第四話 明日から仕事なんですが

「うおぉぉ! タイガーランペイジッ!!」


 裂帛れっぱくの気合とともに、影拳えいけんが武技を繰り出す。

 インスタンスダンジョン【蓬莱霊山ほうらいれいざん】のボスである九尾の狐が断末魔の悲鳴を上げた。

 巨大な狐が倒れるや否や、【燎原百火りょうげんひゃっか】のパーティー一同による盛大な歓声が山頂に響き渡った。


「……やっと、終わりましたね」


 後衛にいたコリンが疲れた声で言った。

 レイドによる推奨攻略レベルが七十であるこのダンジョンの攻略は、百戦錬磨の【燎原百火】にとっても一筋縄では行かないものだった。特に、九尾の狐との戦いは、ゲーム内時間で三時間にも及んだ。それほど長時間の戦闘を経験するのは、コリンにとって初めてのことだった。

 朝一番で【鋼毒竜こうどくりゅうの巣穴】を攻略してから、四つ目のレイド戦となるこの【蓬莱霊山】の攻略までに長い時間がかかっていた。さすがに、影拳やタブリスの表情にも疲労が見える。

 一同がインスタンスダンジョンを出てノーザンランドの平原に出ると、星空が広がっていた。

 コリンは激しい空腹を感じていた。他のパーティーメンバーもきっと同じだろう。夕食の時間はとっくに過ぎていた。


「では、今度こそ私は帰りますよ」


 コリンは宣言したが、その前に再び影拳が立ち塞がった。


「まあ待てよ、先生」

「ひっ……」


 大柄なオーガが目の前に立ったことで圧迫感を感じたコリンだったが、なんとか自分の意思を主張する。


「あ、明日からは仕事がありますから……さすがに、そろそろ帰らないといけません」


 するとそこに、やりとりを見ていたミルフィがゆったりとした足取りでやってきた。


「あれ、影拳? コリンさん、まだ解放してあげないの?」

「ミルフィ!」


 コリンはその言葉を聞いて、パッと顔を輝かせた。まるで、地獄で仏に会ったような様子だ。

 しかし、影拳ははっきりと首を左右に振る。


「いや、帰すのは駄目だ」

「なぜっ!?」


 理不尽を感じたコリンが叫んだ。

 影拳は額に手を当てながら理由を告げる。


「……今が稼ぎ時なんだ。一回帰しちまったら、次はアーティファクトを持ち出せるかわからないだろ」


 ――なるほど、とミルフィが手を打った。

 その理由を聞いて、コリンは後退あとずさりしながらも、反論してみせる。


「……か、館長には黙っておきますよ」


 だが、コリンの返答に対して、影拳は胡乱な目を見せた。


「悪いが、信用できないな。お前さん、いざってなったら誰かにゲロって、アーティファクトを持ち出せないようにしちまうんじゃないか?」

「うっ……」


 そう言われてしまうと、コリンには反論できなかった。確かに、館長に報告すれば、おそらくアーティファクトの持ち出しが禁止されるだろう。所有者登録しているとはいえ、コリンが肌身離さず持ち歩いて管理する必要はないのだ。

 そして、アーティファクトが持ち出せないならば、【燎原百火】にとって、コリンを連れ出すメリットはない。つまり、コリンが危険なレイド戦に付き合わされることはなくなるのだ。一度『初心者の館』に戻れば、彼は自分がその誘惑に抗うことはできないような気がした。


 それを理解したミルフィが無邪気な感想を述べる。


「……そっかぁ。たしかに、回復ポイントのないコリンさんなんて、お荷物以外の何物でもないもんね」

「ぐはぁっ!!」


 彼女の言葉はコリンの心中を容赦なく抉った。


(……ひ、ひでぇ……)


 影拳は胸中で同情しつつも、立場としてはミルフィと同じ側なので、コリンのフォローをすることはできなかった。


「ま、まぁ、そういうわけだ。……ともかく、今日のところは祝勝会と行こうぜ。報酬もたんまりもらったところだ」


 うずくまったコリンは影拳の言葉に反応することなく、何かに耐えるようにプルプルと震えていた。


 付近の町に移動する道すがら、ミルフィが影拳に懸念を呈した。


「でもさ、影拳。レイド戦続けるのはいいと思うんだけど、NPCを誘拐してるって見なされたらペナルティがあるかもよ?」


 影拳が「ん?」と片方の眉を吊り上げる。

 『エザフォス・サーガ』において、NPCを対象とした攻撃などの犯罪行為は、街中であればただちに衛兵に通知され、制裁が行われる。拉致もこれに該当するが、NPCが同意を示していれば問題はなく、制裁対象となるかどうかの境界線はあいまいなことがある。

 数百万以上のユーザーを抱えるゲームであるから、中には邪な考えを持つ者や、軽い悪戯心いたずらごころでNPCを害する者もいる。それによって制裁を受けた事例については、影拳もミルフィも知識を持っていた。


「……確かにな。よし、クランの誰かにフレッシェルに行かせよう」


 影拳はそう判断した。


「やっぱり僕、誘拐されてたんですかね……」


 と、コリンがひとごとのようにつぶやいた。


「衛兵が来ていないってことは、先生は自分の意思でここにいるってことだ」


 影拳が鷹揚に答えた。


「まあ、でも、職場や家族への連絡は必要だよな」


 影拳はインベントリからレターセットを取り出した。『エザフォス・サーガ』の世界で一般に流通しているものだ。影拳は【亡き恋人からの手紙を待つアンゼルマ】というクエストでこれが必要になったことがあり、そのときに購入した余りを所持していた。


「というわけで、晩メシの前に手紙を書いてくれ。『私は自分の意思で【燎原百火】と行動を共にしています』ってな」


 影拳はコリンの手紙を仲間に持たせ、フレッシェルの町へ届けに行かせようと考えた。フレッシェルはコリンが住む町であり、彼が勤める『初心者の館』のある場所でもある。そうしておけば、家族や同僚を介して衛兵が呼び出されるリスクを排除できる、と考えたのだ。


 コリンは深々と溜め息を吐きながら、便箋を受け取った。



 都内某所にある、エターニティ社のビルにて。


樫谷かしやさん』


 樫谷のパソコンのチャットウィンドウにメッセージが表示される。発信者は成瀬。新米のディレクターだ。

 またロクでもない相談か、と樫谷は思った。


『「初心者の館」のコリンってNPCが行方不明になってるそうです。プレイヤーの掲示板で話題になってます』

『座標検索システムで調べろ』


 樫谷は即座に返信した。『エザフォス・サーガ』に登場するキャラクターは、PCかNPCかの区分に関わらず、運営側の座標検索システムで現在位置を特定することができる。


 樫谷は、爆発的にヒットしたVRMMORPG『エザフォス・サーガ』のチーフディレクターを務めている。ゲーム運営の現場総監督の立場であり、日々発生する大小様々なトラブルの解決もその職務の一つだ。もちろん、ユーザーからの問合せなどに対してはカスタマーサービスの部署で対応が行われるが、トラブルの芽を早期に摘むために、スタッフと協力して普段から情報収集を欠かさないようにしている。


『調べました。【暗黒の祭祀場さいしじょう】にいます。最高難度のレイドの一つですね』

『【暗黒の祭祀場】だと……? 「初心者の館」の雑魚NPCがなんでそんなところにいる? 自殺行為だろう』

『なんででしょうね? 【燎原百火】ってプレイヤーのパーティーと一緒にいるようです』

『プレイヤーが連れ出した……?』


 樫谷はしばらく思案した。

 『初心者の館』のコリン。プレイヤーの間では、比較的知名度の高いNPCのはずだ。行方不明になって騒ぎになっていることからも、それは明らかだ。彼は、チュートリアルとして回復ポイントの使い方をプレイヤーに教える役割を担っている。しかし、回復ポイントはもはや希少な存在となったため、どちらかといえば、コリンの役割はその希少な回復ポイントをプレイヤーに提供することになっていた。


(コリンを連れ出して何のメリットがあるんだ? それほどの愛着でもあるのか?)


 このとき樫谷は、回復ポイントは位置が固定された地形効果の一種だと誤認しており、コリンだけを連れ出すメリットがすぐに思いつかなかった。

 しかし、樫谷は話題になっている掲示板の内容をチェックすることで、その誤認に気づいた。

 そこには次のような投稿が並んでいた。


『コリン先生いないから、回復ポイント使えないってよ』

『マジかよ。わざわざフレッシェルまで戻ってきたのに』

『コリン氏、臨時休暇らしいぞ。身内に不幸でもあったのかな』

『救済措置ないのかよ。運営、仕事しろ』


(回復ポイントも消えているだと……? ――そうか。アーティファクトが必要なのか)


 自らの誤認に気づいた樫谷は仕様データベースを洗い直し、回復ポイントがアーティファクトによって発動する特殊なスキルであることを理解した。


(アーティファクトの使用条件はどうなってるんだ? ……使用者登録が必要だが、それだけか……)


 樫谷は、なぜ【燎原百火】のメンバーがコリンを連れ出したかを正確に理解した。


『仕様の穴を突かれたか……』

『何かわかったんですか?』


 樫谷の言葉に対して、成瀬が質問した。


『ああ。確かに、コリンを連れて行けば、戦闘が楽になる。一種のチートだな』

『……それはまずいですね』

『そうだな。至急、エンジニアと会議を入れてくれ。対策を決めたい』

『わかりました』


 成瀬とのチャットを終えると、樫谷は両手を頭の後ろで組んで、背もたれに寄りかかった。


(すぐに対策が打てるといいんだが)


 樫谷はなんとなく、嫌な予感がしていた。

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