エピローグ

 フレッシェルの町にある『初心者の館』。

 その一室で、ジンジャーはいつものように働いていた。

 そこに、一人の『まよびと』――プレイヤーが現れた。猫獣人の女盗賊だ。


「いらっしゃい。おや、あんたは……」


 彼女の名はミルフィ。【燎原百火りょうげんひゃっか】というプレイヤーズクランの一員だ。


「こんにちは。コリンさん、いますか?」

「いや、いないよ」


 ジンジャーは首を振った。

 彼女の同僚であるコリンは、特別に休暇をもらっていた。彼が【燎原百火】のプレイヤー達に連れられてレイドボス戦に参加してから、彼を訪ねてくるプレイヤーの数が激増し、『初心者の館』が混乱状態に陥ったためだ。


「そうですか……。では、私はこれで」


 ミルフィは軽く頭を下げて、『初心者の館』を後にした。

 表に出ると、大柄なオーガの男――影拳えいけんが彼女を待っていた。

 彼は現れたミルフィに対して、通りの一方を指差した。


「先生、いたぜ。あっちだ」

「ホント?」


 ミルフィが影拳の指差した方向を見ると、数十人の人だかりがこちらに向かって駆けて来ていた。その集団を先頭で率いているのは、コリンだ。

 彼は走りながらも、ミルフィと影拳を見つけると、大声で叫ぶ。


「ちょっとおぉぉ、ミルフィ、影拳さん、これなんとかしてくださいよぉっっ!!!!」


 コリンはプレイヤーの集団に追われていた。


「……あー、なんだ、その、頑張れ」

「この人でなしいぃぃっっ!!!!」


 やる気のない返事をする影拳に対し、コリンが罵倒を浴びせながら走り去って行った。

 その後ろから、大量のプレイヤー達が彼を追い掛ける。


「コリン、待ってくれ! 俺達には君が必要なんだ!!」

「コリン氏〜、一緒にレイド行こうよっ!」

「先生、あなたが頼りなんです!! 【暗黒の祭祀場さいしじょう】に連れて行って下さい!」


 プレイヤー達が口々に叫ぶが、コリンは脇目も振らずに走る。


「だから、もう回復ポイントは使えないんですってっっ!!!!」


 コリンがいくら叫んでも、プレイヤー達は聞く耳を持たない様子だった。


 それを眺めていたミルフィは、プレイヤー達の中に有名な顔ぶれが混ざっていることに気がついた。


「あ、あのプレイヤー知ってる。【戦狂童子】のフェムトだ」

「ランキングの常連じゃねぇか。よく捕まらずに逃げられてるな」

「コリンさん、レイドボス独り占めして、めちゃくちゃレベル上がったんだよね〜」


 【暗黒の祭祀場】で黒屍王こくしおうクタニオスを単独撃破したコリンは大量の経験値を獲得した。今や彼のレベルは五十を越え、有象無象うぞうむぞうのNPCとは一線を画す実力者となっていた。


「……最後の最後で逃げだしたやつが言うセリフじゃねぇな」


 影拳にそう言われてミルフィは小さく舌を出したが、悪びれた様子はない。


「いや〜、それはウチらみんな同罪っしょ」

「……そうだな」


 影拳は苦い顔をした。

 自分たちの目算が甘かったために、コリンとクタニオスが一対一で相対する状況を作ってしまったのだ。回復ポイントがアンデッドに特効だったから良かったものの、コリンが死んでしまっていても何ら不思議はなかった。


「それに、コリンさんの情報を情報屋に売ったの、影拳でしょ?」

「ああ」


 ミルフィの言葉に影拳が頷いた。

 情報屋というのは、特定のクエストなどの攻略情報をプレイヤー相手に売買するプレイヤーのことだ。

 コリンと別れた後、影拳は情報屋に赴き、コリンや彼の保有するアーティファクトの情報を高額で売りつけた。


「元々、一回限りのチートのつもりだったからな。アーティファクトの持ち出しも禁止されたし。……あ、もちろん情報料はタブリスと分けたぜ」

「検証した私にも分け前をもらう権利があると思うんだけどなー」

「……お前ならそう言うと思ったよ」


 さすがは抜け目のないミルフィである。

 影拳は、情報屋からせしめたゴールドの一部を彼女に渡した。


 影拳から情報を買った情報屋は、自分たちの利益のために多くのプレイヤー達にその情報を売りさばいた。

 その結果、コリンとそのアーティファクトの情報はプレイヤーらに知れ渡り、【燎原百火】のレイド戦における快進撃が後押しとなって、プレイヤー間でのコリン争奪戦へと発展したのである。


「『迷い人』なんか、信じられるかあぁぁっっ!!!!」


 コリンの魂の叫びがフレッシェル中に響いた。



 『エザフォス・サーガ』の開発元であるエターニティ社にて。

 チーフディレクターの樫谷は、エンジニアのリーダーに詰め寄っていた。


「例の修正はまだできないのか?」


 それは、回復ポイントを発動するアーティファクトの使用条件に対する修正のことだ。

 エンジニアは、眉根を寄せながら回答する。


「アーティファクトの使用条件に場所があることを考慮してなかったので、DBスキーマの変更が必要です。クライアントアプリケーションにもパッチを配布する必要がありますし、少なくとも一週間はかかります」


 現実世界での一週間は、『エザフォス・サーガ』のゲーム内時間の四週間に相当する。

 つまり、コリンの受難の時はまだまだ続くということだ。


 樫谷は溜め息を吐いた。


「……仕方ないか」


 そこに、新米ディレクターの成瀬がやって来た。


「あ、樫谷さん、ここにいたんですね」

「成瀬か。どうかしたか?」


 成瀬は樫谷に一つの相談を持ちかけた。


「例のチョロリンのAIが『初心者の館』を離れたいと言っているそうです。どうしますか?」

「ナビゲーターのAIがそんな判断をすることなんてあるのか」


 NPCの行動を司るAIは、人間のように個々が人格を持っている。そのことは樫谷も当然知っているが、それが本来の役割を逸脱するような判断をしたことが意外だった。


「どういう理由だ?」


 樫谷が成瀬に訊ねる。

 その答えは、なんとも人間臭いものだった。


「レイド戦に参加して金も貯まったし、レベルも上がったから、フレッシェルから出たいって言ってます」

「なるほど」

「あ、一番の理由は、プレイヤーと関わりたくないからだそうです」

「そ、そうか……」


 そう聞いて、樫谷はなんとも言えない表情になった。

 彼は、よほどひどい目にあったらしいこのNPCに同情したい気持ちになった。


「まあ、『初心者の館』だし、館長のAIの判断に任せるとしよう」

「じゃあ、運営側としては許可しておきますね」

「ああ」


 それはそれとして、樫谷は成瀬のセリフの中で気になった点が一つあった。


「――ところで、チョロリンってのはなんだ?」


 そう聞かれて、成瀬は口角を上げた。


「プレイヤーが付けた渾名あだなですよ」



 フレッシェルから遠く離れたサザンランドの町、ピューロイ。

 この町ではまだクエストがほとんど実装されておらず、『迷い人』が訪れることは少ない。


 ある日、そこに一人のヒーラーのNPCが訪れた。

 彼はこの町の領主に直談判し、「薄給でも良いからお抱えの治療師として雇ってほしい」と自分を売り込んだ。

 NPCにしてはかなりレベルが高く、腕利きだったため、領主は喜んで彼を雇った。


 そのヒーラーは、口癖のようにこう言ったという。


「『迷い人』は信用するな。特に、女の『迷い人』は絶対に駄目だ」

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『初心者の館』で働くモブNPCなのに、レイドボスと戦うことになりました 卯月 幾哉 @uduki-ikuya

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