第22話 役者は揃った

「やめてくれ! こんな状況を私たちは求めていない!」


「ならば、僕たちに協力するかい?」


「そ、そんなことは……!」


 加奈は言葉に詰まった。守護士として戦う以上、協会の命令に背くのは社会的な死も同然の選択だったためだ。


「拒むのなら君たちはこのままサイバーアーツを解放し続け、発狂して死ぬだろう。よく考えるといいさ」


「くっ……!」


 加奈は修司たちの要求を呑むか否かで心が揺らいでいた。本部からの命令を貫けばここで殉職するが、生存を選べば今後の立場が危うくなる。


 拒めば拒むほど守護士の二人はサイバーアーツによる解放を止められず、生殺しの状態が続いた後に命を落とすだろう。他意による解放ほど苦痛となるものはない。


「ううっ……ぐあああっ……!」


 隣では巧一朗が声にならない悲痛な叫び声を上げ始めている。


 加奈は理性をギリギリのところで抑えられているものの、それがあと数十秒と持たない。


 加奈たちは最初から修司たちの掌の上で踊らされており、罠と気づいた時には既に追い詰められていた。


 残された時間は少ない。何か方法はあるはずだ、と、加奈は薄らいできた意識の中で必死に思考を張り巡らせた。


「よく手懐けられているな。さすがは守護士の手練れと言ったところか」


 修司はイエスと首を縦に振らない加奈たちに苛立ちを覚えるどころか、寧ろサディスティックな快感に身を委ねているようだった。


 加奈の視界の中には、嘲るように笑う彼の姿が映った。


「そう簡単に……受け入れるわけにはいかないのでな……」


 このまま本部の意思を通せば加奈と巧一朗は名を残して存在が消える。電妖体と思わしきものと交戦し、名誉の死を遂げた守護士として。


「そんな君たちに一つ譲歩しよう。ここから話す内容は我々だけの秘密となる。それは約束しよう」


「だから何だというのだ……?」


 加奈は拒み続けた。協会に忠誠を誓い続けて果てていくのだ。巧一朗を救えない悔いは残るものの、彼らにとって最良の選択を取れたとするならばこのまま受け入れてしまおう。そう決心した瞬間だった。


「——君たちが現想界の蕎麦屋にいた理由を知りたくないか?」


 加奈の思考の天秤が大きく傾いた。


「なにっ!?」


 三人が出会った夢の話は口外されていない。加奈も巧一朗も修司との面識はなく、ましてや麻依もおそらくは彼と出会う環境には身を置いていない――そう認識するしかなかった。


「どうする? 遂行できない任務だと割り切って僕たちの話を聞く気はないかね?」


「断ります! 俺たちは……!」


 巧一朗は苦痛と苦心に喘ぎ、修司たちに向けて声を絞り出すのが精いっぱいだった。


 加奈は再考した。今の戦力で戦うには限界がある。素直に敵か味方かもわからない男たちの指示に従うほかない。そして何より、自分たちが見た夢の話の謎を心から解きたかった。不意にも、心を突き動かされた。


「——わかった。お前たちの頼みを聞こう」


「石本さん!?」


 巧一朗は罠だと睨んで加奈の選択を変えようと叫んだが、朧が右手を伸ばすジェスチャーをした途端に彼の希望は潰えた。


 拘束されていた二人の守護士がサイバーアーツの呪いから解放され、埃だらけの床に倒れ込んだ。


「そんな……俺たちが屈するなんて……」


 永遠の苦痛から逃れられたと同時に、巧一朗は落胆の色を隠せなかった。


「すまない、巧一朗。君を失いたくなかった……」


 加奈はサイバーアーツによる過負荷で命を落とす瀬戸際まで追いつめられており、最終的に修司の言葉を受け入れるしかなかった。


 すべてが終わった、そう守護士の二人は受け取っていた。しかし、修司は意外にも二人に対して手を差し伸べた。


 加奈が修司たちを感じ取る中で、敵意のような攻撃的な意思は感じられない。寧ろ真逆に位置する温厚さを今は見せており、あまりの意思の落差に面食らった。


「手荒な真似をしてしまい申し訳なかった。二人とも立てるか?」


 巧一朗は修司に、加奈は朧の手を借りて立ち上がり、服にまとわりついた埃を払った。守護士の二人は今もなお混乱を続けている。


「ごめんなさい。守護士サイディアンの武装を解除させるにはこれしか方法がなかったんです。平静でなくなるあなたたちを止めるためでもありました」


 今の今まで加奈たちを拘束していた朧も表情が穏やかになり、守護士の考えを汲み取るように詫びた。


「あんたら、一体何者なんすか……?」


 巧一朗がそう本音を漏らすのも無理はなかった。守護士の中でも実力者の部類に入る彼ですら歯が立たなかったのだから、加奈も同様にこの状況を受け入れるのには時間を要するだろう。


「お前たち……いや、二人は守護士でも電妖体でもないのか?」


 巧一朗より先に冷静さを取り戻した加奈の問いに、修司と朧はただ頷いた。


「その通りだ。半分は人間だがね」


「あなた方がおっしゃっている通りの定義づけでは難しいと思います」


 曖昧な境界線を敷く二人に対し、巧一朗は動揺を隠せないままでいた。


「あ、ありえないっすよ! 現想界と現実世界の間を無傷でやり過ごせるのは人体実験に同意した守護士か相当な進化を遂げた電妖体しかいないはずです! 人間ならとっくに強烈な幻覚に巻き込まれてまともな状態ではいられません!」


「落ち着け、巧一朗。私だってこの事実をそう簡単には受け入れられない」


「でも、こんなことって……こんなことって……!」


 暴れ馬のように焦り続ける巧一朗を加奈が抑えていた。


「どんな事象にも例外はあり得る。彼らのように、な」


 加奈や巧一朗にとって未だ発言されていない事実に到達することは時間の問題であり、同時に絶望感が津波のように一気に押し寄せてきた。守護士すら手が出ない、脅威としてみなされるだろう二人の存在を前にして、どのように思考を回転させなければならないか、渦巻く二人の心は不明であり不安定になっていた。


「修司様、彼女がこちらへ来ます。お二人とも、今少しだけお待ちください」


 朧がそう告げると修司は自信の腕に巻いていた腕時計を見やり、笑みを浮かべた。


「予定通りだな。これで役者が揃う」


 ビルの階段を駆け上がる足音が聴こえ、真っ先に加奈たちの方向へ彼女はやってきた。


「加奈さん! 巧一朗さん! 大丈夫ですか!?」


 息を切らしながら駆け込んだ麻依は、二人の守護士が無事だと見るや否や安堵の表情を浮かべた。


「麻依……!?」「麻依ちゃん……?」


 加奈にとって本部が手の空いた守護士を派遣する可能性は低くなかったが、ここに来て麻依に要請させたのは想定外の選択だった。確かに経験値は高いが、若さゆえにリスク管理が難しいはずだ、そう加奈は捉えていた。


「久しぶりだな。会えて嬉しいよ」


 声に反応した麻依は修司の顔を見て目をしばたたかせ、そのまま黒目を点にして身体を硬直させた。


「お父、さん……!?」

 

 驚きを隠せなかったのは麻依自身だけではない。加奈と巧一朗にも雷が落とされたかのような衝撃が脳に撃ち込まれた。

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