第24話 コンラッド⑥

 コンラッドはあの日、『これは命令だ』と言った父の顔を思い出す。

 縁談はいくつもあった。それまでは誰を選んでもいいとさえ言われたのに急に事態が変わったのは、事業が少し下降気味だったところに、父の恩人に恩を売れる機会があったからだったのだろう。


「実際、私がソニアと結婚をすれば、事業の点で大いに利点がありました。でもあの時の私には、事業のことや父が売りたい恩よりも、今にも殺されそうになっているお腹の子供が気になったんです」


 はじめて会ったソニアは、青白い人形のように見えた。

 コンラッド同様、父親の決めた縁談に納得などしていなかったのだろう。

 男が消えて以来、ソニアは食事もロクに取らず、突然泣き叫んだり、浴室に飛び込み冷たい水を腹にかけたりしていたそうだ。腹の子がいなくなれば男が戻ってくるのだと信じている節があった。


 だが彼女の母親はソニアを出産後は妊娠が難しく、度重なる流産で体と心が弱って早くに亡くなっていた。そんなこともあって父親であるグリン氏は、ソニアも一度しか出産はできないのではと危惧していたらしい。もし腹の子が流れたとしても、このままではソニアの命が危険だろうと。

『相手の男を探すことをを諦めたわけではない。だが、逃げた事実や世間体を考えると、責任を取らせることは難しいだろう……』

 だから条件がよく、まだ結婚する気がないように見えたコンラッドに、形だけでもソニアの夫になってもらえたらと思ったらしい。しかし、娘の常軌を逸した姿に頭を抱えたグリン氏が、コンラッドには小さく見えた。



「ソニアのお腹はまだ全然目立っていませんでした。言われなければ、妊娠していることなんてわからなかったくらいです。でも魂が抜けたように座っているソニアを見たとき、そこに宿っているはずの命が、突然キリやナズナの姿に重なりました。私は唐突に、この子の父親にならなければと、なぜかそう思ったんです」


 逃げようと思わなかったわけではない。自分には関係のない女だ。

 当主の命令は強いが、それに背いても現代では勘当されるくらいで、命がなくなるわけではない。

 でもソニアの目を見たときに、コンラッドはハッとした。彼女の目はスミレと、そしてアンジェラと同じ灰色だったのだ。


「ソニアの目を見たとき、スミレの言った言葉を思い出しました」



 コンラッドはヒィズルで過ごした頃、キリとナズナがスミレの上の兄(もしくは姉)の残した子だということは聞いていた。

 ある時スミレと同じように、親を亡くした子供を引き取る仲間がいた。ただ彼の場合その子供たちとは血のつながりがなかったため、コンラッドにはどうしてそんなことができるのかと、純粋に不思議に思ったことがあったのだ。

 口には出さなくてもスミレはそれを察したのだろう。

『血のつながりってそんなに重要かしら? 自分が受けたものを誰かに返していく。それは人としてごく自然な行いだと思うのだけれど』

 そう言って何でもないように笑うスミレの姿にコンラッドは、スミレたちにも血のつながりはないのだと察し、大きな衝撃を受けた。


「家族になるために大切なのは、縁や愛情、そして思いやる気持ちじゃないかと。私はメロディにそれを感じたんです。男の子か女の子かもわからなかったけれど、どちらでもよかった。生まれてくる子を守らなきゃいけないと。この手に抱き、貴女がキリやナズナにしたように笑わせてやりたいと、使命にも似たものを感じました」


(あの頃はスミレを抱いたものと信じていたから、もしかしたら生まれていたかもしれない子供をメロディに重ねたのかもしれない。そう考えると、私も相当病んでいたんだろうな)


 だからだろうか。コンラッドは、愛する人が消えて傷ついているソニアのことも慰めたいと思った。

「政略結婚であっても家族になれたらと、本当にそう思っていました」


 自分の愛する女性も、突然どこか遠くに消えてしまったのだと彼女に打ち明けた。

 恋をすることはなくても、家族になることはできるのではないかと話し、やがてソニアも落ち着きを見せた。


 彼女が結婚に同意したあとしばらくは、このままうまくいくのではないかと思う時期があった。

 普通の新婚夫婦のように甘くはないけれど、それでも穏やかな日々が続いた。

 結婚の少し前からソニアも徐々に笑顔を見せはじめ、それなりに温かい家庭だったと思う。

 メロディが生まれるとコンラッドは可能な限り仕事を最小限に抑え、世話好きのめんどりのように子供につきっきりで世話をした。

 メロディにミルクをやり、おむつを替え、夜泣きをしたときに抱っこもした。

 妻と一緒に子供の成長を見守っていると思っていた。


「でもソニアは結局、ずっといなくなった男しか見ていませんでした」


 出産から一年も経った頃だっただろうか。時々ソニアは、コンラッドのことを違う名前で呼ぶようになった。メロディにきつくあたっているところに出くわし、慌てて引き離したこともある。

 彼女が八年前に肺炎で亡くなった時、最期に呼び続けたのもその男の名前だった。

 結局彼女に見えていたのは、違う未来にいたはずの自分の世界だけだったのだろう。

 メロディもコンラッドも、彼女にとっては透明人間でしかなかったのだ。


「今も、あれ以上何が出来たのか分からないままです。それでも去った男を思い続けるソニアの気持ちが、困ったことに理解できるんですよ。私たちは似た者同士だったのかもしれません」



 本当はここまで打ち明けるつもりはなかった。

 愛する女性に、ほかの女の話などしたいわけがない。

 ましてや心から結婚したかった――いや、今も結婚したいと思っている相手に、妻だった女の話など聞かせたくなかった。


 けれど、先ほどメロディにソニアのことを打ち明けたと聞かされて、アンジェラにはもう、何も隠してはいけないような気がした。

 彼女と結婚したければ、自分だけではなくメロディも受け入れてもらわなければならないのだ。


 アンジェラには聞きたいことも知りたいことも山ほどある。

 たくさん話をしたいと思う。


 けれどそのためにはまず、自分をさらけ出さなければならないと思った。

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