シーン11-1 追想

 どうにか蜘蛛の怪物を倒した優希だったが、元々重傷を負わされていたところに急激な体の変化を起こした上、更に追い打ちをかけるように口元に重傷を負わされたため、体の頑強さとは別に体力が限界を超えてしまっていた。いずみが無事であることを確認した優希は意識が朦朧としてその場にばったりと倒れ込んでしまう。


「歩生! ……しっかりしろ、歩生!」


 優希が倒れたのを見て我に返ったいずみは慌てて側に駆け寄り具合を確認する。優希は意識を失ってはいるが呼吸そのものは安定していて、口元の怪我も凄まじい回復力を見せてゆっくりと塞がりつつあった。

 とりあえず命に別状がないらしいことを見て取っていずみは胸をなでおろしたが、これからが問題だった。こんなところに優希を放っておくわけにもいかないが、優希が目を覚ますまでここにいる訳にもいかない。何より今の優希の姿を誰かに見られてしまったら大事である。


「私が歩生の家まで運んでやるしかないか……」


 いずみはため息をつきながらそうつぶやく。元の姿ならともかく、今の優希は身長が180cm近い大柄な体格に変わっている。いずみは女性として考えるなら決して非力ではないが、今の優希を引きずって家まで運んでいくというのはあまり現実的なやり方とは言えなかった。しかし、そうしなければ誰かに必ず今の優希の姿をさらしてしまうことになり、その後でどうなるか分かったものではない。

 いずみの脳裏に気弱そうだが穏やかに微笑む、普段の優希の顔が思い浮かぶ。


(ええい、覚悟を決めろ座間いずみ! 生徒の一大事に体を張れなくてどうする……!)


 いずみは二、三度顔をぱしりと叩いて気合を入れると、思い切って優希の腕を肩にかけて担ぎ上げた。思った通りかなりの重量であったが全く動けないほどではない。

 いずみはボロボロになった優希のズボンのポケットから優希の家の鍵を取り出すと、そのまま優希の家へと歩き出した。今夜は元々優希の家を訪れるつもりであったので、家が分からないということはない。優希のカバンが現場に置き去りになってしまうが、貴重品は入っていないはずである。状況が落ち着いたら取りに戻ればいい。

 流石にずっと優希の巨体を引きずっていられるわけもなく、いずみは人目につかない場所を見つけては短く休憩を入れた。優希の方はかなり衰弱しているのか一向に目を覚まさなかったが、そのまま寝かせておいている。

 何もなければ二十分程度で着くはずの道のりを一時間半かけて歩き切り、いずみはどうにか優希の家に辿り着くと鍵を使ってドアを開き、優希をどうにか中に担ぎ込み、自分も中に入った。

 寝室のベッドに優希を運び込んだところで疲労が限界に達したいずみはその場にへたり込んだ。ぜえぜえと荒くなった息をどうにか整えつつ、ベッドの上で寝ている変わり果てた姿の優希を見つめる。

 紅く変色した皮膚、隆々と盛り上がった筋肉、著しく伸びた身長、そして、黄色く光る目。今日の夕方にいじめを受けて保健室にやって来た気弱な少年の面影は、どこにも見当たらなかった。


(……一体何があったというんだ、歩生優希……)


 いずみは心の中でそう呟いた。



 優希が目を覚ましたのは、真夜中のことである。

 目覚めて最初に優希がしたことは、自分の手足を確認することだった。そして、手も足も記憶が途切れる前と変わらず変化したままであるのを確認して暗澹たる気持ちに包まれる。


(あれは夢じゃなかったんだ……僕は一体……?)


 そこで何気なく姿見を見ようとして、優希は自分がいつの間にか家に戻ってきていることにようやく気が付く。


(あれ……確か学校に行く途中だったはずなのに……そうだ、座間先生は……?)


 周囲を見渡す優希。すると、寝室のテーブルに突っ伏して静かに寝息を立てているいずみを見つける。いずみは白い私服を脱いで優希の部屋にあった黒のTシャツとスウェットを身に着けていた。

 優希はひとまず寝ているいずみに声を掛けようとして、今度は自分の身に起きていた異変に気付く。

 声が出せない。否、口が開かない。


「……!」

(あ、あれ……口が、塞がって……!)


 必死に口を開こうとするが、全く開かない。口があったと思われる場所に手をやるとそこには小さな孔がいくつか空いているだけで、開閉が出来るような器官は全く失われていた。よくよく口の中の感触を探ってみると舌などの感覚も感じられなくなっている。

 優希がどうにか声を発しようともがいていると、その気配を察したのかいずみが目を覚ます。

 いずみは目を覚ますなり優希が混乱していることに気付き、冷静に声をかけた。


「ようやく目を覚ましたか歩生。……声が出せないんだろう?」

「……」

「私がお前をここに担ぎ込んでからしばらくして顔が変異を起こしはじめてな。私が何かをしようにも見る見るうちに口元が塞がっていってしまって、手の施しようがなかった……」


 話を聞いた優希は目の前が真っ暗になったような気がした。こんな姿に変わってしまったうえに声も出せなくなって、これから自分は一体どうすればいいのだろうか。優希は己の運命を呪わざるを得なかった。

 いずみは立ち上がると静かに優希のそばに立つ。


「歩生……お前の気持ちは理解できるがここは一度冷静になれ。一旦何が起きたか整理してみなければ、元に戻るものも戻れなくなる。……声を発することが出来なくても筆談でなら意思疎通が出来るだろう? とにかくまずは私に一体何が起きたのかを教えてくれ……」

「……」


 いずみの言葉に優希は力なくうなずくと、机からノートとペンを取り出すためにのろのろとした動きでベッドから起き上がった。

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