シーン11-5 運命
その日の夜、いずみは再び優希の家に泊まり込み、優希にもしもの事が起きた時の為に備えていた。
幸いにして、日中の間は変身は起きなかった。その間にいずみは親類に不幸があり、葬儀を手伝うためとしてあと二日だけ休みを確保し、製薬会社の男とも話をつけ明後日にとりあえず三回分を用意してもらう約束を交わしている。
ちなみにレジステアの交換条件は男とのデートだった。そのことを考えるだけでうんざりとなるいずみだったが、まだ金銭や体の要求をしてこないだけ軽い話だろうと無理やり自分を納得させている。
一方、万が一に備えてとはいえ一日を家の中で過ごした優希はかなり退屈しており、それもあってか夕食は自分に作らせてほしいといずみに志願した。
「いいのか? 別に何か頼んでもいいんだぞ」
「いえ、そんなにおごられてばかりでは悪いですし……出来れば先生にも味わってほしい料理があるから……今夜は作らせてもらえませんか?」
少し照れながらも自分の考えを伝えてくれた優希の思いを無駄にするほど、いずみは駄目な教師ではない。快く承諾して材料の買い出しに出でいる。
優希の作りたかった料理というのは餃子だった。かなり得意にしているらしく、いずみが買ってきた材料を刻む手つきも慣れたものである。
刻んだ野菜とひき肉を混ぜて味付けをし、出来た具材を皮に包む段になって、優希はいずみに一緒にやりましょうと声をかける。だが、いずみは何故か怯えたような表情で首を横に振った。
「いや、その……あれだ。私は手先が不器用だからな。手伝わない方が……!」
「大丈夫ですよ。形が崩れてしまってもフォローしますから」
いずみは懸命に断ろうとしたが、ニコニコと明るい笑顔で迫ってくる優希の圧力が物凄く、結局いずみも包むのを手伝うことになった。
実のところ、いずみは手先が不器用なだけでなく料理全般を苦手としている。流石にものを焼いたり茹でたりするくらいは出来るのだが、それ以上のことは全くこなせない。包丁で何かを切るのすら尻込みしてしまうほどだ。
恐る恐るといった感じで具材包みに挑んだいずみだったが、案の定具材の量の調節が上手くできず、何とか調節が出来ても優希と比べて明らかに包み方がいびつだったりと散々な有様で、すっかりくたびれ果ててしまった。
優希の方はそんないずみを見ても呆れたり馬鹿にしたりすることも無く、常に笑顔でいずみのミスを修正しきれいに餃子を仕上げてくれた。
楽しげに台所で餃子を焼いている優希を見ていると、ちょうど一日前に異形の姿に変身し蜘蛛の怪物と戦っていた少年と同一人物だとはいずみにはとても思えなかった。
(神がいるのだとしたら……どれだけ過酷な運命を歩生に強いているのだろうか?)
いずみはふとそんなことを思う。試練というにはあまりにも過酷過ぎると、神に訴えかけたい気分であった。
やがて作った餃子が焼き上がり、二人は小さなテーブルに向かい合って夕食をとる。
優希の作った餃子は美味しかった。いずみが見た限り優希は隠し味など全く仕込んでいないはずなのだが、基本となる塩こしょう以外の何かを使っているのかと錯覚するほどまろやかな味付けで、つい夢中になって食べてしまう。
「美味しいですか? そんなに美味しそうに食べてもらえると僕も作った甲斐がありました」
「こら、あまり女性の食事する姿をまじまじと見るんじゃない。……それにしてもお前の餃子は絶品だな歩生。どこで習ったんだ?」
何気なく発した質問だったが、その瞬間優希の笑顔がわずかに曇る。
「……この味は母さんの直伝なんです。習った直後に事故が起こっちゃいましたけど……」
「……そうか、すまんな歩生」
「いえ、全然構わないです! ……あれからもう何年も経っていますし、何よりこの餃子を食べている時にしんみりしちゃうと母さんを心配させているような気になっちゃって……。皆でのんきに美味しい美味しいと言っている方が良いんですよ」
優希はそう言うが、当の優希の発言そのものが場の雰囲気を削いでいることに気が付いていない。しかし、二人きりの場でそれをわざわざ指摘するのも野暮である。
いずみは素知らぬ顔をしながら、静かに話題を変えた。
「そうそう、昨日の夜、お前は何であんな場所にいたんだ歩生? とっくに帰宅しているものだと思っていたんだが」
「え? あ、あれ……? そういえば、何しようとしてたんだっけ……?」
いずみの質問に優希は何か肝心なことを忘れている感覚に襲われる、昨日は色々なことがありすぎて、そもそも自分が何をしようとしていたのかがすっぽりと記憶から抜け落ちてしまっていた。
困惑する優希にいずみは困ったような微笑みを浮かべて席を立つと、自分のバッグから何かを取り出し、優希に手渡す。
「僕の財布……? あっ! そうだった……!」
そこで優希は自分が学校に財布を忘れてしまい、それを取りに行く途中であの怪物に出くわしたことをようやく思い出した。
「何で座間先生がこれを……?」
「保健室の落とし物だからな。私が送り届けてやるのが筋だと思ったまでだ。それに北栄の奴に任せたら今朝まで奴の手元だった可能性もある」
今となってはどっちが良かったのか分からないがな、といずみが言うと、優希も神妙な表情で考え込む。
「僕が財布を取りにいかないで、座間先生が北栄先生に財布を渡していれば昨日の出来事は起こらなかったのかな?」
「一応はそう言うことになるが、その場合見知らぬ誰かがあの蜘蛛の怪物の餌食になっていただろうな」
「それはそれで大変なことになりそうですけど……。僕が取りに行かずに、座間先生だけが僕の家に向かってたら……」
「私があの怪物の餌食になったわけだ。私は恐らくお前のようにはなれなかっただろうから、そこで死んで話は終わりだ」
二人は次々ともしもの場合を考えていく。
「でも、僕が財布を取りに出て先生が来なかったとしたら、蜘蛛の怪物を倒せてもその後で僕は助からずに、やっぱり死んでいたんじゃないかと思いますね。先生の話を聞いていると」
「そうなると、私たちがお互いに行動を起こしてそれぞれのところへ向かおうとしたのは結果的に正解だったということになる。勿論、全てが偶然の産物であったとしてもな」
「僕としては、もう二度とあんな目には遭いたくないですけどね」
「私もこりごりだ。今まで生きてきて、あんなに神経をすり減らしたのは初めてだったよ」
そこで二人は顔を見合わせて黙り込み、やがてどちらからでもなく大声で笑い始めた。
時間は現在へと戻り、真夜中の優希の家。
いずみがあの日のことを語るのを、優希もまた自分の記憶を遡りながら聞いていた。
「文字通り私たちにとっては運命の分岐点だったわけだな、あの日は」
『そうですね。あの日、僕が保健室に財布を忘れたその時に、全てが決まってしまった訳ですから』
いずみの言葉にうなずきながら優希は自分の手を改めて眺める。
紅に染まり、逞しく大きくなった手。あの日以来何度となくこうやって眺めてきた。
「後悔はしているか、優希?」
『後悔なんて何度しているか分からないですよ。何だったらついさっきまでしてたくらいなんですから。でも……』
優希はそこで若干その次を言うべきかどうか迷っていたが、すぐに軽くうなずいてはっきりといずみに語った。
『でも、僕はこの体になったことで色々なことを学べました。いじめから抜け出すことも出来ましたし、クラスの皆とも仲良くなれました。何より、いずみ先生とこんな風に話が出来るようにもなれました。後悔はたくさんありますけど、それはそれとして良いこともたくさんあったなって、今ならそう思えます』
いずみは優希の言葉に黙って耳を傾けていた。そして、優希の最後の言葉を聞くと穏やかな表情で微笑みを浮かべて言った。
「強くなったな、優希。その調子なら、この先何があったとしても力強く切り抜けることができるだろう……ただ、その前に元の姿を取り戻さなければな」
『はい!』
「あの時の私たちは、全てを運に任せるしかなかった。だが、今は違う。自分たちの手で自分たちの運命を切り拓くんだ……! さあ、変身の特訓を再開するぞ優希。可能ならば夜が明ける前に元の姿に戻れるようにするんだ」
『了解です、いずみ先生!』
優希は力強く返事をして大きくうなずき、それを見たいずみもまた大きくうなずいた。
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