シーン9-1 謎解き

 いずみが優希の家を尋ねてくるのはあの日以来である。もっともあの日は状況が切羽詰まっていたこともあり、そんなことを気にしている余裕もなかったが。


「優希……どうしたんだ……寝てるわけでもあるまい……?」


 優希は一瞬だけいずみに今の姿を見せることに躊躇いを覚える。だが、いずみは優希にとって唯一自分の姿を堂々とさらすことのできる存在である。あるいはもう既にいずみもテレビを見て状況を知っているのかも知れないが、そうだとしたら余計に今後のことを相談しなければならない。

 優希はのろのろとした動きで玄関まで移動すると、静かにドアを開く。

 そこにはあの日のように白い服に身を包んだいずみが立っていた。手にはここに来る前にコンビニで買い物でもしてきたのか、重そうなマイバッグが握られている。

 いずみは疲れ切った顔に無理やり微笑みを浮かべていた。優希を心配させまいという心配りから来ていることなのだが、それを見た優希は自分のことも忘れて心配で胸が張り裂けそうになる。


「こんばんは、だ、優希。……随分とやつれた表情をしているな」


 そう言って空いている方の手で優希の胸板をポンと叩くいずみ。まだ変身が解けない今の優希からは表情など読み取れるはずもなく、恐らくは冗談で言っているのだろうがそれにしては随分鋭い所を突いてくる。


「まあ立ち話も何だ……済まないが中へ入れてくれ……今夜はお前と話がしたくてな……」

「……」


 断る理由はなく、優希はこっくりと頷いていずみを招き入れた。



 優希といずみは隣り合わせになりながらベッドを背もたれにして座っている。

 いずみは大量のお菓子やソフトドリンクを買い込んできていた。勿論、自分用のアルコールも忘れない。夜分に生徒の家に押しかけた挙句、家に上がり込んでアルコールをあおるなど不良教師もいいところではあったが、今日ばかりは酒の力を借りなければとてもやっていられないということなのだろう。疲労困憊といった様子のいずみを精一杯気遣いながら優希は思った。


「……そうか、飛田に変身途中の姿を見られ、そうかと思えば変身後の姿をテレビにも撮られ、挙句の果てに変身が解けなくなった……か」

「……」


 強めの缶チューハイを口に運びながらいずみは優希にうなずく。優希は声を出せないため、ノートを使った筆談でいずみと対話をしていた。ジュースも開けてはいるが口が開けないのでいずみに合わせているだけである。

 優希はノートに「理由は分かりますか?」と書き、それを見たいずみは少し首を傾げながら静かに語る.



「……おそらくは、肉体の適応がほぼ完了したからだろう。変身前と変身後で肉体の差異が消えて、元々の姿を維持している必要性が無くなったわけだ。……それがたまたま、最悪のタイミングで起きてしまった……というだけでな」

「……」


 優希は小さくうなずく。この話は以前にも聞いている。要するに、優希の体は完全に化物のそれと同じになってしまったということなのだろう。そのことへの悲しみはない。遅かれ早かれ自分の体はそういう道を辿る運命だったのだと、既に優希は諦めをつけている。

 次に優希は「もう元の姿には戻れないのでしょうか?」と書き、それを見たいずみは缶チューハイを一口飲み干した後、ゆっくりと首を横に振る。


「……元々の姿が必要無くなったとはいえ、今までその姿を維持するために必要だった情報はまだ体の中に残されているはずだ。体の奥底に沈んでしまったその情報をもう一度表へと引き上げることが出来るならば、元の姿を取り戻すことも不可能ではないはずだが……」


 いずみはそこで一度言葉を切り、変身した優希を見つめる。黄色く光る優希の目が瞬きするように明滅し、その意味を理解したいずみは改めて言葉を続ける。


「……今までその役割を果たしてきたのが恐らくレジステアだ。詳しい理屈は分からないが、レジステアは何らかの作用によって肉体の変異を抑え、姿を安定させてきたのだろう。……良く考えてみろ優希、お前の変身時間が長くなってきたのは私がレジステアを入手できなくなって以降の話だろう?」

「……」


 いずみの言葉に優希は頭の中の記憶を探る。最後にいずみが入手してきた曰く付きのレジステアを飲んだのが二週間前のことで、確かにそれ以降変身時間が少しずつ長くなり、肉体の適応も急な速度で進んでいった。

 優希が頭の中を整理していずみの顔を見つめるまで、若干の時間が必要だった。いずみも優希の顔を見返しながら真剣な顔で告げる。


「……だが、恐らくレジステアを使ったとしてもお前の体はもう元へは戻らないと私は思う。あの薬は元々不安定な体の状態を安定させるためのものであって、変身前の姿を維持するというような効能は副次的な効果に過ぎないのだろう。……もっとも、もうそのレジステアを手に入れる手段は失ってしまったがな……」

「……?」


 そう言って自嘲気味に笑ういずみに優希は強い不安を覚える。詳しいことは分からないが、何らかの良くないことがいずみの身に起きたのは確実だった。

 一体何が起きたのか……、とノートに書こうとした優希の肩にいずみは自分の体を寄せてくる。


「……!」

「……今日の昼頃、今までレジステアを融通してもらっていた男から連絡があった。必要な分のレジステアを用意できたから、急いで指定した場所に来て欲しい、とな」


 驚く優希を尻目にいずみは淡々と言葉を続ける。


「……私も焦っていたからな。それまで散々レジステアを出すのを渋っていた相手が突然モノを用意したからこっちに来い、などと虫の良い話を持ち出してきたのならば当然疑ってかかるべきだったのに、その余裕のなかった私はのこのこと相手の誘いに乗ってその場所へ行ってしまった……」


 何の感情も込めずに語るいずみの言葉に、優希は目を激しく明滅させる。いずみの身に一体何が起きたのかを悟ってしまったのだ。動揺する優希をなだめるかのように、いずみは自分の手を優希の手にそっと重ねる。


「……怒るな優希。私に全く非がない訳でもない。これまで散々奴には世話になってきた。本来まだ市販されてもいない薬を無理して手に入れてくれていたんだ。多少乱暴をされようと……お前が感じてきた苦痛に比べれば……こんなものは……」


(泣いている……先生が……?)


 いずみの目からいつしか涙があふれていた。舌がもつれ、言葉が続かない。そして自分の目に浮かんだ涙に気付き、乾いた笑いを浮かべる。


「はは……涙か。生徒の前では死んでも涙を流さないと、教員になることが決まったときから決めていたのにな……情けないな、私は……」

「……! ……!」


 弱々しい声で泣きながら言葉を紡ぐあやめの姿を見て、優希の心は怒りに震えていた。それはいずみを嬲ったであろう男に対してだけのものではない。一番優希が怒っているのは、ふがいない自分自身に対してだった。

 何をいじけているのだろうか。いずみがこんなにも優希のために、身を削る思いまでして動いてくれていたというのに、優希はたかだか自身の姿を見られたというだけで、うじうじと家に引きこもってばかりいたのだ。


(こんなことじゃ駄目だ! この間決めたばかりだろう……? 僕がしっかりしなきゃ……先生が壊れてしまう……!)


 優希は二週前のことを思いだす。悩めるいずみの姿に、自分が成長しなければと心に決めたことを。落ち込んでいる場合ではない。優希の体は変身しているがそれだけのことだ。怪我をしているわけでも弱っているわけでも無い。

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