シーン6-2 異変

 留守番の女性教師に挨拶をして優希は保健室を後にする。今日は急いでいずみに伝えないといけないような体の変化は起きていない。昨夜は昨夜で変身も起きずに過ごせていたのでレジステアが必要な事態にも陥ってはいない。いずみがどこに出かけていったのかは気にかかったが、そればかりは優希にもどうにもならないことだった。


(変なことに巻き込まれていないといいけど……いずみ先生……)


 優希はいずみの身を案じながら昇降口へと向かおうとするが、その時後ろから誰かが猛スピードで近付いてくるのに気が付いた。

 誰だろうか? と後ろを向いた瞬間、思い切り胸板を叩かれる。


「うわわっ!」

「ちょっとちょっと、気付くのが早すぎじゃない歩生君? 背中を叩くつもりだったのに……」


 八つ当たり気味にそう言うのはあやめだった。所属する陸上部の部活に出る途中なのか運動着姿である。ここまで走ってきたため、ポニーテールにまとめている長い髪が揺れていた。


「いきなり驚かせないでよ、飛田さん」

「嘘言いなさい。私が近づく寸前には気付いてて振り向いているじゃないの。……それにしても噂通りいい体してるのね、歩生君って。叩いたこっちの手の方が痛くなっちゃったわ」


 あやめは少しだけ大げさに手をさすりながらいたずらっぽく微笑む。女子というのは噂話に敏感に出来ているもので、最近の優希の急成長ぶりも女子の間で大きな話題として噂に上っていた。

 元々すごい美形とまではいかないまでも比較的整った顔立ちをしていた優希は、いじめの最中にあってもそれなりに女子の注目を集める存在であったが、背が高くなったのに合わせるように男らしく精悍な顔つきへと変貌を遂げた優希は、本人の与り知らぬところでより一層女子たちの注目を集めるようになっていたのだった。

 ただし、それだからと優希に告白をしようという女子は今のところ現れていない。勿論それには理由があり、あやめが優希に会いに来たのもそれを確かめるためであった。


「歩生君、今、身長いくつ? 180cmくらいあるような気がするんだけど」

「大体それくらいかな。お陰で制服を新しくしなきゃいけなくなっちゃったよ。出費が痛くて……」

「入学してから半年も経たずにその有様じゃそうもなるわね」


 あやめも女子としては背の高い方なのだが、今の優希と比べると大人と子供ほどの差がある。すっかり背の伸びた優希のことを見上げながら、あやめは一番聞きたい話を切りだす。


「ところでさ、歩生君……歩生君は座間先生と付き合ってるって噂が流れているんだけど、それって本当?」

「へっ……?」


 あやめの言葉に優希は驚いて足を止めた。その反応に何かあることを確信したあやめは素早く言葉を続ける。


「いや、そんなに深い意味はないんだけどね。歩生君、いじめが起きていた頃から保健室に頻繁に行っていたでしょ? 今日もこうやって保健室に行っていたみたいだし、もしかしたら座間先生と何かあるんじゃないか、ってね」

「……いや、特に何もないよ」

「……本当に?」

「うん……」


 優希は言葉少なに答える。これまではそんなことを気にも留めてこなかったが、言われてみれば他人の目からするとそういう風に見えているのかも知れなかった。

 覚えている限り、優希がいずみと抱き合っている姿を他人に目撃されたということはないはずだったが、そう思っているのは優希といずみだけで実際には誰かに見られている可能性もある。仮に運良く誰にも見られていないとしても、こういう噂が流れているからには今後も隠し通せるとも思えない。

 ともあれ問題は今である。疑わしそうな表情で見上げているあやめに何と言うべきか、優希は考えあぐねていた。

 一方、あやめの方は既に答えをある程度悟っている。あやめが思うに、優希は基本的に隠し事というのが出来ない性格なのだろう。言葉の内容を思えばもっと言い訳なり出まかせなり言っても良さそうなものなのだが、優希はそれすら出来ずにあやめの疑問にどう答えるべきか真剣に考えこんでしまっている。それだけでも、優希が座間先生と何らかの関係を持っているのは明らかだった。


(いくら何でも正直すぎやしないかしら? 折角こっちは色々とネタを仕込んできたってのに……)


 疑わしそうに優希の顔を見上げながらあやめは内心で溜息をつく。別に肩透かしを食らったわけでも無いが、こうも簡単にこちらの仕掛けたカマに引っかかった挙句、真剣に悩みこまれてしまっては仕掛けたあやめの方が罪悪感を感じてしまいそうだ。


(適当なところで切り上げようかな……? とりあえず噂が本当なのは確かみたいだし、そろそろ練習に行かなきゃ……)


 あやめはそう思い、依然として悩んだままの優希に「しょうがないわね……」と声を掛けようとして、はっと息を呑む。

 優希の目の奥、瞳の色が黄色く染まっていたのだ。


「あ、歩生君! ……歩生君!」

「……え? なに、飛田さん?」

「その、目が……黄色く……」

「……えっ! ……まさか……?」


 あやめにそう言われた優希は慌てて廊下の窓に目をやった。確かに目が黄色に染まっているのが窓ガラス越しでもはっきり分かる。

 それを確認した優希は焦りを隠すことなく胸に手を当てて、体の状態を伺う。優希が気付かないうちに、全身の至る所から活力があふれ出しそうになっていた。


 体が……変身してしまう!

 あやめのいる前で。学校の中で。皆に見られてしまう!


 そう思った瞬間、優希の顔から血の気が引いていく。自然と手や足がガタガタと震えだす。変身の反動などではなく、変身した自分の姿を見られてしまうかもしれない、恐怖から。

 あやめは突然の優希の変貌に怯え、戸惑っていた。優希の身に何かが起こっているのは確実だが、一体どうしたらいいのかが分からない。


「歩生君……とりあえず保健室に行った方が……」

「ごめん……飛田さん……家に……帰るよ……」

「すごく苦しそうじゃないの! そんな状態で帰れるわけ……」


 声を出すのにも必死らしい優希にあやめは思わず声を荒げる。どう見ても今の優希は普通ではない。そんな人物を黙って見送ることなどあやめには出来なかった。

 あやめは優希を引きずってでも保健室に連れて行こうと腕を掴み……その腕の感触に思わず手を引っ込めてしまう。

 ぐにゃりとした、普通の人間の腕ではあり得ない、嫌な感触。

 あやめは自分の手と震える優希の顔を交互に見比べる。自分は一体何を目にしているのだろうと考える。しかし、その答えは出てこない。

 優希はひどく悲し気な顔で手を引っ込めてしまったあやめを見つめる。しかし、優希にはもうどうすることも出来なかった。そうしている間にも変身はどんどん進んでいく。

 こうなったからには自分自身のためにも、それ以上にあやめのためにも、一刻も早くこの場を立ち去るより他に選択肢はない。


「ご……め……ん……」


 それだけをやっとの思いで声に出すと、優希は凄まじい速さでその場から姿を消した。ようやく手に入れたはずの穏やかな生活が、音を立てて崩れていくのを感じながら。


「歩生君……」


 その場に一人残されたあやめは、呆然と優希の名を呟きながら立ち尽くしていた。



 この一部始終を観察している男がいた。学校の屋上から、超人的な感覚を持つ優希にすら悟られることなく、はっきりと優希が変異していく様子を捉えていた。


「変異のサイクルがそろそろ頂点を迎えつつあるようだな。相変わらず変異の自律制御が出来ないようだが、肉体の方の同期は既に完成している。レジステアがなくとも、『行き詰まりデッドエンド』に達する危険性は皆無だろう」


 男はそう言うとくるりと背を向けた。


「想像以上だ。数々の『行き詰まりデッドエンド』を超えてついに到達した『抵抗者レジスタント』! ……絶対に逃がさん。必ず私が導いてやる。新たな頂きヘ……な」


 その言葉とともに男はその場から姿を消す。その直後、一人の女子生徒が教師を伴って屋上に現れた。

 女子生徒は誰もいない屋上を見回して首を傾げる。


「あれ?」

「おい、いないじゃないか、北栄先生」

「おっかしいなぁ、さっきまではいたはずなんだけど……。ひょっとして入れ違いかな?」

「全くもう……」


 ぶつぶつと文句を言いながら教師は女子生徒を連れて屋上から降りていく。

 二人が去った後、誰もいなくなったはずの屋上には冷たい笑みを浮かべた北栄が忽然と姿を現したことに気付いたものは、いない。

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