第40話 長い夢と意外な客
アンジェラは夜明け前に目を覚ました。
しばらく自分がどこにいるのか分からなくなるほど、長い長い夢を見ていた。
コンラッドと二人で雲の絨毯のようなものに乗り、色々な世界を駆け抜ける。やがて辿り着いたのは、古代の中国に似ているような世界だった。
その世界に生きていたアンジェラは輝くように美しく、そのせいで一人の男に付きまとわれていた。鏡がなかったせいだろうか。アンジェラは自分の美しさを知らなかったし、気にかけることもなかった。望むことは病弱な両親を助け、医師として人の役に立つこと、それだけだった。
「私の妻になれば、望むものはすべて思いのままだぞ」
傲慢な物言いをする男は、残虐な目をした時の権力者だ。
身分などはるかに違うアンジェラに執着しなくとも、美しい女など選び放題だし、事実後宮というのだろうか。彼にはべる美姫は数知れないという。
アンジェラは望み通りに生きているからと相手にしなかったが、男はアンジェラが血まみれになったけが人の治療をすることや、出産の手伝いをすることに嫌悪を表して、なんとしてでもやめさせようとありとあらゆる妨害をした。
それが原因でアンジェラは、元々病弱だった両親を次々と失った。
守るべき家族を失ったアンジェラを、男は婚礼のための赤い壁が印象的な神殿のような場所に無理やり連れだした。抵抗するアンジェラが誤って男の腕を切ってしまうと、それが男の逆鱗に触れる。腕には何かの入れ墨のような印があり、偶然手にした石か何かの鋭い部分をそこをかすめたのだ。
アンジェラは男に髪を掴まれたまま神殿の奥深くに引きずられ、深い穴に突き落とされた。アンジェラはそこで、男から未来永劫の呪いをかけられたのだ。
何度も記憶を持ったまま生まれ、苦しみながら、そのときのアンジェラと同じ年を待たず、愛を知らぬまま死ぬように。気まぐれに親愛を得た場合、その愛の分だけ絶望の淵に落とされるように。
その後場面が代わる。覚えていなかった人生とアンジェラが覚えている三つ分の人生をジェットコースターのような勢いで辿っていった。アンジェラが死を迎えるたびに、彼がぎゅっと抱きしめ、それを見せないようにしてくれる。
かつての自分の死はすでに終わっていること。なのに客観的に見てしまえば改めて心を蝕みそうになる。忘却の闇に逃げたくなる。
苦しくて苦しくて、それでもただ彼の存在だけは忘れたくないと必死にコンラッドの熱を心に刻みつけた。
コンラッドが好き。どんな姿でも、どんな名前でも関係ない。
求婚を受け入れたのはこの人を愛しているから。たとえ受けた愛の分まで絶望するとしても、わたくしはこの人と生きたい! 生きたい!
そのとき、一筋の光がアンジェラに小さな希望を贈った。
どこから来たかもわからない淡い光は、「あなたを真に愛する男と結ばれた時、この呪いが解ける」と早口で唱えてくれた。
声かどうかも分からない。どんな存在の祈りかもわからない。
それはあまりにも微かで頼りない、それでもなぜか唯一の救いだと分かる――。
やがて今のアンジェラの生が見えてきた。
◆
眠っていると思っていたコンラッドがアンジェラの髪を指ですき、「夢を見た」と呟いた。
驚いて見上げると、アンジェラを抱き寄せたコンラッドがいくつか夢の話をする。それは確かにアンジェラが見たものと同じで、さらに続きがあった。
仮装パーティーでキスをして、アンジェラの呪いに綻びが出来ていた。
洞窟でのキスで、さらにひびが入った。
アンジェラが感じていたことを、目覚めの前に微かに見えたものを、コンラッドは夢の中ではっきり見てきたという。
「今夜ようやく、貴女の呪いが解けたんだ」
その意味に気付いて真っ赤になったアンジェラは、両手で顔を覆った。
コンラッドは幸せそうにくすっと笑いをこぼし、アンジェラの髪をかき上げて額にキスしたあと、ゆっくりとその手を外した。彼の目には満足そうに輝き、アンジェラは恥ずかしくなって目をそらしたいような、じっと見つめていたいような不思議な気持ちになる。
「もし、私が熱で見た
少し悔しそうにつぶやくコンラッドの声に、アンジェラは優しく微笑んだ。
「いいえ。すべて必要なことでしたわ。あの時のわたくしは偽りの姿だったんですもの。呪いが解けていたとしてもたぶん、ずっと貴方の愛を信じ切れなくて苦しんだと思うの」
(だから今でよかったの)
アンジェラは少しだけためらった後、決死の覚悟で彼の唇に触れるか触れないか程度のキスをする。
コンラッドは一瞬驚いたように目を瞬かせた後幸せそうに笑った。
まもなく夜が明ける――。
◆
朝食の後、アンジェラがエドガーと今後の話をしようとしていたところ、誰かが館をノックするので驚いた。
(防御壁の中に他の人間は入ってこれないはず)
警戒しながらみんなで玄関ホールに向かいシドニーが
アンジェラは驚いてコンラッドと顔を見合わせる。
セシルは、この世界に生きていたアンジェラにリンが付けてくれた名前だ。伝説に残る聖女の名前は
アンジェラはシドニーを下げ、
「わたくしが出ます。合図をするまで、決して手を出さないでください」
と言い含め、念のため薄い防御膜を張ってからドアを開けた。
「セシル!」
嬉しそうな声とともに、それはぼさぼさの長い髪をなびかせながらアンジェラに飛びついてくる。すかさずアンジェラがその手をひねり上げて体を地面に押し付けると、コンラッド、エドガー、シドニーがその人物に剣を向けた。思いのほか、背が高く少年というよりは青年のように見えた。
「ひ、ひどいよ、セシル。せっかくぼくが会いに来たのに」
「おまえは誰だ」
コンラッドの低い脅すような声に、情けない声を出した人物が一瞬目を向け、無邪気なほど不思議そうな顔をした後、アンジェラの顔と見比べてぱあっと顔を輝かせる。その後エドガーが見えたらしく、「やあ、ゴルドの子孫くんじゃないか」と言ったので、エドガーが無表情のまま片眉を上げた。
(この目の色、この髪、この耳……)
「みんな、剣をしまっていいわ。誰だかわかりました」
アンジェラがため息をつき、皆が剣をしまった後で押さえていた手をはなすと、それは胡坐をかいて楽しそうな顔をした。
「やあ、セシル。会いたかったよ」
「ええ、わたくしも会えて嬉しいわ、マリオン」
名前を呼ぶとマリオンは、それはそれは嬉しそうににっこりと笑った。
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