シーン7-2 鬼

 北栄は東元が自分の手に握られた薬に視線を集中させていることに気付いていた。北栄の予想したとおりである。


(やはりな……さて、お前に資格があるのかどうか見せてもらおう、東元恭二……)


 心の中でそうつぶやきながら北栄はゆっくりと視線を東元の方に向ける。元より南井や阪西になど興味はない。北栄の狙いは東元だけである。

 北栄の視線に射竦められた東元は一瞬ピクリと大柄な体を震わせ、北栄はその様子を面白そうに眺めながら南井の脇をすり抜けて東元に歩み寄った。


「……! 北栄……先生……?」

「こいつが欲しいのだろう、東元?」

「それは……」


 北栄に自分の本心をズバリと指摘されて言い淀む東元。

 大柄な体格で変貌した優希にも引けを取らない見事な体をしている東元であったが、その内実は気弱で臆病な性格をしている。いじめのグループにも南井に半ば押し切られる形で加わったのであって、東元自身はいじめという行為を嫌っていた。だから優希をいじめる際も南井の命令が出るまでは自分から手を出さず、命令が出た時にも自分にできる範囲で手加減をして優希を見逃している。

 粗暴な阪西はそんな東元を『臆病者』と呼んで頭からバカにしており、南井は南井で体のいい捨て駒としてしか東元を見ていなかった。

 東元は二人からのそんな扱いにもこれまで黙って耐え続けてきたが、内心ではいつか二人のことを見返してやりたいという思いを燻らせ続けていたのだった。


 そんな心にざわつくものを抱えている中に現れたのが北栄である。

 南井や阪西の言う通り、常識で考えれば北栄の言っていることは悪い冗談にしか聞こえないだろう。しかし、逆に考えればそれなら北栄の薬を飲んでも何の問題もない、とも言える。

 もし結果として怪しい薬であったとしても、その時は自分が実験台になったということで二人も納得するであろうし、もし万が一にでもこの薬が北栄の言う通りのものであったとしたら……。

 その時は二人を出し抜いて、先に力を手に入れることが出来る。

 今の東元には、その考えはとても魅力的なものに感じられた。


(どうせ北栄の言っていることなんて出まかせに決まってる。なら……)


 心の中でそう結論付けた東元は黙って北栄の顔を見つめる。北栄の顔はそんな東元の決意を歓迎しているように見えた。


「よしよし、無口だが正直な奴だな。じゃあ、お前が最初にこの薬を飲んでみろ東元。……そいつは水なしで飲めるからな」

「おい、正気かよ東元……そんな怪しいのを」

「やめとけ阪西。せっかく東元が俺たちの為に毒見をしてくれるって言うんだからよ」


 阪西は一応仲間として東元に忠告を送るが、南井がそれを止める。南井も大体東元と同じようなことを考えていたが、計算高い南井は東元か阪西のどちらかに先に飲ませておいて、安全を確保してから自分も飲もうと画策しているのだ。

 東元にはそんな南井の考えがすぐに理解できた。


(見てろよ南井……力を手に入れたらお前なんか……!)


 東元は北栄から薬を受け取ると品定めをするようにじっと見つめる。見た目はやはりただの粉薬にしか見えない。危険などまるで感じることが出来なかった。


「どうした東元? 早く飲んでみろ」

「は、はい……北栄先生……?」


 北栄に促され、東元は恐る恐る薬の封を切って中身を口に運ぶ。その様子を南井と阪西は面白そうに、北栄は無表情でそれを見守った。

 東元は薬をあっさりと飲み下した。北栄の言っていた通り、粉薬だと言うのに口の中でべたつくことも無く、スッと喉を通り過ぎていく。あまりにすんなりと飲み込めてしまったことに、逆に不安を抱く東元。やはり自分は危険な薬を飲んでしまったのかと、すがるような目つきで北栄を見る。

 北栄は東元の視線の意味を理解して静かに頷いた。


「安心しろ東元、その薬はそういうものだ……効果が出るまで少し待て」

「……おい北栄、すぐに効果が出るんじゃないのかよ?」

「私はすぐに力が手に入ると言った覚えはない」


 北栄の言葉に引っかかるものを感じた南井が食ってかかるが、北栄はそんな南井を冷たくあしらう。


「言っただろう、その薬は資格あるものに力を与えると。東元にその資格があるのならば、遅かれ早かれ体から力が湧き出てくるはずだ」

「一体何なんだよ、その、資格って奴は?」

「……お前たちの低能な頭に言ったところで理解など出来るものか」

「何だと?」


 完全に人を見下したような北栄の言葉に血の気の多い阪西が食ってかかり、南井も北栄の背中を睨みつけたが、その時、薬を飲んだ東元の様子がおかしいことに気付く。

 東元の全身が小刻みに震えていた。顔は歪み、息は荒くなっている。


「お、おい、大丈夫か東元!」

「東元! ……北栄てめえ、東元に何しやがった?」

「……どうやら始まったようだな、変異が」


 怒りを露わにする南井と阪西を完全に無視して、北栄は笑う。その瞳には狂喜の色が宿っている。

 一方、東元は何かが全身を這いずり回っているような異様な感覚に支配されていた。その何かが動く度に体が震え、今までの自分が何か全く違うものに置き換えられていくような気がする。

 その異様な感覚に東元は吐き気を覚えた。その場に崩れ落ち、地面に四つん這いになりながら、体内からこみ上げてくるものをすべて吐き出していく。全てを吐き出してもまだ足りないとばかりに大口を開け、えずく東元。

 東元のその異様な姿に南井と阪西は北栄に怒ることも忘れて呆然と立ち尽くす。ただ、北栄だけがその様子を見て満足げな表情を浮かべている。


「そうだ東元。邪魔なものなど全て吐き出してしまえ! お前は今新たな階段を上ろうとしているのだからな!」

「な、なあ……何のことを言ってるんだよ、北栄……先生……」


 南井が震える声で北栄に聞いた。動揺のあまり、それまで呼び捨てだった北栄を先生と呼んでしまっている。


「……良く見ておくんだな南井。お前がこれから見るのは生物が『進化』する瞬間だ。東元恭二という存在が古い殻を破り新たな姿に生まれ変わるのだ……後戻りすることはできないがな……」

「え……?」

「ほうら、見てみろ二人とも。始まったぞ」


 北栄の狂喜に溢れた声に南井と阪西は呆然と東元のことを見つめている。

 少し目を離している間に元々大柄だった東元の体は更に大きくなっていた。身長は2mを超えているかもしれない。手足もちょっとした木の幹ほどの太さにまで膨らみ、着ていた制服が膨張に耐え切れずはじけ飛んでしまう。破れた服から覗かせている肌の色は不気味に青く変色している。

 そこでそれまで下を向いていた東元が顔を上げて三人の方を見上げる。

 その顔を見た南井と阪西は震えあがった。


「ひいっ……!」

「なるほど『鬼』か。それがお前の求めた力の形というわけだな、東元」」


 怯える二人をよそに何かに納得したようにつぶやく北栄。

 東元の額から一本の長くて太い角のようなものが生えていた。口元からは上下二対の牙が伸び、黒々とした髭が下あご全体を覆いつくしている。

 北栄の言う通り、その顔は完全に鬼の形相そのものだった。

 そこでようやく吐き気が収まったのか、変わり果てた東元が静かに立ち上がる。

 東元だったものはその場にいる目を青白く光らせて三人を静かに睥睨した。しばらくは何も言わずに黙って三人を見比べていたが、やがて阪西の方にゆっくりと歩み寄っていく。

 それを見た阪西はビクッと体を震わせた後、焦ったように声を上げる。


「……ひ、東元……その、あの、いや……わ、悪かったよ、さっきはマンガ破り捨てたりしてさ……今度小遣いが入ったら好きな奴をおごってやるからさ……な、な、仲良く……」


 しようぜ、と言いかけた言葉は途中で途切れてしまう。東元だったものがその巨大な腕を無造作に振るい、阪西を吹き飛ばしたのだ。吹き飛ばされた阪西は宙を舞って遠くの地面に叩きつけられ、それきりピクリとも動かなくなる。

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