シーン10-2 相反
八束市の某所。
「ようやく元に戻って来たか……。お前にとっては望ましいことだな、東元」
「……」
どこかから戻ってきた北栄は大して興味の無さそうな声を東元にかけたが、東元は何も言わず虚ろな目を北栄に向ける。
北栄の帰りを待つ間、東元はずっと一人で活動を求める体の疼きと戦っていた。何度も外へ出ようと考え、その度に北栄の冷たい顔が思い浮かんできてそれを諦める。その繰り返しによって、昼間からずっと傷つけられ続けてきた東元の精神は追い詰められ、既に限界に達していた。
幸いなことに、レジステアは北栄の語った通りの効果を発揮して、東元の体は三十分ほど前から少しずつ元の姿を取り戻しつつあった。頭の角は体内へと飲み込まれていき、青い肌も元の体色を取り戻している。ただ、2mを超える高さにまで発達を遂げた巨体だけは、変化しすぎてしまったのか中々元の体格へと戻ろうとしない。
北栄はそんな東元をただ静かに見据えて考え込む。
「……流石にこれほど大きく体格が変化してしまうと、あの分量のレジステアでは完全な効果を発揮できないか……いや、それとも『あれ』の効果を強め過ぎたのか……? いずれにせよこの次を見据えた調整を図らねばなるまい」
ぶつぶつとよく分からないことを話す北栄を、東元は呆けた表情で見つめていた。良くは分からないが、あの薬をもってしても自分の体は完全には元へと戻らないらしい。
しかし、東元にはそれが悲しいのか嬉しいのか、もうよく分からなくなっていた。まるで夢の中にいるような現実味のない感覚に包まれ、ことの良し悪しが感じられなくなる。家に帰りたいとか元通りの生活に戻りたいというような現実への興味が薄れ、早く外に出たいというシンプルで単純な思いだけが東元の精神を支配しつつあった。
北栄はそんな東元の視線に気が付くと、見た者をぞくりとさせるような冷たい微笑みを見せて告げる。
「……外に出たいか東元? だがもう少し待て。まだお前の体は変化への同期を完了させていない。それが終わりさえすれば、お前を外へ出せるようにもなるだろう……安心しろ、お前の果たすべき役割を果たさせるまでは見捨てなどしない」
「……役割……?」
北栄の言葉に少しだけ引っかかるものを感じた東元は、力のない声で尋ねる。北栄の返事は期待していなかったが、そんな東元の思考を読んだのかそれまでと打って変わった情熱的な口調で北栄は言った。
「……お前は世界を拓くための礎だ。新たな世界を築く、そのために必要な存在なのだよ、東元」
「新しい……世界……?」
東元は北栄の言葉を痺れた頭で聞いていた。言っていることはよく分からないが、とにかく自分に何かを期待しているらしい。それを理解した東元の心はどこかで小さな安らぎを覚えていた。
「分かったのなら少し寝ていろ東元。眠った方がレジステアの効果も高まり、元に戻れる可能性も増すだろう」
「はい……」
北栄の言葉に東元は素直にうなずくと部屋に備え付けてあったソファにもたれかかり、まだ戻り切っていないその巨体を精一杯丸めて眠りについた。
それを見届けることなく北栄は部屋を出ている。その顔には嘲りの色が浮かんでいた。
「そうとも。お前は礎だ……新たな世界を築く『
家の廊下を歩いていたはずの北栄の姿は、その言葉とともに消えてしまった。
一方、優希の自宅では、いずみが側に立つ優希にアドバイスを送っていた。
「いいか優希、自分の元の姿をイメージしつつ体を動かすんだ。早すぎても遅すぎても良くはない。動かしながら呼吸を整え、意識を集中させろ」
『分かりました』
優希はうなずくとやや緊張しながら拳を握った右腕を真っ直ぐ天に突き上げ、左腕も拳を固めてこちらは腰の高さで突きの構えを取る。
『!』
一旦は天に突きあげた右腕を素早く左腕の高さへと振り下ろし、左右で同じ突きの構えを取らせる優希。
それを側で見ているいずみも真剣な面持ちをしている。
『!』
そこから優希はさらに動き、突きの構えにある両の拳を目の高さで突き合わせる。両の拳が突き合った鋭い音が響く。
『……!』
最後に優希は右腕を後ろに引き、左の拳を前へと勢い良く突き出しその姿勢で静止した。
しばらくの沈黙。少し経った後、優希が構えを解いて小さく開いた口から息を吐き出す。
『駄目かぁ……ちょっといい感じだったんだけど……』
「いや、いい感じがしたのなら上出来だ優希。元より一発で成功するような話でもないのだからな。体が慣れるまで何度でもやってみるしかない」
いずみはそう言って落ち込む優希を励ました。
二人が取り組んでいるのは優希の変身ポーズの研究だった。発案したいずみが言うには、一定の動作を行うことによって意識と体を引き締め、表層意識と無意識を一つにして、元の姿に戻るよう体の反応を呼び起こす……という理屈らしい。
「基本的には体というものは意思に従うものだ。その意思が体に届かないということは伝達方法に問題があるということになる。だから、意思の力で体を動かすことで体に意思の考えを伝えなければらん。そして、それには表層意識と無意識の思いをひとつにまとめ、確固たるイメージを築く必要がある」
『その意識のずれを直すためにも動きが必要になるんですか?』
一応はいずみの理屈を理解したものの、まだ納得がいかないというように優希は質問を投げかける。
「勿論だ。……お前にも経験があると思うが、人間何か一つのことだけに取り組もうとすると、意外なほど気が散って何も進まないということがままある。例えば静かな中で宿題を始めようとして、中々手が進まないと言った具合にな。だが、そこで例えばお気に入りの音楽を流すといったような、緊張した気持ちを適度に和らげるような要素を取り入れれば、また違った結果を出せるはずだ」
『……つまり表層の意識と無意識の間にクッションとなる要素が必要で、その役割を変身ポーズが果たしてくれる、という訳ですか?』
「その理解で正しい。体を動かすことは精神を安定させることにもつながる、というのは医学的にも認められている話だ。思えばあの日以来、お前の精神はずっと不安定な状態に置かれ続けていた……だからお前は変身を制御できず、また変身後に話せないという歪な状態で固定されていたのだろう。今こそ、その状態を是正して本来あるべき姿を取り戻す時だ」
いずみの言葉に優希はうなずく。あとは理屈を学ぶのではなく、実践でそれが正しいかどうかを確かめるだけである。
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