シーン8ー1 発端

 街が夜の闇に包まれた頃。

 優希は自宅で変身した姿のまま憔悴していた。

 普段は力強く輝いている黄色の両目も弱々しく点滅しているだけである。

 あやめと別れてから優希は全速力で家へと急いだが体は途中で変身し切ってしまい、もはや人目を避けることも出来ないまま優希はたくさんの人が歩く道を駆け抜けざるを得なかった。容赦のない人々の視線が次々と優希に突き刺さっていく。

 更に悪いことに、特有の鋭敏な感覚は聞きたくもない人々の声を次々と拾っていき、それを聞いた優希の心は更に追い詰められていった。


 なにあれ……?

 ば、化け物……?

 警察呼んだ方が良くない……?

 こっちに来ないでよ……!


(やめて……やめてよ……僕を責めないでよ……やめてよ……!)


 優希はそのあまりにもおぞましい感覚に心の中で絶叫する。もし声が出せたのならば力の限り叫んだだろうし、涙が流せるのなら恥も外聞もなく泣き出していただろう。

 しかし、今の優希は声を出せないし涙も流せない。出来るのは黄色く光る目を音もなく明滅させることだけである。

 感情を発露させることもままならず、優希は襲い来る恐怖や絶望を全て自分の心の中だけで処理しなければならなかった。元々繊細で脆い所のあった優希の心はあっという間に追い詰められていき、やっとの思いで家に辿り着いたところでつい習慣から部屋のテレビをつけてしまうが、それが最悪の結果を導く。

 テレビの画面に変身した自分の姿が映し出されているのを見たとき、既にズタズタだった優希の理性は静かに崩壊していった。

 それ以降優希はベッドのそばに力なく座り込み、ぼんやりとつけっぱなしのテレビを眺めたまま全く動かなくなった。窓の外が夕焼けに染まり、やがて夜の帳が街に降りてきても、優希は呆けたようにその場を動かない。

 最初にあやめの目の前で変身し始めてから既に四時間以上が経過しているが、優希の変身は一向に解けはじめる兆しを見せなかった。

 もっとも、今の優希には変身が解けないことなどもうどうでもよいことだった。既にテレビで変身した自分の姿が映し出されてしまったのである。証拠を押さえられた以上、どう取り繕おうといつかその正体が自分であることがバレてしまうに違いない。その後、自分はもう二度と日常に戻れなくなって、人目を避けながら惨めに生き延びていくのだろう。

 いずみとも、あやめとも、やっと仲良くなれたクラスの皆とも、これでお別れになるのだろう。そう考えると、優希の心は切なさに張り裂けそうになる。


(あの日……あの時、あんな化物にさえ出会わなきゃ……出会わなきゃ!)


 全ての運命が定められてしまった『あの日』のことを、優希は絶望の中で思い起こす。



 長い連休を終えて最初の登校日のこと。

 優希は放課後に南井たちから校舎裏に呼び出され、財布の中身を出すように要求された。優希がそれを拒否すると南井たちは実力行使に及び、よってたかって優希のことを蹴り飛ばし踏みにじった。

 かなり危ういところであったが、あと少しというタイミングで部活帰りのあやめが仲裁に割って入り、それを潮時と判断した南井はあっさり優希を開放して阪西たちと足早にその場を離れていったのである。


「全く……いい男の子が何やってるの。歩生君も少しは強くならなきゃダメよ」


 あやめの態度は辛辣ではあったが、それでも優希を励まして一緒に保健室まで来てくれている。

 保健室ではいずみがテレビを見ながらくつろいでいたが、ボロボロな優希の顔を見て表情を曇らせた。


「歩生と飛田か……その様子だと休み明け早々連中にやられたみたいだな」

「……すいません、先生……いつもいつも」

「気にするな歩生。こういうことも私の仕事のうちだ」


 いずみは手慣れた様子で優希の怪我の具合を確認していく。


「……うん、骨には異常はなさそうだ。擦り傷の方も見た目は派手だが深くはないし、数日ほどすれば治るだろう」

「ありがとうございました、座間先生」

「礼などいらないが、歩生はもう少し強くなった方が良いな。教師として別に暴力を推奨するものじゃないが、南井たちがああいう行動に出てるのはお前が弱そうに見えている、ということもあるだろうしな」


 いずみはあやめと似たようなことを言い、それを聞いていたあやめは我が意を得たり、というように大きくうなずいた。


「ほら見なさい。座間先生も同じ意見じゃないの」

「うーん、でも今から強くなる努力って、一体何をすれば……」


 あやめの言葉に頭を抱える優希。優希自身も自分のひ弱さは十分自覚しており、中学時代は運動部に所属していたこともあったのだが、大して長続きもせずに辞める結果に終わっている。


「陸上部に入るのはどう? 私から部長に口添えしてあげるけど」

「止めておくよ。走るのはからっきしだし」

「別に陸上部は走るだけじゃないんだけど……」

「ははは……まあ、歩生の好きにさせてやれ飛田。嫌なことを強制させても長続きはしないだろうしな」


 諦めきれない、と言ったようにぶつぶつ文句を垂れているあやめに対し、いずみは苦笑いを浮かべて優希をかばい、それを聞いた優希は一安心といったように息を吐き出した。だが。


「しかしだ歩生。体を鍛えろというのも正しい意見だからな。別に陸上をしろとは言わんが、自分にできる範囲でいいから何かしら努力はしてみろ。養護教諭として言っておく」

「わかりました……」


 いずみにくぎを刺された優希はがっくりとうなだれ、それを見たあやめは笑いをこらえるのに必死であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る