第25話 コンラッド⑦

『パパ。私ね、アン先生がママになって下さったら嬉しいと思うの』

 朝一で、真剣な目でそう訴えてきた娘に驚いた。

 昨日何か見ていたのではとうろたえるコンラッドに、メロディは幼いころのように無邪気に目を輝かせると、内緒話をするようにぐいっと身を寄せた。


『パパはアン先生、いえ、アンジェラ様が初恋って本当? 今もお好き?』

 その言葉にコンラッドは反射的に頷いてしまう。娘が怒るのではないかと思ったけれど、返ってきた言葉は『よかった』だった。


 コンラッドが紹介する女性をことごとく威嚇してきた娘が、アンジェラのことは気に入ったと言うのか。それともコンラッドが、今まで誰にも本気になれなかったことを見抜いているのか。あるいは娘は自分と好みが同じなのか。

 そんなことをぐるぐると考えていると、メロディの次の言葉にさらに唖然とした。

 

『ナタリー先生は、アンジェラ様とパパは似合うんじゃないかっておっしゃってたの。でもアンジェラ様には、パパがかかしにしか見えないかもって』

『かかし……』

 あまりにも有り得る話に情けない声が出る。

 それでもナタリーが味方だということに気づき、目の前がパッと開けた気がした。


『メロディ。パパは昨日アンジェラ先生に会って、また好きになってしまったんだ。私は彼女と結婚するために頑張ってもいいかな?』

 目線を合わせるために膝をついたコンラッドに、メロディは両手にこぶしを握って力強く頷いた。

『ええ、もちろん。死ぬ気で頑張って捕まえて下さいませ。もしダメなら私、パパを捨ててアンジェラ様について行きますから。絶対私が幸せにしますからって、口説き落としてみせます!』

 娘の本気の宣言に、(ああ。そっちの方が確率が高そうだな)と、遠い目になる。


(というか、そんな男前なセリフはパパに言わせてくれ)


『ほらパパ。アンジェラ様がお散歩に行くみたい。ぜひ二人で行ってらっしゃって』

 そこにエドガーがやって来るとコンラッドと階下のアンジェラを見比べ、『幸運を祈る』という意味の指サインをしてみせた。

 どうやらみんな自分の味方らしい。

(これは今度こそ、絶対逃がさないようにしなければ!)


 そして今――。

「コンラッド」

 小さく名前を呼んだアンジェラが、そっとコンラッドの手を握ってくれる。

 それは慰めや励ましの意味でしかないのは理解していたけれど、それでも体のずっと奥のほうから幸せな気持ちがこんこんと湧き出るのを感じた。

 だが彼女から、

「ソニアはきれいな娘でしたわね」

 と言われ、動揺した。


「彼女を、ご存知でしたか?」

 なぜか浮気したのを見つかったような落ち着かない気分になるが、アンジェラの表情は穏やかで思いやりに満ちたものだった。

「少しだけ。グレンがビクトの学生だった頃、彼女はリリスで評判の美人でしたから」

 学園祭に遊びに行ったときに教えてくれたのだと言われ、「そんなにそばに」と愕然とした。


「アンジェラ……。私は、本当は貴女と家族になりたかったんです」

 思わず彼女の手を強く握ってしまい、痛そうな表情に慌てて少し力を緩める。

「ヒィズルで、自分の素性を伝えて、一緒にイリスに来てくれないか。そうお願いしようと思っていたんだ」

「それは、スミレにでしょう」

 目をそらし俯くアンジェラの頬に、微かに震える手をあてる。


 なぜ彼女がスミレを別人のように言うのか不思議だった。それでも彼女の様子を慎重に観察してみれば、年上として振舞っていたスミレは、確かに普段のアンジェラとは少し違うのかもしれない。

 当時は年下の男としてあしらわれていたことを思い出し、ふっと笑いがこぼれた。

(それでも彼女は、私とキスしたんだ)

 しかも情熱的で素敵だったと、今も覚えていてくれている。それは希望につながるのではないだろうか。

(でもスミレだけではないことも知っていてもらわなくては)

 自分が元々好きなのは、目の前にいるアンジェラだ。


「ねえアンジェラ。私がどうして、貴女が外国に嫁いだと思っていたかわかりますか?」

「え?」

 話題が変わったように感じたのだろう。戸惑ったようにコンラッドを見たアンジェラは小さく首を振る。

「私はリリスの卒業式典の日に学園に行き、対応してくれた職員にそう聞いたのですよ」

「どうしてリリスに……」

「もちろん貴女に会いに行ったんです。アンジェラ、私は貴女に求婚しようとしていたんです」


 驚いたようにビクッと肩を揺らして逃げようとするアンジェラの手を引き、胸に抱き寄せる。

(逃がすものか)

 再会できたことで、今まで蓋をしていた気持ちが溢れて止まらない。

 忘れたふりをしてきた。でも忘れることなどできなかった。


「私はもともとアンジェラに求婚しようと思ってたんです」

 大事なことなのでもう一度繰り返すと、「わたくしに?」と呟いて震えるアンジェラの頭にキスを落とす。

「あの日アンジェラに失恋したと思って、次に恋をしたのがスミレで。ああ、同じ人だったなんて昨日まで知りませんでしたよ。でもね、アンジェラ。これでわかったでしょう。私が、二度も貴女に求婚する前に逃げられた哀れな男だってことが」

 求婚していたらどうなっただろう。

 その言葉は口に出せなかったけれど。


「あの職員が勘違いをしていなければ、きっと私は貴女を追いかけました。大陸を二つも一人で渡るなんて、絶対させなかった」

 二十三歳の男にだって過酷な旅だったのだ。十八歳の女の子が、ずっと年上のふりをしていても楽だったはずがない。

 彼女を守れなかったことが心底悔しい。

 告白を次の日になんて伸ばさないで、走って追いかければよかった。求婚することを決めたとき、すぐに会いに行けばよかった。


「アンジェラ。私は今も昔も結局、貴女と家庭を築きたかったんだ。だから……」

 少しだけ体を離し、美しい紫色になったアンジェラの瞳をのぞき込む。

「今度こそ、私は貴女に求婚しようと思います」


 今なら知っている。アンジェラは強く感情が高ぶると目が紫色になる。

(初めてのキスをした日のように)

 戸惑ったように揺れる瞳に吸い込まれそうで、コンラッドの目は細める。

 この人は年を重ねてますます綺麗になった。


「アンジェラ、綺麗だ」

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