第27話 叶うなら

「たしかに、こんな非日常で言うことではないかもしれませんね」

 どこか面白そうな、コンラッドのゆったりした声に腹が立つ。アンジェラは頭の中にまで心臓の音がガンガン鳴り響いているというのに。


「コンラッド、性格変わってませんか?」


 昨日から振り回されっぱなしなのが悔しい。けれど彼には結婚経験もあって、ほかにもたくさん恋愛経験があると考えれば、そんな経験皆無のアンジェラなど赤子同然の存在なのかもしれない。


 おまけに彼を学生時代から知っているせいか、一緒にいるとなぜか、自分が間もなく四十歳になる女ではなくまだ十代のような気持ちになってしまう。それが新鮮でもあり、不安でもあり、ふわふわソワソワと落ち着かなかった。


「変わったというか、今必死なだけです。私の言葉に頬を染めてくれる貴女が可愛くて、頑張る甲斐はあるなと思ってますけれど」

「かっ⁉」

 甘やかな視線に脳みそが溶けてしまう気がした。まともに考えられないのはきっとそのせいだ。

「――だってね、アンジェラ。あとでとか、こうしたらなんて計画を立てるたびに、私は貴女に逃げられてきたんですよ?」

「別に逃げたことなんて……」

 だいたい自分が誰かに求婚されるなんて、夢にも思わなかったのだし。


「ええ。でも今回、無事帰れたら求婚しようなんて考えたら、――また貴女は消えてしまうと思った」

 何かに気づいたように目を見開き、低くなったコンラッドの声に硬直する。一瞬にして体の中が冷えた。


 アンジェラは一日でも早くコンラッドたちを元の世界に帰そうと考えていた。でもそこに自分は入っていなかったし、入れるつもりもなかった。そのことに気づかれてしまったのかと思った。

 気づかれたところで彼には関係のないことなのに。


「アンジェラは自分を嫁き遅れオールドミスだと言いましたけど」

「はい」

 確かに昨日ポロッとバラしてしまった。時には未亡人のふりをすることだってあったのに、動揺しすぎて口が滑った。

「それはなぜ? 貴女なら縁談は降るように来たでしょう」

 何か怖がっているような固い彼の表情に苦笑した。婚約者がいたかという問いに首を振り、スミレが早くに夫を亡くしたのは嘘だろうと言うコンラッドに首肯する。

 いまさら嘘をつく意味もない。


「そうですね。わたくしがドランベルの当主であるということで、寄ってきた男性はいたでしょうね」

「そういう意味ではないのですが」

 今初めてアンジェラ自身が当主という立場だと知ったらしいコンラッドは、一瞬戸惑ったような顔をした。

「いいえ。それ以上の意味で近づく方なんていませんでしたよ」


 それを考えると、彼は、アンジェラの立場も容姿も、何も関係なく好いてくれたのだと気づき、再び頬に熱が上がりそうになるのを必死で誤魔化す。

 それでも彼が打ち明けてくれたように、自分も少しばかり本当のことを話そうかと思った。


「ヒィズルから急に帰国するきっかけになった祖父の危篤は嘘でしたけど、帰って間もなく、わたくしに当主の座が譲られることになりました。わたくしは養女で、祖父は書類上は養父だから。本当の権利はグレンのものなのに、年齢などの関係でわたくしが受けるしかなかったのです」


 危篤だったはずの祖父は、憎たらしいくらいピンピンしていた。

 でもその一年後、眠るように息を引き取った。孫の勘当取り消しと墓の移動、その他もろもろの手続きを終えた後で。

 まさに立つ鳥跡を濁さずの完璧な幕引きだ。


「でも正当な権利を持っているのはグレンです。彼に譲る前にもしわたくしがうっかり結婚なんかして、夫を残して死んでしまったら? もし万が一子供でも生まれたら? 当主の座は夫や子供に行ってしまいます」


 実際には今年グレンが三十歳になり、アンジェラが四十歳になる二日後。今まで預かっていたドランベル当主の座は、正当な権利の持ち主であるグレンの手に渡ることになっている。


 もともとアンジェラは、その後は適当なタイミングでどこかに消えようと思っていたから、ここに来たことも、またここで死ぬであろうことも運命なのだと考えていた。ナタリーの出産後の手伝いはしたかったし、メロディとももっと仲良くなりたかったけれど、アンジェラがしなくてはいけないことはこれで全部終わりのはずだ。


「ですからわたくしは、そんなことは出来ません」


 結婚する意志はないと言ったつもりのアンジェラに対し、コンラッドは何か見透かすような目をして一言、「なるほど」と頷く。

 その様子に、(もうすぐわたくしが当主ではなくなるなんて知らないわよね?)と不安になったけれど、もうこの話は終わりだという意味でにっこり笑った。


「旦那様。朝食の時間がすっかり遅くなりましたわ。もう戻りましょう」

「そうですね」


 そして、先導するように前を歩くコンラッドの背中を見て、アンジェラは静かにため息を吐いた。

 本当は、前を歩くコンラッドの背中に手を伸ばしたい。

 走り寄ってその背に頬を寄せて、彼の熱を感じたい。

 本当はもう一度だけキスしてほしい。

 急速に溢れてくるそんなふしだらな願いをねじ伏せて、絶対に悟られないよう厳重にベールで被う。



 百年近い記憶を持つ中で、今世のアンジェラの人生では、生れてはじめてのことがたくさんあった。

 辛いことも多かったけれど、それでも怖いくらいに幸せだった。

 夢だった学生生活も、恋に似た思いも味わったし、子供も育てた。

 しかも求婚もだなんて、今世はなんて贅沢な人生だったのだろう。


(今日のことも宝物として大事にしまっておくわ)


 必ずコンラッドたちを元の世界に戻すから。

 今は特殊な状況のせいで、昔の気持ちが蘇っているせい。スミレもアンジェラも、遠い昔の幻想。また離れてしまえば、彼はきっとわたくしのことなどすぐに忘れるはずだし、それでいい。


 嬉しかった。夢みたいだった。

 どうして好きになってもらえたのか分からないけれど、今唐突に実感できた彼の気持ちが本当に嬉しい。

 でもわたくしはもう、世界が一変するのを見たくない。

 彼が背中を向けるのを見たくない。

 ――そのことに気づいてしまったから。


(ごめんなさい、コンラッド。わたくしは未来を夢見ることができない)


 昔、暁の狼とキスをした後、祖父危篤の知らせが入った。

 学生の頃、太陽神の恰好をした男性とキスをした後、姉たちの訃報が入った。

 いつもアンジェラは、誰かとの未来を夢見た瞬間、悪夢を見てきたのだ。



(もし願いが叶うなら、今この瞬間に命尽きればいいのに)


 ――――そしてもう、来世なんて来なければいい。

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