた外野は体を震わせる。


「今回のところはこの俗物の体を少々借りているだけでな。私の本体は今頃八束高校に向かっているはずだ。歩生優希、お前が新たな一歩を踏み出すに相応しい舞台を整えるためにな」

「言っていることがさっぱり理解できないけど……」

「……その相応しい舞台とやらを整えるためか? この街中の騒ぎは?」


 男の言っている言葉の意味が分からず優希は戸惑った声を上げるが、いずみは言葉に惑わされることなく、要点を質す。


「そんなところだ。この街は私にとっては良い実験場であったが、『抵抗者レジスタント』の肉体が完成した以上、もう用はないのでな。『進化に行き詰ったものデッドエンド』どもに捧げてやろうと思ったまでのことだ」


 外野は何でもないことのように淡々と話し、それを聞いた優希は人が死んでいることを何とも感じていなさそうな男の言葉に怒りを露わにする。


「たくさんの人が犠牲になっているのに、そんな言い草……!」

「おやおや、もはや人ではないお前がそんなことを言うのかね、歩生優希?」


 外野は意外そうに唇をゆがめて優希を挑発してくる。


「僕は……、人間だ!」

「認めろ歩生優希。お前がどう言おうがお前の体は既に人間ではない。『進化のらせん』に選ばれた、新たな生命体なのだ!」

「誰がそんなこと……!」


 外野の言葉にヒートアップする優希をいずみが押し止める。


「優希、挑発に乗るんじゃない! ……色々と初めて聞く単語が多いが、一つだけはっきりさせておこう。……貴様の本体とやらは誰の姿をしているんだ?」

「え……?」

「中々冷静だな、座間いずみ。貴様は質問の仕方を知っているようだ」


 いずみの質問に何かを納得したように外野はうなずき、意味が飲み込めない優希はいずみの顔を見つめて言葉の続きを待った。


「今居るこいつ……私の知り合いの姿をしてはいるがそれはどうでもいいとして、こいつは多分本体によって必要な質問にだけ答えるように条件付けされた、一種のロボットのようなものなんだろう」

「じゃあ、誰だ? って問いかけても何も言わなかったのは?」

「質問に対する最初から答えを持っていない……答えようがないだけだ」

「その通り」


 その解説を全て聞いた外野……の姿を借りた何者かは、それを肯定する。

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