第五話 死闘・暗黒の巨人兵

「……そろそろ運営にも気づかれた頃かな」


 影拳えいけんがポツリとつぶやいた。


 彼らは今、ノーザンランドの北方に来ていた。高レベルのモンスターが徘徊するエリアだ。


 影拳率いる【燎原百火りょうげんひゃっか】のパーティーがコリンを連れてレイド戦を周回し始めて、ゲーム内時間で丸二日が過ぎていた。

 もちろん、全員が常にログインしているわけではない。現実世界でも半日以上が経過しているため、コリンを除くプレイヤーはそれぞれの都合でログアウトして休憩を取ったり、クランの他のメンバーと交代したりしている。


「……今度こそ、今度こそ本当に最後ですからね! 次が終わったら私は必ず帰りますよ!」


 この場にいる唯一のNPCであるコリンが必死な声を上げた。彼だけはこの二日間、休みなくレイド戦に付き合わされていた。


「わかったわかった」


 影拳は気だるげに手をひらひらと動かしながら答えた。


 その傍らに、長杖を抱えたエルフの女性プレイヤーが現れた。ヒーラーの甘露かんろだ。


「影拳よ。お主、本気で【暗黒の祭祀場さいしじょう】に挑む気か?」


 彼女が影拳に訊ねた。

 ノーザンランドの北端近くにある神殿から入ることができるそのレイドダンジョンは、『エザフォス・サーガ』において現時点で最高難度のダンジョンと言われている。これまで攻略に成功したことがあるのは、最強のクランである【ムーランルージュ】のパーティーだけだ。

 【暗黒の祭祀場】の推奨攻略レベルは非公開だが、推定では九十とされており、【燎原百火】にとっては格上のダンジョンだ。実際のところ、【燎原百火】の者たちは以前から何度かこのダンジョンに挑戦したことがあるが、ことごとく失敗していた。

 それがわかっていたから、甘露は疑問を呈した。


 これに対して、影拳は自信たっぷりな様子で頷いた。


「おうよ。なんたって、コリン先生がいるからな。この機を逃す手はねぇぜ」

「むぅ……」


 影拳の返答を聞いても、甘露の表情は晴れなかった。

 常に飄々ひょうひょうとしている彼女にしては珍しい態度だ。

 そのやりとりを見て、コリンはそこはかとない不安を感じた。


「だ、大丈夫なんですよね……?」


 近くにいたミルフィが肩を竦めて言う。


「ま、なんとかなるんじゃない。いざとなったら逃げればいいんだし」

「そ、そうですよね……」


 ミルフィの言葉は、表面上、コリンを安心させることができた。


 神殿の上空には、暗雲が立ち込めていた。



 【暗黒の祭祀場】は山型のダンジョンだ。

 挑戦者となるレイドのパーティーは、ぐるりと山を周回する幅広の道を登りながら、通常モンスターを倒して山頂を目指す。山頂こそが【暗黒の祭祀場】であり、そこに辿り着いた瞬間に儀式が完了し、ボスである黒屍王こくしおうクタニオスが召喚される。


 推定攻略レベル九十のダンジョンは、通常モンスターといえども容易な相手ではない。その数もこれまでコリンが見てきたどのレイドダンジョンよりも多かった。


「雑魚に時間を掛けてられるか。MPをケチるな! こっちには回復ポイントがあるんだ」


 影拳がアタッカーらに檄を飛ばす。

 確かに、コリンの回復ポイントがあるのだから、MPを温存する必要はない。【燎原百火】のプレイヤー達にとって、これは大きなアドバンテージと言えた。


 それでも、一行が山頂に到着するまでに一時間が掛かった。


 山頂は台地上になっており、四方を剣のようにそびえる高い柱に囲まれた舞台のような儀式場が広がっていた。


「なかなか壮観ね」


 と、ミルフィが感想を述べた。


「あぁ……ミルフィは初めてか。そろそろ出てくるぞ」


 と、影拳が言うや否や、儀式場で変化が始まった。

 四本の柱の内側に立った四人の黒魔術師が声を揃えて呪文を唱える。すると、儀式場の中心の上空に黒い亀裂が走った。亀裂は段々と大きくなり、やがて数十メートル規模のブラックホールになる。その穴から這い出るようにして、漆黒の巨人が姿を現す。これが黒屍王クタニオスだ。


『グオォォォッッ!!!!!!』


 クタニオスが儀式場に降り立ち、咆哮を放つと、四人の黒魔術師らはぼろぼろと黒い塵になって消えてしまった。

 そして、レイドボスとの戦いの幕が開ける。


「甘露!」

「ゴッドブレス!」


 影拳が叫ぶとほぼ同時に、甘露が聖属性の支援魔法をパーティー全体に掛けた。クタニオスはアンデッド系のモンスターに属するため、聖属性の攻撃が効果的だ。


 儀式場に降り立ったクタニオスは、深く腰を落とし、右手に持った大剣を大きく後ろに振りかぶった。


「先手必勝!」


 好機と判断したアタッカーの一人が攻撃を仕掛けようとする。


「バカたれ! 突っ走るでない!」


 甘露がたしなめたが、もう遅かった。


 次の瞬間、空間が斬り裂かれた。否、クタニオスが大剣で以って前方を斬り払ったのだ。


「う、うわあぁっっ!!」


 突出したアタッカーは即死し、前衛にいたタンクも大きなダメージを受けた。


「まだだ! 気を抜くな!!」


 影拳が吠えた。


 クタニオスの攻撃はまだ終わってはいなかった。黒い巨人は返す刃で逆向きの斬撃を放った。

 タンクの一人である防人さきもりのマサムネが攻撃を受け損ね、死亡した。

 アタッカーを蘇生させるための呪文を詠唱していた甘露は、対象をマサムネに変更した。クタニオスの攻撃をしのぐため、タンクを優先すべきと判断したのだ。

 淡白い光がマサムネを包み、彼は蘇生した。


 しかし、マサムネの蘇生が終わった後、甘露の足元に忽然こつぜんと青い魔法陣が現れた。そこから、漆黒の奔流が勢いよく立ち昇る。


「え……?」


 後衛から見ていたコリンが間の抜けた声を発した。眼前で展開する状況に対して、理解が追いついていなかった。


 黒の奔流が消えたとき、そこに甘露の姿は無かった。

 それは、クタニオスが放った即死魔法だった。


「さすがにやべぇな……」


 影拳は、冷たい何かが背筋を流れ落ちたように感じた。

 特にまずいのは、唯一の蘇生魔法の使い手だった甘露がやられたことだ。即ち、この先は死亡したプレイヤーを復活させることができない。

 この不利を補うため、影拳は一つの判断を下した。


「ガウェイン、上がってくれ! 攻撃を食い止めないとヤバい」

「承知した」


 それは、少しでも前衛のタンクを厚めにして、クタニオスの猛攻を凌ぐというものだ。ガウェインもパーティーの中では高レベルのタンクなので、前衛の方が真価を発揮できる。コリンとの約束を破る形にはなるが、それ以前に全滅してしまっては意味の無い約束だった。


「ミルフィ! 代わりにコリン先生についててやってくれ」

「あいよー」


 影拳は、ガウェインの代わりに、遊撃の役割を担っていたミルフィをコリンの護衛にあてがうことにした。


 それからは死闘が続いた。

 クタニオスに大技を打たせないため、アタッカー達はタンクと並んで最前線で牽制を行った。ガウェインを始め、タンク職の者たちはアタッカーに向かう攻撃を身をていしてかばった。みるみるHPが削られるタンク達を、数少ないヒーラー職の者たちが必死に回復する。

 暗黒の巨人兵は、そんな彼らを容赦なく攻め立てた。


「……ど、どうしてみなさん、こちらに戻って来ないんでしょうか?」


 後衛で回復ポイントを維持しながら、コリンがミルフィに訊ねた。これまでのレイドボス戦であれば、彼の元に入れ替わり立ち替わり傷を負ったプレイヤーがやってきていたのに、今回のクタニオスとの戦いでは、コリンとミルフィの所まで下がって来る者は皆無だった。


「その余裕が無いみたいね……」


 ミルフィの答えは正しく、前線で戦う者たちは、誰か一人でも欠けたら、たちまちパーティーが崩壊してしまうのではないかという危機感を感じていた。


 【燎原百火】パーティーが、甘露が死亡した後、メンバーの命を落とさずに戦い続けられたのは、わずか十分間だった。


「グフッ! ……すまない。私はこれまでのようだ」


 ヒーラーの回復が追いつかず、クタニオスの剣撃を受けきれずにガウェインが倒れた。


「……くっ。不覚」


 クタニオスの死角を取るように動いていたタブリスは、漆黒の奔流に飲み込まれてしまった。


 その後の十分で、前線で戦っていたほぼ全てのプレイヤーが死亡した。


 前線で最後まで残った影拳は、クタニオスの剣撃をかわし、一気に懐に飛び込んだ。

 

「ライジングインパクトォッ!!」


 そして、至近距離から強力な武技をヒットさせた。

 武技は完璧に決まったが、クタニオスに大した痛痒つうようを与えることはできなかった。


「やっぱ駄目か……」


 次の瞬間、振り下ろされた大剣が影拳の体を真っ二つに切り裂いた。


 あっという間に蹂躙じゅうりんされてしまった前衛の様子を見て、ミルフィは愕然とした。


「ウソ、みんなやられちゃったの?」


 蒼白な顔をしたコリンが、彼女の腕に手を添えながら、言う。


「ミルフィ、逃げましょう。勝ち目はありません」

「う、うん。そうね」


 そもそもこの状況で逃げられるのか、コリンには判断がつかなかったが、ミルフィに否やはなかった。


「……あ!」

「? どうしました?」


 ミルフィが唐突に、何かに気づいたかのような声を上げた。

 コリンがいぶかしげに訊ねると、彼女はどこか遠くを見つめるような顔を見せる。コリンにはよくわからないことだが、『迷い人』が遠く離れた『迷い人』と「フレンドチャット」なる機能でやりとりをするときに、このような表情をすることがあった。


「ミルフィ? どうしたんですか!?」


 コリンがミルフィの肩を掴んで揺する。


 ぼんやりとしていたミルフィの表情は、十秒ほど経ってから覚醒状態に戻ってきた。

 彼女は突然、コリンの前で両手を合わせて頭を下げた。


「ごめんなさい、コリンさん。今、リアルの方で緊急事態が起こっちゃって」

「……え?」


 コリンの目が点になった。

 ミルフィはまくし立てるように、矢継ぎ早に言葉を発する。


「本当に申し訳ないんだけど、すぐにログアウトするから」

「……え? 今?」


 動揺を隠せないコリンは、頭の回転も追いついていなかった。


「あとは、なんとか頑張ってね。幸運を祈るわ」


 ミルフィはコリンの返事を待つことなく、忽然と姿を消した。

 こうして、コリンはクタニオスのいる【暗黒の祭祀場】にたった一人で取り残されてしまった。


「えええええ〜〜〜〜〜っ!!!!」


 状況を理解したコリンは大声を上げたが、それに応える者は誰もいない。


 ズシン、と重い足音が響いた。

 そちらを見やれば、処刑人のごとき黒の巨人が悠然とコリンの方へ歩を進めていた。


「ひ、ひえぇっっ!!」


 コリンは震え上がった。


(……嘘だろ。僕一人じゃ、どうしようもないじゃないか……)


 コリンは絶体絶命の状況にあった。

 『エザフォス・サーガ』の世界では、NPCが死亡した場合、復活することはできない。死亡直後三十分以内であれば、蘇生魔法による蘇生が可能だが、そもそもこの場にはコリンしか残っていない。


「い、嫌だ。……来ないでくれっ!」


 コリンはクタニオスに向かって首と杖を左右に振ったが、それは何の意味も成さなかった。


 クタニオスの視線がコリンを捉えた。その瞬間、コリンは蛇に睨まれた蛙のように身が竦んでしまった。

 彼の本心としては、今すぐにでもクタニオスに背を向けて駆け出したかったが、それをした瞬間にばっさりと背中を斬られる自分自身の姿を想像してしまった。


 クタニオスは更に歩みを進め、コリンを大剣の間合いの内側に捉えた。

 黒の巨人は、悠然と剣を振りかぶった。

 その刹那、コリンは全身から血の気が引くのを感じた。


 コリンの脳裏に、これまでの人生の様々な出来事が走馬灯のように蘇ってきた。その最後に浮かんだのは、自分を見捨てた猫獣人の女盗賊だ。


(こんな所で死にたくないっ……!!)


「う、うわあぁぁっっ!!」


 コリンは破れかぶれに突進し、短杖型のアーティファクトを振った。

 クタニオスの足元に魔法陣が現れ、白い光の柱が立ち昇る。しかし、それはクタニオスの巨体に対して、あまりに細く頼りない光だった。


『グワアァァァッッッ!!!!!!』


 クタニオスがコリンを威嚇するかのような大音声を発した。


「ひいぃっ!! ごめんなさいっ!!」


 死を覚悟したコリンは、目を閉じて頭を両手で抱え込んだ。


 そのまま、数十秒が経った。


(――――…………あれ?)


 コリンはまだ生きていた。

 不思議に思ったコリンが恐る恐る目を開けると、そこでは白い炎を体に纏わせたクタニオスがのたうち回っていた。


 ……ズウゥゥン


 轟音と共にクタニオスが広い儀式場に横倒しになる。それでも白の炎は消えなかったが、やや勢いが弱まりつつあった。


「……も、もしかして、回復ポイントが?」


 そう。コリンの操る回復ポイントは、アンデッドのクタニオスに対して、非常に効果的な攻撃手段だった。


(そういえば、あの時も……)


 コリンは十日ほど前の出来事を思い出していた。それは、ミルフィに連れられて【メルヴィン王の霊廟跡地】に行ったときのことだ。たまたま、コリンが設置した回復ポイントに足を踏み入れたスケルトンが一瞬で浄化されて消滅したことがあった。

 クタニオスだけではない。回復ポイントはアンデッド系モンスター全般に対して有効な攻撃手段だった。


 コリンにとってそれは、闇夜に差した一筋の光明だった。

 この機会を逃す手はない。

 コリンは更にアーティファクトを振って、クタニオスに回復ポイントを使った。


「え、えいっ!」


『グオォォォッッ……!!!!』


 コリンが回復ポイントを発動させる度に、クタニオスがもがき苦しむ。その黒い巨体は徐々にぼろぼろと崩壊し始めていた。


 無我夢中でアーティファクトを振るうコリンは、それからどれだけの時間が過ぎたかわからなかった。


 しばらく経った後、クタニオスは断末魔の叫び声を上げながら、黒い塵となって吹き飛んで行った。


「や、やった!! やったぞ!!」


 コリンは、両手を天高く突き上げて快哉を叫んだ。

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